第13話「トップエスコート」
強欲の悪魔もまた誰かに変身して人間の世界に溶け込んでいる。
「で、怪しい噂はこれか」
このカジノ、表社会だけでなく裏社会との繋がりも深い。そちら側で生活する
者たち。彼らから聞いた噂。長く失踪したと考えられていた人間が最近、
別の場所に所属していると。更にその組織でも幹部として身を置いているという。
「その人が怪しいかも…イル、見当は付きそうですか?」
「僕には分かりませんね。でも、その噂話は僕も耳にしたことがあります。最弱から
今やトップを争うほどの資金を持つ」
オークション会場ではマダムノワールが競り合いに応じていた。しかしここで
彼女のライバルが現れた。
「他はいますでしょうか?…では、これにて終了です。次は30分後、お待ち
ください」
「あら、残念。もう少しだったのだけれどね…貴方、一体何者?」
マダムの隣に座る若い男は不敵な笑みを見せる。彼はシャツの胸元を開いている。
隙間から右胸部に狐の刺青がある。
「強欲さ。欲しい物はどんな手を使ってでも奪うほどの、ね」
「強欲ね…ならライバルかしらね、私たち」
「あん?」
「私も欲しい物は何としてでも手に入れるわ。次の商品は私のお目当てなの」
二人の間で火花が散る。自分を強欲と呼ぶ男は名前の通りの性格だ。オークション
司会者、そしてスタッフによって次の大目玉が運び出された。眩い光を帯びる
金色の指輪。
カジノ場でイルは一度、影からの護衛に徹するとアンジュに告げてその場を
離れた。多くの人々が行き交うカジノ、そこに庶民が立ち入るスキはない。きっと
周りの富裕層から見れば庶民である自分などここに相応しくない貧相な小娘程度に
見えているのだろう。そう思われるのも理解している。
「どうしたの?珍しい客だね。もしかして迷子?」
「失敬ね。不慣れな場所だけど、迷子にはなってません!」
ロングコートを羽織った男の言葉にアンジュは強気に答えた。珍しい客だろう。何せ
こんな場所に庶民が足を運ぶなんて誰も考えないだろうし。
「あら、トップエスコートのフリッツよ!」「本当だわ!」
口々に女性たちは彼の名前を呼んだ。アイドルのような笑顔を浮かべて彼はその声に
手を振って答える。周囲を見ると彼女たちの視線は一つに集まっている。私は
邪魔になっちゃうかな。アンジュはその場から静かに離れようとしたのだが彼女の
手をフリッツは掴んだ。握るというよりも優しく取る。
「折角だし、僕がエスコートしてあげるよ。ここは人の目を集めるようだし」
「集めているのはフリッツさんでしょうに」
彼にエスコートされてその場を離れる。この場所は人が少ない。多くの人々はバーか
遊技場に集まっている。もしくはオークションに参加している。慣れない場所に
居続けたためか、疲労が溜まっていた。慣れたつもりでいた。華やかな場所、しかし
本当の自分は未だにこのような場所に不慣れだったようだ。
「聞いてるよ、カリスからね。マダムノワールのご友人とあらば粗相があっては
失礼だからね」
「友人ってことになってるんですね…余計荷が重い。彼女の顔に泥を塗るような事は
出来ないから」
「そう畏まらないで。君がマダムの友人であることは一部の口が堅い従業員と僕、
後はイヴとかもそうだね」
女性口調で話すバーテンダーのイヴもフリッツ同様にカリスからアンジュのことを
教えられていた。内容としては粗相のないように、加えて彼女に可能な限り助力
することだという。
「でも、流石トップ。本当に女性の扱いに慣れてるんですね」
「勿論。でなければトップだなんて言われないからね。マダムの友人としてだけでは
無いよ。君が有名な作家であることも知っているとも」
「え?そうなの?」
「ここで働いている人間でさ。見た目には考えられない読書家がいるんだよ。
ソイツが最近よく君の本を読んでてね。お客の中にも君の本を持ってきて話題にする
人が多いから僕も借りて読んでるんだ」
自分の小説が多くの人に読まれて、楽しまれている。それは嬉しいこと。
アンジュは魔導書の一ページを開いた。そのページには字が刻まれている。
ここには七柱の悪魔の一柱、色欲の悪魔アスモデウスについて書かれているが今は
彼が一方的にアンジュに情報を提示するための文書のような役割をしている。
「うーん…何語?」
「え?…」
フリッツは目を白黒させている。アンジュには普通の文字が並べられているように
見える。アンジュだけが読むことが出来る言葉なのだろうか。魔導書を開いた人間の
特権かどうか、それは定かではない。
『悪魔は変身する際、体の何処かに動物の刺青がある。僕の場合は山羊ね』
「色欲…山羊…」
その二つの関連性、知識を多く持っているアンジュはすぐに気が付いた。
「そうか…!それぞれに関連付けられている動物!」
アンジュは閃いて、フリッツに目を向ける。
「フリッツ。多くの女性と関わるのが仕事だよね?」
「う、うんそうだけど…どうしたの?突然だね」
「頼まれて欲しいんだけど。女性たちに話を聞いて欲しい。付き合っている男性の
事を聞きながら、体の何処かに狐の刺青がある男の人について知らないか探って
くれないかな?」
「狐の刺青?構わないけど…それはどういう」
「良いから。お願い!」
アンジュは彼に頼み込む。引き受けると答えを出してから彼は何故なのかと聞く。
「女性の方が耳が早いからね。それに、実際彼に会っている人もいるかもしれない。
強欲で貪欲、富を持つ男の人に惹かれる人も多いはず…」
「なるほどね。だけど、期待しすぎないでね」
「うん、引き受けてくれてありがとう。私は今からバーに行くよ」
アンジュはフリッツと別れて、バーへ急ぐ。駆け足だ。
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