第4話 尊死した奏の気持ち

 夜瞑奏やぐらかなでは一人、ベッドの上で……悶えていた。


 足をばたつかせ、本来見るはずだったアニメさえもほっぽりだし、「うにゃあああああ」と人らしくない鳴き声を上げる。


 そして、子供のように駄々をこねるのだ。


 「どうしてどうしてどうしてですかぁ……」


 朝来怜音のことは、彼女も知っている。


 実は中学校から同じであった。接点がなく、空気であることを徹していた奏にとって、絡む機会は残念ながらほんのちょっとしかなかった。


 だけど、人となりは知っていた。そのような相手から、告白を受けた。


 脳裏に張り付いて離れない、「好きだ」という言葉。


 物心ついた頃から喪女を自覚し、尊いカップルの絡みを見守る壁のシミとなることを徹していた彼女は予期せぬ出来事に頭の中が沸騰寸前だった。


 古今東西のラブコメを踏破した自負はあった。


 だが、自分がその渦中に飛び込むと……物語のようには動けないし、喋れない。


 「嘘ならどれだけよかったのでしょう……ああ、これこそ胡蝶の夢とやつですか」


 朝来怜音の言葉が嘘か真か、それを見極められない程鈍感ではない。


 何よりも、人畜無害、壁のシミである自分を騙して何の意味があるのか――と考えられる。だからこその意味不明さなのであるが。


 「これが……告白なんですかぁ……?」


 出会って数秒で告白などという筋書きはどんなラブコメにだってない。


 当然だ。ラブコメというのは、往々にしてとても遠い回り道をし、距離を縮め、時には喧嘩して最後の最後に想いを叶えるものだ。


 開始早々で告白してしまっては、物語は終了、始まる前から打ちきりだ。


 「いや、最初に結ばれることで、カップル特有の愛おしさを堪能することに重きを置いた作品もあるにはありますね……じゃなくて!」


 自分でボケて、自分でベッドに頭を打ち付けることでツッコむ。


 「奏ちゃんにそんなことする人、いないじゃないですかぁ!」


 夜瞑奏は思いの外、現実的だった。


 ロマンス満載の夢物語と現実とでは、それこそ天国と地獄くらいの差異がある。


 ある程度、オタクとして辛酸しんさんめてきた。なんの対価なく、幸せを得られるなんてことは考えていない。


 だけど……だとすると今日の彼の行動はなんだったのか。


 わからない。


 じゃあ、嘘なのか?


 いや、嘘ではない……そういった思考が、奏の中で堂々巡りしていた。


 「……どうしたものですかね」


 ベッドの上で暴れ散らすのも疲れ、ぐったりと倒れ込む奏。ふと視線の先に、先日買ったばかりの月刊誌が置いてあることを認める。


 「…………そういえば、寝落ちして、今月号を読んでいませんでしたね。いち早く読んで、徳を積まないと……」


 奏にとって推し活こそが徳を積むことであり、推しを応援できる一番の行為であると考えている。


 その理念を崩さずに、愛読する連載漫画を精読するのだ。


 「うひょぉぉぉ、この作品のおにゃのこちゃんは、相も変わらず美形ですねぇ。かつて西洋の方々は耽美な彫刻を目にし、眼福を得ていたといいますが……まさにそのことかもしれません。それに、キャラクターが紡ぐセリフの一つ一つが胸を打ちますね……是非編纂して歴史に残したい」


 場面としては、覚悟を決めた男主人公が遂にヒロインに対し想いを告げるという場面であるが……。


 ――好きだ、欲望に素直で、だけど人一倍に優しい心を持つ奏ちゃんが!


 ――俺は、君と尊みの高いカップルになりたいんだ。


 ――俺はそんな奏ちゃんに、恋をした。



 脳裏に突然フラッシュバッグを起こし、現実に叩き戻される。


 歯が浮くような甘ったるい口説き文句。それは作者が必死に考えた、物語上のターニングポイントとなる告白シーンのセリフと遜色ないものだった。


 「ひゃ、ひゃうう……恥辱、これはあまりにも恥辱です。くっ殺ですよ……」


 ガンガンと鳴り響く様に、怜音の言葉が離れない。


 悪口ならば、少し泣いて、少しの間ベッドで眠れば簡単に忘れられる。だけど、


 これは悪口なんかではない。むしろ、彼の持つ語彙の全身全霊を活かした褒め殺しなのだ。


 そんなの、忘れられるわけがない。


 「そもそも自己評価がそれはもう地表より低い奏からすれば、もう皮肉か何かにしか聞こえないんですよ……呪いもいいとこじゃないっすかぁ……や、呪いじゃなくて祝福……? だめです、なんもわかりません……」


 ぐるぐると混乱が更なる混乱を呼び、彼女は力尽きたように項垂れる。


 「悩んでいるようね、私の妹」

 「湊姉様ぁ」


 一人で悶々とし、無限に抜けられそうにない思考の牢獄に囚われていた奏に助け舟を出したのは、彼女の姉である夜瞑湊やぐらみなとである。


 社交性が皆無(と自負している)奏とは正反対の、コミュ力の塊のような姉である。


 まず高身長だ。奏に似たピンク色の髪は後ろでポニーテールを作っており、奏に負けない程の大きなリボンで止められている。くびれは凄まじく、それもそのはずで彼女は衣服のデザイナーとして世界を股にかけている。


 そして何よりも妹である奏を酷く溺愛している。


 湊は基本的に、奏のような体格の子に対する服を作り、彼女に着させている。その趣味が高じてデザイナーになったことを知る人はそう多くない。


 「何かあったのかしら?」


 奏の勉強机に座り、脚を組み、尋ねる。


 「湊姉様……それはもうのっぴきならない事情と言いますか、ええ、はい。ややこしさでいえば海よりも深く、山よりも高いです。奏、それこそ多くの作品を見て自身の中で恋愛像はくあるべき……なんて考えていたのですが」

 「つまり……告白されたわけね?」

 「!」


 姉には何もかもお見通しなのか、と奏は喉を鳴らす。


 「男が女に一世一代の告白を行う、それは青春を青い春と記す大きな理由よ。何もおかしな話ではないわ」

 「それでは、湊姉様も?」

 「ええ、かなり前の話だけどね……男と女のやること、珍しくもないわ」


 遠い春を想い、湊は静かに目を瞑る。


 社交性と才能の塊である夜瞑湊は、それはもう引く手あまただった。


 バレンタインには同性から無限にチョコが渡され、そしてホワイトデーにはあげた覚えのない異性から破格のお礼が贈られたものだ。


 「青春の訪れは個人差がある。貴女にもそれが訪れただけ……何も焦る話ではないわ」

 「で、ですがぁ……」

 「話を詳しく聞かせてみなさいな」


 「ふぅん、いい青春じゃあないの。直球勝負……今の時代、それほどの胆力を持つ男はそういないわ」



 話を粗方聞き終えた湊は、素直に怜音をたたえた。


 「湊姉様は、お怒りになられないので? 奏は情けなくも逃げ帰ってしまいました。敵前……ではありませんが逃亡は重罪です。少なくとも、朝来さんの心象はあまりよろしくありません」

 「うふふ、妹、こういう言葉があるの。恋愛はね、先に惚れた方が負けなのよ。読んだことがあるでしょう?」

 「はい」

 「先に惚れた側はね、相手がどれだけ変なことをしようと、脳が都合のいいように解釈してくれるもの。貴女が逃げ帰った程度で、翻ることはありえないわ。それが本当の気持ちならね」


 恋は盲目、というのは実に都合のいい言葉だと、湊は言う。 


 湊は歴戦の玄人のように的確なアドバイスを奏に送る。


 彼女は、それはもう恋の多き女性であった。彼女ほど自由に生き、夢を謳歌おうかする者はいない。


 「肝心なのは、貴女の気持ちよ」

 「ええええ……奏のお気持ちですか? そんな恐れ多いといいますか、私はあくまで黒子の身です。舞台の感想を述べども、観劇者が舞台に上がり込むなんてことは……」

 「気づいてなぁい? 朝来少年は貴女を観劇者ではなく役者、それも主演として舞台に招いたの」

 「え、ええ!? か、奏が役者なんてそんなぁ……」

 「では、貴女は朝来少年の告白を断る――そういうこと?」

 「べ、別にまだ振るという話では……」


 言い淀む奏の反応を、湊は幸せそうな表情にて観察する。


 「お試し期間……なんてものが学生恋愛の手法としてあるの」

 「それは――」

 「けれど、貴女はそういう柄ではないわ」

 「……はい、流石にそれは、どんなに迷っていたとしても……不誠実だと思います」

 「貴女の姉で、誇り高いわ。ならば、時間をかけて見極めなさいな」

 「…………よろしいのでしょうか?」

 「ええ、時間は有限だけど、朝来少年の想いが真なるものなら……きっと貴女の答えを待ってくれると思うわ」

 「…………」

 「だから、焦らないの。考え込んで袋小路になるのは貴女の悪癖よ?」

 「はいっ……!」


 幾分か、奏の表情が和らいだのを受け、姉として満足の表情を浮かべる。


 「ところで奏、貴女に是非次のコミケで着てほしい、素晴らしい衣装ができたの」

 「奏としては人前に出るのはあんまりですが、湊姉様の衣装を着るのは好きですから……とても楽しみです」


 奏は即決するのではなく、まずは朝来怜音という人物の人となりを見守ろう……そう考えたのだった。

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