第5話 地雷の解除は日々の心がけから

 「にーやん、どしたん」

 

 朝、玄関で美嘉はいきなり立ち止まった俺に対し、そう話しかける。


 美嘉はさも高校に登校する雰囲気ではあるが、そのつもりは一切ない。


 何なら制服さえも来ていない。私服である。


 彼女はアクティブな不登校である。


 俺の考えとしては、別に無理に通う必要もないと思っているので無理に通わせはしない。


 

 「む、これは……」

 

 朝、登校の準備を終えた段階で俺の頭上に青と赤の線が浮かんだ。


 これは……通常イベント!


 選んだ線のヒロインと学園へと登校するというイベントであり、ルートが固定するまでは自由に選ぶことができる。


 青い線が玄関の先に伸びている……ということは、外で葵が待ち構えているのだろう。


 昨日はアニメの履修からの感想会を梯子したためいつもより家を出るのが遅い。確実に小言を言われるだろうし、実際にそういうイベントが多かった。


 そして振り返り、家の裏口方面には赤い線……天音だろう。お小言を避けるべく裏口から出ると、なんとそこには天音が待機している。俺が葵から逃げるのを見越しての先回りだそうだ。



 「……なぁ、美嘉。扉の外に葵がいるよ」

 「えっ、待って」


 半信半疑で美嘉は覗き口から外を伺う。


 「ほんとだ、めっちゃ機嫌悪そうだ」


 設定として、葵は幼馴染なのもあって小さい頃から家族ぐるみの付き合いがあった。


 そしてだらしのない兄妹に対して、結構厳しめに、それこそ母親のように接してきた。


 で、オタク気質で引き籠り気質な美嘉は正直な所葵に苦手意識を抱いている。


 ルートを進める中で和解イベントがあるわけだが……今回は望み薄に思える。


 「にーやん、わたしゃ、ツンよりも無条件で甘えさせてくれるバブみ満載のママ属性の女の子の方が好きだよ」

 「奇遇だな」

 「じゃあ、裏口から出る?」

 「残念なことに裏口には天音がいるぞ」

 「ヴぇ……」


 天音に対しての美嘉の評価は、「よくわからない」が美嘉の中で先行していた。


 いつの間にか平然と兄の前に現れ、熱烈な求婚を行う。妹の前でも普通にそれを敢行する為、知ってはいるがよくわからないどまりなのだ。


 「きっと甘やかしてくれると思うぞ?」

 「……いやぁ、流石にちょっときついかな。どうするん、今日学校休む?」


 親は既に出社済みだから不可能ではないが……何かに屈している感じがして嫌だな。


 それに、見落としてる経路があるんじゃないか。


 例えば……。


 「二階から屋根伝いで数軒先に降りれば……」

 「ミッションでインポッシブルな匂いがするけれど、一番妥当だと思うよ」


 てなわけで、兄妹は何とか二人を撒くことに成功した。


 「てか、にーやん。助けてもらっておいて何だけど、贅沢な悩みだよね。超美人の幼馴染と真相の令嬢から猛アタックを受けて喜ぶだけでなく逃げ出すんだから」

 「奏もそう思います。全国の紳士を敵に回しちゃってますよ」

 「そうかな……ん?」


 俺への小言が、一つ多かった気がする。


 「あ、奏パイセン」

 「美嘉ちゃん、おはようございます……って、どうして朝来さんが!?」

 「それはこっちのセリフかな……」


 麗しい奏ちゃんがいつの間にかそこにいた。


 二人の話し方を見る感じ、知り合いだったのだろうか? 新発見だ。


 「というか朝来さん、どうして美嘉ちゃんと……? い、いえ、奏は何も思っていませんよ、昨日のあれは確かに気の迷いだったのです、そうとしか考えられません。いぢわるな冗談で私を喜ばせようとした、それだけなのです」

 「いや、意地悪でも冗談でもないけど」


 そう言ってやると、はすはすとドヤ顔だった奏ちゃんの顔が、みるみると紅潮していく。


 「で、ではどうして美嘉ちゃんは朝来さんと……」

 「この人は私の兄ですし。というか忘れたんすか? 私も朝来っすよ」

 「て、撤退ですぅーーーー!!!」


 明後日の方向へ走り去ってしまう。


 「にーやん、奏パイセンなんかすごい空回りしてる感じだけど、なんかしでかしの? 流石に優しい奏パイセンを泣かすのは私としても許せないというか」

 「泣かせるようなことは何もしてないさ」


 流石に告白したことを明かすことはできないだろう。


 「ま、そりゃそうだよね。にーやんに限ってそれはない」

 「それにしても仲良かったんだな」

 「趣味を共通する同志ってやつ。去年から合同誌とかも出してるの」

 「それは知らなかった」

 「聞かれなかったからねん」


 両手でピースし、蟹のように指を動かし、にへらっと笑う美嘉。


 「って、にーやん、このままじゃ折角逃げたのに見つかっちゃうよ」

 「そうだな、後ろ乗れ。飛ばすぞ」


 美嘉を後ろに乗せ、俺は自転車を学園――ではなく、ゲーセンへ行くための駅へと進めるのだった。


 学園には予鈴の十分前には到着することができた。流石に葵も天音も到着していないようだ。


 「さっきぶりだね、奏ちゃん」

 「はわっ……」


 驚いたのか、石のように硬直する。


 (そ、そうでした……席は隣でしたね。昨日は放課後だけあって深く考えてませんでしたが、これはえらいこっちゃですよ……)


 彼女は小声で何かを嘯いている。


 「どうした??」

 「あ、あのぅ、大変申し上げにくいのですが……学園で奏ちゃんってのは、奏としては恥ずかしいといいますか……」

 「ああ、すまない」

 「二人の時だけにしてもらえると……って、ぐあっ、その、私また何かやっちゃってます? これが自爆ですか……?」

 (なにこの可愛い生物)


 彼女は人一倍に喜怒哀楽に対し率直だ。


 俺はその正直なところに、そしてすぐに焦って暴走しがちになるところに惚れ込んでいる。つまり、一挙手一投足が至福の褒美なのだ。


 「……少し、奏はお聞きしたいのです」

 「ん?」

 「奏はやはりわかりません……」


 すごく不安を抱いているようだ。目線も泳いでおり、人付き合いが不慣れなことがわかる。


 「奏って、こどもぽいって言われるんです。実際にそうです。いつも大袈裟ですし、すぐ混乱して、暴走しちゃいます。暴走したら自分でも何言ってるかわからなくなって、変なこと言ってしまってないかと思うととっても怖いのです」

 「夜瞑さん」

 「私は賢くなんてありません。すぐ自爆して、すぐ自分が嫌になるんです。俗にいうメンドくさい女ってやつですよ。もう既に何度も朝来さんに見苦しい姿を見せてしまっています。それでも、朝来さんは私を?」


 彼女は自身の不甲斐なさを知る故に、他者からの拒絶を酷く恐れている。


 気持ちはわかる。


 誰だって、他者に拒絶されるということは心が堪えるものだ。どれだけ気丈に振舞える大人でも、無傷なんてありえない。


 感情の機微が人一倍に大きい奏ちゃんにとって、それは人が感じる痛みよりも何十倍も強いのだろう。


 一人の男程度がその痛みを推察することは酷く烏滸がましいことかもしれないけれど……俺も人並みにはその痛みを味わってきたはずだ。


 だから、好きな人に対してかける言葉は決まっていた。


 「それでも僕は昨日の言葉を曲げないよ。紛れもない事実だ。それを否定なんてしないよ」

 「はぅ……」


 遂に目を回し始める奏ちゃん。


 話題を変えた方がいいだろう。


 「そのキーホルダー、あのアニメの子だよね」

 「っ!」


 途端、彼女の瞳の色が変わる。


 これは美嘉に対して向けている視線と同一のもので……同志を見定める目だ。


 「って、美嘉ちゃんのお兄様ですから、そりゃ知ってますよね」

 「俺はもう一人の子が好きかな。意外とその子が王道ヒロインって言われがちだけど、実際の芯の強さ、意思の硬さは決して引けを取らないと思うんだ」

 「!」


 一般人がよくやる、とりあえず触れてそこでお終いの会話ではなく、オタク特有の議論へと展開できる言葉を俺が投げかけたからか、奏ちゃんの目の色が更に変わる。


 強い輝きを帯びだしたのだ。


 「まさかっ……朝来さん、アナタ、この作品……履修してますね!?」

 「当然だ。見てもいないのに話題を振るなんて愚かな真似はしないさ」

 「ほほぅ……これは意外……いえ、それは失礼ですね。美嘉ちゃんのお兄様ですから……素質は彼女以上に。嗚呼っ、恐ろしい子……!」


 同級生のオタク友達と話すような親近感を、今の奏ちゃんからは感じられる。


 俺だって趣味の話になれば早口になるものだ。


 それも、同志が見つかったとなれば仕方のないことだ。


 「朝来さんの解釈も一理あると思いますがね、奏の解釈としては――」


 そこで、奏ちゃんは硬直する。


 すると、その場の空気が一気に冷え込むのを感じる。


 一体何が……と俺が振りむくと、そこには二人のヒロインがいた。


 一方は般若の顔で佇む葵に、僅かに微笑みながらも目は笑っていない天音。


 「あ、忘れてた……」


 玄関と裏口に放置していたのだった。


 彼女らのことだから、不在を悟って遅刻はしないだろうが……。



 「随分と仲がよろしいのですね……奏さん?」

 「………………何やってんの、怜音、奏」

 「おいおいおい、死にますよ、これは」


 奏ちゃんは冷静に言っている風に見えるが、その実、冷や汗がびっしりである。


 彼女はヒロイン二人とも仲がいい。そして、ヒロイン二人が好意を抱いていることを理解している。


 この場では何もやましいことはない。


 だが、この場が絶対の危機であることは、明々白々。


 俺が何をすべきかは、唯一つだった。


 「逃げて」

 「えっ」

 「今すぐ、この場から逃げるんだ」


 そう口にするも、彼女は躊躇う。それは俺を置いて行くことに抵抗を感じているのだろう。


 「心配ない。これは俺の問題だ」

 「っ……骨は拾いますからっ!」


 そう言いながら、彼女を見送る。


 「まぁ……なんだ。座りなよ、今朝買ったお菓子でも……」


 しかし、迫った葵の拳が俺を視界を真っ黒に染めるのだった……。

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