第7話 前世では
十三歳になって、魔術学校に通い始めた。
普通ならこの年齢から色々な魔術を習い始めるのだけれど、わたしはお父様にお願いしてもう闇属性の初級魔術は使えるようになっていた。悪役令嬢たるもの、ヒロインの強敵になるべく努力はしなくては。
そう考えての行動だったけれど、入学式当日から、若干の困惑を覚えるイベントがあった。
「あの! もしかして、なんですが!」
そう目をキラキラさせてわたしに声をかけてきたのは、ヒロインであるローリィである。
入学式が行われる講堂の入り口で、真新しい制服に身を包んだわたしの前に勢いよく飛び出してきた彼女は、凄い勢いで頭を下げて言った。
「いきなりすみません! もしかしたら以前、わたしを助けていただいたことがあったかもしれなくて! ずっと、同じ魔力を持つ方を探していたんです!」
「あら、気のせいでなくて?」
講堂の入り口でこんなことをやっているので、さすがに目立つ。それにわたし、悪役令嬢になるためにちょっと派手にきつめのメイクしているし。
講堂の中に入って行こうとする生徒たちが胡乱そうにこちらを見ているのが妙に心地悪くて、わたしはさりげなく彼女を入り口から引き剥がして廊下の隅に連れて行った。
「どうしてもお礼が言いたくて、探していました。きっとあなた様ですよね? あの時は本当にありがとうございました!」
「気のせいよ。わたしにそんな覚えはないし、こんなところで無駄に話をしているくらいなら早く中に入ったらどうかしら」
「そ、そうですね」
えへへ、と頭を掻きながら笑う彼女は、やっぱり平民らしい無邪気さがあって可愛らしい。ちょっとだけ寝ぐせがついた髪の毛なのも、ご愛敬というものだろう。
でも。
そう言えば、ゲームなら講堂の入り口でヒロインのローリィとディオン殿下がぶつかって、そこで運命を感じる時間が流れるはずなのだけれど――それはもう、終わってしまったのだろうか。
わたしはさりげなく辺りを見回したけれど、ディオンの姿は見つからなかった。
ゲームの画面では見られなかった、魔術学校の細部。由緒ある学園ということもあって建物自体は年季が入っていたものの、掃除が行き届いているから何もかもが美しく見える。まるで、どこかのアミューズメントパークみたいだと思う。柱に入っている彫刻ですら、洗練されている。
何だか唐突に、この世界の見え方が変わった気がした。今まで夢の中にいたような、浮ついた感覚が頭のどこかにあったのに、目が覚めたような不思議な感覚。
そして、気が付けば校内のいたるところにつけられている魔道具らしいスピーカーから、アナウンスが流れて我に返る。
『新入生は講堂に集まってください。十分後に入学式を開始いたします』
「ほら、遅れるわよ」
わたしがローリィを促すと、「はい!」と子犬のような無邪気な目でわたしを見つめた彼女は、浮かれたような足取りでわたしの横に並んで歩きだしたのだった。
「フラン」
そこでやっと、いつの間にか入り口に立っていた殿下を見つけた。十三歳のディオン殿下。わたしたちと同じく、真新しい制服に身を包んだ彼は凄く大人びて見えた。とても十三歳には見えない。
彼の姿に気づいた他の生徒たちも、何やらそわそわとした様子でこちらを見つめている。特に、女の子たちからの視線が熱い。
「ごきげんよう、ディオン殿下」
わたしが笑顔でそう言うと、彼は静かにこちらに手を伸ばしてきた。まるで、エスコートでもしてくれるみたいに。
っていうか、エスコート?
わたしに?
わたしは少しだけ硬直して、隣に立つローリィに視線を投げた。きっと、わたしの横で恋に落ちる少女を見つけるのだろうと思ったから。
でも。
わたしが意外に思うほど、ローリィの視線は冷めていたというか――わたしに向けられるキラキラ感がなかったというか。
「お迎えなんですね! では、わたしはここで! 同じクラスになれるといいですね!」
ローリィは殿下に対しては何の興味も示さず、ただわたしにそう笑いかけて先に講堂の中に入って行ってしまった。
それをぼけっと見送ったわたしに、ディオンはさらに言う。
「ほら。早く」
「ええと……」
宙に浮いている彼の手を、わたしはそこで取った。おかしいな、と首を捻りながら指定された椅子を探して歩く。そして、空いていた二つの椅子の前に並んで立つと、ディオン殿下が小さく囁いた。
「運命を感じることはなかったかな」
「え、嘘」
「嘘をついてどうするの」
「だって」
ゲームでは。
そう言ったら駄目だっていうのは解っている。
でも、じゃあ。
何でわたしはこの世界に生まれ変わったんだろう。悪役令嬢として生きるため、その運命に巻き込まれたからじゃないの?
どうしてわたしはここにいるの?
前世では――。
『村瀬は女として見られないんだよなー』
彼はある時、そう言った。
彼の名前は何だっただろう。会社の同僚で、いつも悪態を吐き合う関係だった。背が高くて、顔立ちは整っているけれどとにかく口が悪い。
でも、映画とか読んでいる本とか漫画とか、趣味が合っていたからお互いに貸し合ったりしていた。お互い何でも口に出すけれど仲が悪いわけじゃないし、悪友みたいなものだと思っていた。
多分、彼もそうだったと思う。
だからわたしも言ったのだ。
「あんただって男として見られないけどねー」
わたしはそれまで、誰とも付き合ったことがなかった。自分でもガサツな性格だというのは理解していたし、女らしさがないことも知っていた。休日の時はTシャツとジーパンで過ごしていたし、暇さえあれば一人でジムに通うだけの毎日。
恋愛に興味がなかったわけじゃない。テレビの中の芸能人にときめくことはあった。いや、それだけしかなかった。身近な人間に心を奪われる自分なんて想像もできないから、気づかなかった。
「俺、彼女できたんだ。だからさ、彼女に悪いし村瀬とは……いやほら、村瀬だって生物学的に女じゃん? 連絡取り合うのは彼女に悪いって思うからさ」
彼が居心地悪そうに言ったその時、わたしは普通に「何だ、おめでとう! 了解!」って笑ったと思う。でも。
その後から、凄く……毎日がつまらなく感じるようになった。
意味が解らない。毎朝、ベッドから起き上がるのも面倒になって、それまで好きだったジム通いもやめて、映画も漫画も興味が持てなくなった。
だから、仕事だけ頑張った。忙しい職場だったから、出勤してしまえば一日はあっという間に終わったし、私生活が楽しくなくなったのは、仕事疲れが原因だと誤解することができた。
わたしは馬鹿だ。
彼が結婚を決めたと会社内で伝えた時、やっと自分が失恋したのだと気づいた。もしかしたら彼が彼女と別れて、暇ができたらまた連絡してくるんじゃないかと期待して――それが本当に浅ましく感じて、自分のことが嫌いになった。
ああ、わたしは恋愛に向いていない。
そう自覚したから、それからは芸能人にしか興味を持たないようにしていた。現実の寂しさを忘れさせてくれる、キラキラしたステージ、派手なコンサートは特に好きで。だから。
ジョウ様のコンサートは、日程が合えば母親と一緒に行った。
それは楽しかったけれど、心に空いた穴を埋めるために必要な、代替行為みたいな感じだったんだ。
わたしって。
「わたしって、本当、馬鹿だなあ」
つい、そんな言葉が口から滑り出た。
いつの間にか入学式は随分と進んでいて、舞台上に上がった学校長、他の先生たち、学校役員たちの挨拶も終わろうとしている。
「君が馬鹿なのは僕が一番よく知ってる」
わたしの独り言が聞こえたようで、隣から苦笑交じりのディオンの声が響いた。
何よそれ、とわたしは彼を睨もうとした。自分が自分のことを馬鹿だというのはいいけど、他人から言われるのはムカつくという、自分勝手な感情である。
でも。
「知っているから、放っておけないんだよ」
そこにあった彼の視線は、わたしじゃなくて講堂の舞台の上に向けられたままだったけれど、その横顔は優しかったと思う。だから文句は言えなかった。そして、胸の奥がざわついて居心地が悪かった。
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