第2話 男女二人、密室、何も起こらないはずがなく
「――――好きだ、欲望に誰よりも素直で、だけど人一倍に優しい心を持つ奏ちゃんが!」
「それ褒めてるんですか!? 貶してるんですか!?」
咄嗟に胸中に溢れた言葉を、一語一句違えずに奏ちゃんに伝えた。
「え、ええと、待って、待ってください! 何をおっしゃるかと思えば、奏のことが好きだと!? って、えええ、そんな世迷言を……世迷言を給わないでください! 私はあくまで傍観者、観劇者が舞台に上がるなんて、尊い舞台に対する冒とくですよぉ。私はあくまで見るだけ、そう、見ざる聞かざる言わざるなんですぅ……あ、聞きはしますね。あれ……? 何の話でしたっけ」
ううむ、この濃厚な奏ちゃん成分。間違いない。
現実かどうかなんて、どうでもいいや。ただ、このずっと伝えたかった気持ちを言わず、なんとなる。
そのとき、再び奏ちゃんとは違う方向に赤い線と青い線が伸びる。
行先を告げるもので、赤色が『校庭へ行く』、青色が『まっすぐ帰る』だ。そう、選択肢である。どちらを選ぶかで、葵の好感度か天音の好感度かのいずれかが上がる。
だが、知らん。知ったこっちゃない。
だって、俺の選ぶ選択肢は只目の前にしかないのだから。
「何度だっていうよ、俺は、朝来怜音は奏ちゃん、君が好きだ」
「ええ、まぁ、朝来さんは知っていますとも、クラスメイトですからね。はい」
入学して二週間ほどで先程の騒動が起こるわけだが、実は主人公と奏は接点があった。席が近いから話す程度だが。
「えと、確認しますね?」
「うん」
「怜音さんは、とびっきりの超絶美少女二人に言い寄られていました」
「らしいな」
あそこで目覚めたから自覚はない。
「なのに奏に告白……? ひぇぇ、論理の飛躍ですよぉ」
「正直な想いだから仕方ない」
知らないのか? 想いは理屈を超越するんだ。
すると、みるみると、耳の先まで真っ赤になる奏ちゃん。指でもう一方の指の爪をかきながら、視線をそらしてしまう奏ちゃん。可愛い。
「い、意味わかりませんよぉ。誰もが羨むおんにゃのこより、地味でちんちくりんな私なんて」
「地味でちんちくりんなんていうな!」
「なんで奏が叱られるんですかぁ!!!」
俺は、彼女の言葉を否定する様に語気を強める。
彼女は極めて自己評価が低い。が、それもわかる気がする。
彼女は本当の意味でのオタクなのだ。何も悪いことをしていないが、後ろめたいと彼女は信じてしまっているのだ。
「奏ちゃんはとっても美しい。小さな体に夢が詰まっているんだ。過度に強調されすぎない成長具合、大人らしさをまといながらも表情にはあどけなさが残っている。それに顔や体だけじゃない。言葉振りから、途方もない知性だって感じられる。何よりも誰にでも優しく、皆に慕われているのがいい証拠だ。俺はそんな奏ちゃんに、恋をした」
「あの、あのあの、色々とツッコミたいんですが、まず奏ちゃんって呼ぶの、やめてもらってかまいませんか……?」
申し訳なさそうに、俺の顔を見る。
「……嫌だったか?」
感情に素直になりすぎて、少し強引にいきすぎたかもしれない。
だって仕方ないじゃないか。誰だって、推しを前にすると饒舌になるものだ。
「いえ、嫌とかそういうのでは……」
「なら告白を受けてもらえるかい?」
「ちがっ、それは、いぢわるですよ!」
とても大きな声だった。そして裏返っており、すごい高音だ。
口にした途端、またも顔を激しく赤らめる。
茹で上がらないか、心配になってくるほどだ。
「あうあううう……いっそ、殺してくださいぃ! 生き恥を晒す前に、夜瞑一族の爪弾きものを断罪してくだぃぃぃぃ……!」
「生き恥だなんてそんな、今の奏ちゃんはとても可愛いのに」
「性懲りもなくぅ……」
彼女は一心不乱に、俺の胸をぽかぽかと叩いてくる。
痛くはないが、ドキドキで胸が張り裂けそうだ。ゲームでは表情くらいしか動きがなかった姿が、アニメになって躍動を見せた時は途轍もない感動を覚えたものだ。
そしてこの光景は、そのさらなる進化だろう。
一挙手一投足、全てが奏ちゃんらしさで満たされている。
「何かの罰ゲームですかぁ……? 朝来さんはきっと尊みの高いカップルになると思うんですが……」
彼女はラブコメオタクだ。
純愛、嫉妬、奪い愛……なんでもござれだ。
だけど、自分がその中心となるとは思ってもいなかったのだろう。
「俺は、君と尊みの高いカップルになりたいんだ」
「ひょえっ」
そう口にすると、奏ちゃんは硬直してしまう。
少しの間、口を魚のようにパクパクさせた後、何を思ったか、後ろを向いて歩きだす。
だけど、明らかに動揺しているのか、手と足が同時に動いている。ロボットではないか。
ロボットのようにウィンウィンと動きながら、彼女は俺から離れようと廊下を進む。しかし、妙に危なっかしい。
ていうか、その先は階段だぞ?
「危ない!」
「奏は応答なしです! 放っておいてくださ――」
彼女は気づく様子はないようだ。
「きゃっ」
自身も階段に落ちかけているのを気付いたのか、小さく悲鳴をあげる。が、既に足は階段を乗り出しており、このままでは一直線に落下する。
俺が咄嗟に彼女の手を掴むことで、転がり落ちる未来は避けられた。
(暖かいな)
体温が宿っているのだから、当然ではあるが、その当然を素直に感想にしてしまう程……奏ちゃんの体温が密に感じられた。
そして、思った以上に手は小さく、柔らかかった。
「あ、あの……ありがとうございま――」
そのとき、話し声が聞こえ始める。
恐らく、階段を昇ってくる生徒がいるのだろう。放課後とはいえ、学園には多くの学生が残っているのだ。
「あー! あー! か、隠れないと……来てくださいっ」
「えっ」
思わぬ怪力で、そのまま奏ちゃんは俺を最寄りの学生の教室へと連れていく。
――腕力は、見かけによらず強いんだな。
奏ちゃんに関しては知り尽くしている、と自負していたが、実際に目の前にすると発見の方が多いようだ。
「隠れなきゃ……」
「部屋に入ったら大丈夫じゃないか?」
「だ、駄目です! 一瞬見えた時、このクラスのバッジをつけてましたから……!」
「だったらどうしてこの部屋に入ったの!?」
「仕方なかったんですよぉ~!」
咄嗟に奏ちゃんは部屋を見回し、隠れられそうな場所を探す。
彼女の眼はぐるぐると回っており、これぞ混乱といったところだった。
「ここです!」
奏ちゃんは勢いよく、俺を教卓の下に押し込む。朝来怜音は特段高身長というわけでもないため、一人で入る分には屈めばなんとかなるが――僅かな隙間を掻い潜り、なんと奏ちゃんは入り込んできた。
彼女の体が柔らかい故か、パズルのようにぴったりと身を密着させ、隠れることに成功したわけだが……。
(こ、これは……)
(ひぃぃ、ごめんなさい、ごめんなさい。奏の持論で、人生万事塞翁が馬ってのがあって、どうにかいい方向に転ぶと思ったが故の行動なんです、だけど無様を晒すだけじゃなく体を密着させてしまうなど……)
(あ、あの、あまりしゃべると……)
(あああああ! 不快ですよね、そうともわからず奏は……)
(ち、違う! ただでさえ近いのに、一杯喋ると奏ちゃんの吐息が――)
伝う体温が急に上がったのを感じる。
しまった、失言か?
「おいおい、部活もう始まるってのに忘れものかよ」
「すまんすまん、これないと宿題できねぇからさ」
忘れ物を取りに来たであろう生徒が、雑談をしながら教卓の横を通り過ぎていく。
……気付かれては、いないか?
相も変わらず、俺と奏ちゃんの距離は近い。
少し動けば、額同士がくっついてしまいそうなほどの距離感だ。
この天国の様な瞬間であるが、俺も奏ちゃんもお互いに視線を合わすことはない。
後少し、辛抱しなければならない。理性を保つために、少しの我慢だ。我慢我慢我慢……。
「行った、ようですね……」
奏ちゃんがそう告げる。
俺が先んじて教卓を出るが、彼女は動き出す様子がない。
「どうしたの?」
「ひっじょーに申し訳ないのですが……腰が抜けちゃって、あはは……」
「そっか」
俺は手を差し出す。
「いいのですか?」
「もとはと言えば、俺が悪いからな」
「あうう、すみません……」
彼女は立ち上がる。
「それで、告白の返事を聴いていいかな?」
「忘れてくれていませんか、そうですか……」
「忘れるはずないよ」
「…………夢じゃなかったかぁ」
奏ちゃんは遠い目で天井を見る。
「とはいえ……いきなり強引に迫られたら流石に困っちゃうか、ごめんな」
「い、いえ! 困ってなんてないです、全然困ってなんてないです! 奏はこういう経験は皆無なんです! なんたって奏は花も恥じらう乙女……自分で言ってて寒いですね、なんでここでボケたんですかね……じゃなくて、あの、その……」
「嫌だったかな」
「い、嫌とかじゃなくて……あうあ……」
頭から湯気を昇らせる奏ちゃん。ショート寸前といったところだろうか。
「それで答えは――」
「奏の脳内は処理落ちしましたぁ! 再起動もできません! な! の! で! 持ち返らせて下さいぃ! そ、それでは、サヨナラーー!!!」
逃げ去る彼女は疾風迅雷だった。
運動はそれなりにできるという設定の朝来怜音の脚力を以てしても、全力疾走の奏ちゃんに追いつくことは敵わなかった。
……やってしまった、という言葉が口から零れる。
いくらなんでも、これは公開処刑ではないか。
少し冷静になって、自らが犯したことの重大さに気付く。
だけど、仕方なかったんだ。怖い程に口からつらつらと、言葉が紡がれたのだ。
これが夢か現実かわからないけれど、夢ならば最高の夢をありがとう。
もしもこれが現実ならば……振られるかもしれない。振られれば、愛でることはこれ以上できない。だけど、願わくば……もっとお近づきになりたいものだと、俺は思うのだった。
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