Episode 06:恋い煩うということ

 ユーリィは電話の後シンシアを同ビルの裏手にある部屋へ案内し、早朝になったら迎えに行くと告げて出て行ってしまった。

 鍵はちゃっかりとユーリィが施錠している。

 ユーリィの私室かと見回した部屋には生活臭がない。使われた形跡のない暖炉と、揃えられた茶器一式、ダブルサイズのベッド、ベロア生地のソファ。客室、或いはパーティルームか。

 壁時計は深夜零時を回っていた。

 部屋は冷え切っていたが、ユーリィが部屋を出る前にラジエーターのスイッチを入れて行ったため、もうしばらくもすれば少しは暖まるだろうか。

 シンシアはベッドへ腰掛けてしばらく考え事をしていたが、独りでは考えも纏まらず早々に思考を手放すことにした。

 

 翌朝、シンシアは珈琲の香りで目覚めた。黒のシルクシャツに黒のスーツを着込んだユーリィがソファで新聞を膝へ畳み置いて眺めている。

 遠目に見るその姿はここ連日見掛けたアレクセイの姿と何故か妙に似ていた。

 思わず昨晩の電話はホテルへの連絡で、彼がここへ迎えに来たのかと誤解する程に。


「………驚いた、あの人かと思ったわ」


「連れ戻されるだろうな、そりゃ。悪いが、もう馬を待たせてある。準備が出来たらすぐ出るぞ」


 シンシアは顔を洗って、手持ちのショルダーバッグから紅を取り出して引いた。こんなことなら化粧品だけでもちゃんと入れておくべきだった、と後悔しても遅い。髪の乱れを整えて振り返る頃、ユーリィは立ち上がってシンシアを待っていた。

 外は相変わらずの寒さで、薄っすらと花雪が舞った。表通りへ回ると、黒毛馬二頭の引く箱馬車が止まっており、黒服の男が手綱を握っていた。


「待たせた。早速だが向かってくれ。……シンシア、住所の分かるものはあるよな?」


「ええ、ここに。よろしくお願いします」


 シンシアは一枚の封筒を取り出し、馬引きの男へ手渡す。黙って頷きを返すのを合図に、二人は馬車へ乗り込み、程なくして轍の回る振動が規則的に響いた。


「ここからが長いな。あんたがおふくろさんに会った後、少しばかり俺の野暮用に付き合って欲しいんだが、いいか?」


「勿論。恩返しにもならないでしょうけれど、そのぐらい訳ないわ」


「……昨晩ずっと考えていた。会うべきか、会わざるべきか。あんたの話もそうだけど、俺自身も会うのに勇気の要る相手が居てね」


「眠れてないのね?」


 すぐさま気付くシンシアに、ユーリィは口許だけで微笑った。ジャスパーの碧眼を細める仕草、それさえアレクセイと重なって、シンシアは少しどきりとする。”彼”を意識しすぎている、そんな自分にも。


「長旅になるんでしょう、構わず休んで。停まったら知らせるわ」


 首元へ巻き付けていたケープを下ろして、シンシアはユーリィの肩へ巻き付けた。その挙動に、ユーリィは笑いながら謝意を示すように頷き、ゆっくりと瞼を閉ざす。

 飾り窓から覗く外は、一面白銀の世界で目ぼしい変化がない。しばらくの間それでも外を眺めていたシンシアだったが、そう長くは続かなかった。

 代わりに、目の前の男の容貌を眠ってるのを良いことにじっと観察した。

 瞳を閉ざしていても、十分に好い男だ。その容姿だけで異性を惹き付けられる上に、人の扱いの巧さをシンシアは初日で感じ取っていた。

 アレクセイ、あの堅物の青年にはそれが気に食わなかったようだが。

 

「あまりその眼で見つめてくれるなよ。……欲しくなる」


 不意に目を開いたユーリィは、ずっと気付いていたとばかり微笑うのでシンシアは不躾だったと自分を恥じた。


「ごめんなさい、あんまり暇だったからつい」

 

 ユーリィはそれきり眠らずにシンシアの話し相手になってくれた。

 自分のことを語るのはあまり好きじゃないが、と前置きつつ水蓮市出身であること、自身も紅眼のハーフであることを話した。


「どうして俺を頼ろうと思った? 確かに初めて会ったあの日、『何か困ったことがあったら』とは言ったが、俺はお世辞にも人助けが趣味に見えるようなナリの男じゃないだろ」


「初めは、あの人に反発的になった衝動だと思ってた。でも、あなたをじっと見ていて少しわかった気がする。あの人に……アレクセイさんに似ている気がした、から」


 ユーリィが声に出して笑う。何が可笑しかったのかが分からないシンシアは瞳を瞬く他なかった。


「俺と、坊ちゃんが? 本当にそう思ったのか。俺は娼婦の息子、肩や街有数の財閥の一人息子だぜ。それに俺はあんなに堅物でもないのにどうして」


「……失礼なことを言ってるわよね、ごめんなさい。本当に勘のようなもので、言葉には表しにくいけれど……あなたはきっと表に出してるほど軟派な人でも軽薄でもないと思うわ。現に、こうしてわたしの頼みを聞いてくれているもの」


「あんたの面白いところは、そうやって自ら信じてみせることで相手をその気にさせるところだな。何度だって言うが、俺は別に善人であろうなんて思っちゃいない。むしろ、あの坊ちゃんのような頑なな真面目になるぐらいなら死んだ方がマシだとさえ思う。紅眼の女に目がないんだ、ましてやあんたは純正のだろ。今だってどうにだってしてやれるのに、って思う気持ちは嘘じゃない。……あんたが坊ちゃんの女だとしても」


 言葉の意味を理解するのに遅れて、シンシアはきょとん、と目を丸くする。が、アレクセイの女であるという言葉にカッと顔が熱くなる。

 そんなのじゃない、と返そうとしてユーリィの言葉がそれを遮った。


「いや、”だから”なのかもな」


「……どういう意味なの。わたしとあの人はそんなんじゃないって昨日も言ったでしょう」


 紡ぐ声が震えて動揺を隠せない。意識させられすぎている、それが意図的なのか自身がそうさせているからなのかは判断できない。

 脳裏に浮かんだのは眉の険しい彼の表情で、そんな頑なな彼に何故、と思いつつふっと笑みを零してしまう。

 そんな裏腹さに、動揺は拍車が掛かって行く。

 熱い頬を窓へ寄り掛かってその冷たさで冷やした。

 ユーリィはユーリィで何か思い出すように唇に手を当てて笑みを浮かべている。


「いや、こっちの話。初々しいな、引っ搔き回したくなる。出逢いなんて単純なもんだ、その気になるかならないか。意識したかしないかだ」


 そろりとシンシアが目を上げると、視線がかち合う。楽しくて仕方がない、という態を崩さない。

 ウリンソン財閥と、彼の関係性については語られることはついになかった。シンシアの憶測では、街中に知り合いの居る時点で誰しもが知る有名人とも取れたし、個人的な何かがあるとも取れた。

 しかしその後はシークレストの話題へ移り、再び掘り返すのは気恥ずかしくなってしまった。

 そして数時間が過ぎ、ようやくと馬車が轍を止める。

 この後、シンシアは住所にあった屋敷を訪ね、母が既に鬼籍に入ったことを知る。紅眼の外人墓地のある場所の案内を受けて帰ろうとした矢先の主人の引き留めをユーリィの機転で受け流すのには大層苦労する羽目になった。

 百合の花束を花屋で用意して臨む墓地、ユーリィはちょっと言って来ると残してシンシアを置いて敷地内の何処かへ自分用の花束を手に消え、次に戻った時には寡黙になった。

 帰りの馬車の中で遅いブランチを摂りながら、車内は行きとは違った重さをシンシアは感じることになる。

 「どうしたの」、その一言を紡ぐことすらしてはいけないような空気をユーリィが醸し出していた。そしてユーリィは今度こそ瞳を伏せて眠る気配を見せたため、シンシアもそれに倣って目を閉じた。

 ユーリィの店で馬車を降りるまで沈黙は続き、逆に降りてからは少し持ち直したように彼の表情は元のように飄々としているのだった。

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