Side:C

Episode 05:ロゼリア

 アレクセイ・ウリンソンの五日目の頭痛。

 その要因となる女、シンシア・ハッセは彼をよそに夜半を過ぎて部屋を出ていた。

 目的はひとつ。今日の昼間、マーケットで出会った男、ユーリィ・ヘンゼルと連絡を取るためだった。


 フロントの傍に電話ボックスが置いてあったことは確認済み。彼女の国・シークレストならそんなまだるっこしい手段を取らずとも携帯端末のひとつで事足りるのだったが、生憎海を越えたこの国では扱う電波が通らない。

 郷に入らば郷に従え。

 そんな言葉がふと頭を過ったが、それは意図せずアレクセイ――あの硬すぎる頭の青年の声音で再生され、そんなことにひとりシンシアは腹を立てる。

 

 ――どうしてそう頑ななの。


 唇を引き結びながら、電話ボックスの中へ入り、彼女にとっては時代遅れの電話機を弄った。片手には、昼間ユーリィから貰った名刺を持って。

 数コールの後に、昼間聞いたあの男の声が短く返る。


「シンシアです。昼間、マーケットで名刺を頂いた」


「……ああ、その節はどうも。えらくお連れの気を損ねたようだけど、電話していて平気なのかな?」


 ユーリィの語気に笑みが含まれる。

 昼間のアレクセイの様子は確かに、誰から見ても少々過敏だったと言えるだろう。そして、そこから察して二人が親密な仲であると捉えられるのも仕方がないことではあった。

 シンシア自身も、それは嫌な気がしなかった。不思議なことに。


「ボディーガードを頼んだだけよ。……ねえ、この街に詳しいあなたに折り入ってお願いがあるの」


「ふうん、……タダで受けるほど俺も暇じゃない、と言いたいけれど。ちょっと興味あるな。あんたのボディーガードさんには頼まないんだろ?」


「わたしを、水蓮市に連れて行って欲しいの」


 はた、と間が開く。

 思わずシンシアは受話器を握り締める。

 音質がお世辞にもよくないため雑音が常に混ざるが、少しして感嘆するような呼気が聴こえた。


「あんたを心配する連れの気持ちが少しは分かったよ。その様子じゃえらい剣幕でどやされたんだろうな、それもまた当然だが」


「……ねえ、どうしてそう禁忌タブーのように言うの? 紅眼がそんなに不自由な理由は?」


 それは、シンシアの渾身の疑問だった。

 祖国・シークレストでは人種が多くいるあまり、紅眼であることをそこまでリスクとして扱うことはない。歴史上の記録としてこの常冬の国・ヘリオトロオプとの間で軋轢があったという事実こそあれ、その詳細は知れずにいた。そして、ヘリオトロオプ来訪に際しては差別意識がある、という点を除いてはごく他国と変わらない諸注意しかなされなかったのだった。

 

「つくづく、俺もウリンソンも紅眼と縁が切れないもんだな」


「…………えっ?」


「話せば長くなる。目を盗んで出てくることぐらいはできるな? 俺の店で話そう」


 ユーリィは手短に店の場所をシンシアに伝える。

 受話器を置いたシンシアは、フロントへは行き先を告げずにホテルを出た。昼間の巻き毛の受付係とは違い、「少し夜風に当たりたい」と一言告げるだけで良かったのは幸いだった。

 ジョシュと自ら名乗った巻き毛の男は口数が多く、遠慮なく行き先や目的を訊ねた後でベラベラと日常会話に混ぜてシンシアへの興味や関心をまっすぐに伝えて来るので、嫌な気はしないが面倒だった。

 嘘を吐くのは気持ちのいいものではない。もしここにジョシュが居たら、彼女の嘘は見抜かれていた可能性が高かった。

 ホテルを出ると夜半の街は静まり返り、音もなく花雪が降っていた。

 シークレストでは雪が降ることはない。過去に一度か二度、観測の記録こそあったがシンシアが目にするのはこの国を訪れてからが初めてだった。

 ともすれば埃のようなそれを、母国でなら傘を差したかも知れない、とぼんやり思いながらシンシアはユーリィから教わった道を歩む。

 大きな河沿いと聞いた店の場所は、道に詳しくない彼女にも見つけることは容易だった。

 目印になると言われたカフェテリアの前に、ユーリィ本人が立っていたからだ。


「少し早いけど今夜は看板にしたんだ。よその紅眼だなんて知れたら、うちの客も絡みそうだからな。無事、辿り着いたみたいでよかった」


 こっちへ、と促されて降りるのは地下へと続く階段。煉瓦ビルの地下にあるのがミルキィウェイ、彼の店だった。

 薄暗い店内はカウンターと反対側にステージのような一角がある。その隅でレコードがメロウな音楽を奏でて歌っている。

 カウンターへ手招かれ、シンシアは角の一席へ腰を下ろした。ユーリィが、ふと笑って彼女の肩に薄く積もった雪を手で払う。


「寒かったろ、何か温かいものでも淹れようか」


「お酒は出さないの?」


「野暮な男ならそうしたろうな。俺も十年若かったらそうしてあんたを口説き落とす方法に執心したろうけど。……あんたは酒に強そうだしね」

 

 平鍋へミルクを注ぎながら言うユーリィにシンシアも笑みを返した。

 大学へ進学して二年。シンシアはその見た目のか弱さや繊細さに付け込まれ酒の席に誘われることが多くあった。多くの異性は彼女がほろ酔う姿を期待したものだったが、回数を追うごとに彼女の酒への免疫は強くなる一方で、今や誰も酒で彼女を酔わせようとするような強者はいないという状況にあった。見た目で値踏みされることを嫌うシンシアにとって、ユーリィの鋭い観察眼はとても意外であり、また嬉しくもあった。


「水蓮市へはここから馬車を出して二時間強といったところだ。水蓮の知り合いに馬を出せるか掛け合ってみる。……ところで事の詳細は話してもらえるか?」


 茶葉を煮出したミルクティーを注いだマグがシンシアの前に出される頃、落ち着き払った声でユーリィは訊ねる。

 マグを指先へ添えると、熱すぎない適度な熱が冷えた指を悟らせてくれる。謝意を口にして、シンシアはまずひと口マグに唇を付けた。


「わたしの母は、シークレストからここに出稼ぎで渡ったそうなの。祖母……おばあちゃんが亡くなって初めて、母がちゃんと連絡を寄越していたことを知ったわ。それまで母は死んだとずっと言われてきたのに、タンスの中に大切にしまってあった手紙の住所が、水蓮市だった」


「ただ、それだけのために?」


「だって、そんなに大変なことだとは思わなかった。いえ……今だってどこか信じ難いわ。自分の目で確かめないと信じられないの。水蓮市は、紅眼が多く居るんでしょう? わたしはそれも知りたい」


「母親に会って、どうするんだ?」


「父の、形見を渡したくて」


 シンシアは、ショルダーバッグから封筒を取り出して、その中身をカウンターへ置いた。

 銀色のシルバープレートの付いたネックレス。それは、シークレストにおける軍事関係者が個人証明のために身に着けるドッグタグと呼ばれるものだった。

 ユーリィは一度断りを入れてからそれを手に取り、プレートの文字を確認してから元に戻した。


「……出稼ぎ先が水蓮市だってことは、恐らく貴族飼いのハウスメイドだろうな。娼婦……という線もまあまあにあるんだが。そういう現実を目の当たりにする覚悟はできてるんだな? あの街じゃ紅眼はその心身を人に売ることでしか生きられない。俺の愛した女もそうだったように」


 ユーリィの声色は重い。覚悟を問う眼差しをシンシアへまっすぐ向けながら、グラスへ氷塊と洋酒を注いで彼女の返事を待った。

 

「なぜ、この国の紅眼はそんな扱いを?」


「容姿の物珍しさが第一だな。俺も詳しく知っている訳じゃないが、紅眼は女の方が遺伝子を強く持っていると聞く。女の人口が多いということだ。シークレストから連れ帰った貴族が自慢して回って、大方奴隷商がそこに目を付けたんだろう。女娼を育てる娼館ができ、そこから囲う貴族が少なくなかった。美しさは容姿だけの話じゃあない。……感情に呼応するようにその瞳は淡く輝くそうだ」


 酒を煽ったユーリィがシンシアの頬へ手を伸ばす。そこで初めてシンシアは薄っすらと危機を覚えた。目の前の男の瞳は、それまでと打って変わった好奇に満ち満ちているように見えたからだ。それはかつて彼女を酔わせようとしてきた男たちの抱いた欲情にも似ている、と感じられる。

 ユーリィの手を、無言で払い除ける。


「あんたみたいな純血種、昨今じゃそうお目に掛かれない。もう、国を跨いでの売買ができないからな、今この国に居る紅眼の凡そはヘリオトロオプ人とのハーフばかりだ。……さぞ、あんたは高値が付くだろうな」


 振り払われた手を戻し撫でて、ユーリィは喉で笑う。懐かしむように虚空を見つめてからもう一度酒を煽って、湿った自分の唇を指で拭うその姿が妙に艶めかしいのはシンシアには気のせいではない気がしていた。


「つまり、わたしという存在がそれだけ異質で、知る人に取っては格好の獲物、ということなのね」


「俺も出来た男じゃないからな、あんたを欲しがってもおかしかァない。……そういう街だ。あんたのボディーガードの警戒さはそう異常じゃないってことは、覚えておいた方がいいぜ。さあ、どうする?」


 この事実を知った上で、それでも行くのか?


 ユーリィは瞳で訊ね、シンシアの言葉を待った。

 シンシアは狼狽える。今この空間で彼が自分を襲うようなことがあったとして、それを助けられる者はいないということと、それが他人の感情ひとつで起こるかもしれないという事実は、シンシアにとって全くの盲点だった。

 自身の甘さをようやく少しは認識して、あの仏頂面の青年がいかに真っ当に、真摯に当たってくれていたのかへ思いを馳せる。

 しかし、それでもこの機会を逃しては、恐らくもう二度とはこの地へ訪れる勇気もない。


「……ユーリィ、お願い。わたしを水蓮市へ連れて行って」


 賭け、かもしれなかった。

 それでもシンシアは自身の人を見る目を信じることにした。

 ユーリィは、やっぱりなという態で小さく息を吐き、グラスを置いて壁際に備え付けられた電話機を使ってどこかへ連絡を取った。

 足の準備だろう。シンシアもホッとひとまず息を吐いて、冷めてしまったミルクティを口にした。

 冷めてもなお芳醇な香りが、尖った神経を落ち着かせる。


 大丈夫。きっと上手く行く。


 言い聞かせてながら、シンシアは時を待った。

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