第3話「本腰は翌週に」
可能な限り吸血鬼としての力を抑えて、気付けばグリフィスはこの家に
宿泊している形になっていた。迷惑だと思わない。一人でいることの良さも
寂しさもアンジュは知っている。長らく一人でここにいると静かなのが当たり前だが
人の存在が恋しくなる。
「百合の花か」
窓を開けていると時折、甘い匂いが風に乗って入って来る。その香りにグリフィスは
気付いた。
「もしかして、苦手ですか?なら閉めますけど」
「いや、苦手では無いが鼻についたからな。その花はずっと咲いているのか」
「私が小さい時に家族で植えたんです。三人家族だったんですけど、私が
作家としてデビューしてすぐに両親は…」
「…そうか」
他界した。娘の晴れ舞台を見てから、すぐの事だった。母が先に、翌週に父が
この世から消えてしまった。それからはずっとこの家で一人で暮らしていた。
ここは人がいないような場所にあるため誰も寄ってこない。
「家族、か…」
「グリフィスさんにもいましたか?家族、母親とか父親とか」
グリフィスの向かい側に座り、アンジュは頬杖を突く。彼女が出した
珈琲に口を付けてから、カップの中で揺れる水面を見ながらグリフィスは
記憶を引っ張り出そうとする。
「どうだったかな。吸血鬼は人間よりも圧倒的に長い寿命を持つ。長く生きると
すっかり親の顔も分からなくなる…俺にはその程度の親だったということかも
知れないが」
「薄情ですね…」
「人間とは違うんだ。寿命も、思想も、力も」
見た目は二十歳ぐらい。だが彼は吸血鬼、見た目より年を取っているのだろう。
二十歳らしからぬ達観さを見せている。親の事を忘れてしまう。人間の寿命は
長くて百年程度。彼らにとっては一瞬なのだろう。死別の悲しみに慣れているのか。
「お前は慣れる必要は無い。人の死を悼み、ずっと覚えていられる…それは
人間にしか出来ない事だろう。少なくとも俺はそう考えている」
空っぽになったカップを置いた。死、人外と人間の差についての話に区切りが
ついたときにドルトンはこの家に足を運んできた。アンジュの代わりにグリフィスが
出た。するとドルトンは目を真ん丸にした。
「まっ!?先生の、ここ、恋人…ですか!?」
「ち、違います!!彼はグリフィスさんと言いましてその‥‥えー」
「学生時代の知り合いだ。有名な作家になったと知り、祝いに来たのさ」
「そう!そうです!!そうなんですぅ!」
グリフィスの言葉に便乗したアンジュ。ドルトンは「な、なるほど?」と半信半疑
ながら納得した。
「それで先生、次回作の案は浮かびましたか?」
「えぇ。ファンタジー小説にしようかなって」
「詳しく聞いても良いでしょうか」
ドルトンは食いついて来た。
「でもまだ、詳しくは言えないんです。具体的な内容は決めてなくて、でも
すぐに決めるから安心してください」
アンジュでも分かる。ドルトンの様子がおかしい。何かを気にしている様子だ。
視線はチラチラと横に向いている。アンジュの隣に座り、本を読むグリフィスを
気にしている様子だ。だがここで怪しい事は出来まいと彼はアンジュ担当の
編集者らしい話を振る。
「貴方は、先生の作品で何が好きですか」
「俺か。そうだな、彼女の作品は日常を元にしているものが多い…何が好きと
聞かれれば全てだ。この中から一つを選ぶのは難しい。逆に編集者である貴方は
どうですか」
グリフィスは聞き返した。
「そうですねぇ…デビュー作が好きですよ。その作品も読者の中では大人気でして」
やはりドルトンの様子がおかしい。顔が引きつっている。
「ドルトンさん、時間はありますか?」
「え?え、えぇありますとも」
「なら、うちでゆっくりしていってください。実は…ほら、知っての通り私は
ここでずっと一人だったのでどうも寂しくって。折角ですから、泊っても
良いですよ」
「いや、でも―はぁ、ではお言葉に甘えて…」
引き攣った笑顔をドルトンは作った。グリフィスとは何の話も無かったが彼はすぐに
アンジュの考えを読み取ってくれた。彼女は恐らくドルトンの正体をさっさと
暴くために提案したのだろう。
「先生、来週には授賞式があるのは覚えていますよね」
「あれ?来週だったっけ!?」
「そうですよ!というか、カレンダーにもしっかり書いてあるじゃないですか!」
「ほ、本当だ…忘れてた…」
「はぁ、しっかりしてくださいね。あ、私は用事があったのを思い出したので
失礼します」
「あ、そう?じゃあ次に会うのは来週ですよね」
正体を暴くまでここに留めるつもりが、無理だった。ドルトンが家を出てから
アンジュは溜息を吐いた。
「作戦失敗…」
「大丈夫だ。その授賞式、参加者は」
「受賞者とその関係者。編集者だけでなくて受賞者一人につき二人まで
招待することが出来て―あ!」
アンジュは机の引き出しの中から招待状を引っ張り出し、グリフィスに
渡した。彼はその場で封を開き中身を確認する。
「良かったら、来てください」
「ふむ…」
「もしかしたら、その悪魔もこの式典に客として来るかもしれませんよ?」
「そうだな。行くよ」
翌週、二人はその授賞式に向かう。
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