第6話 満足した?

 あれからディオン殿下との関係は微妙だ。二人だけのお茶会でも、あまり会話が弾まない。

 でもこれって、ゲームの通りに進んでいるとも言える。わたしたちは不仲であるという設定なのだから。


 十三歳になると、わたしたちは三年間、魔術学校に通うことになっている。わたしと殿下が通う予定の王都立魔術学校は、貴族や平民問わず通えるが、事前の魔力測定で基準値を超えた魔力を持った人間しか行けない場所だ。

 平民であるローリィは、他の人たちよりも遥かに膨大な魔力を持っているから入学できるのだけれど。


 入学前のこの時期、まだガーディアンとして育ち切っていない仔狼と暮らしている状態で、黒い魔物に襲われるイベントがあった。これもまた、そこそこの難易度があって、ゲームが普通に下手なわたしは何度もやり直したんだっけ。

 だから心配なんだよね。


 わたしは定期的に、ローリィの近況を調べさせている。

 どうやらわたしの狙い通り、孤児院の生活環境がよくなったことで虐めが軽いものになったみたいだ。光属性のローリィを狙った闇の魔物の襲撃はあっても、命の危険を感じるほど酷いものはないようで、笑顔の多い生活をしているみたい。

 ただ、学校入学前の新月の夜――ゲームの中では闇月の夜と呼ばれていたけれど――に、かなり強い魔物に襲われるイベントがあったのが気になっていた。

 あのイベントさえ終われば、次は時間が飛んで学校が舞台になるから、そうすれば少しは安心できるかな。


 そんなことを考えながら、わたしは自分の屋敷の部屋の窓から暗くなりかけの空を見上げていた。

 予定で言えば、今夜は闇月の夜。イベントが起きるかもしれない夜だ。

 ローリィは上手く闇の魔物を追い払うことができるだろうか。

 どうしても、どうしても気になってしまって、わたしは小声でガーディアンを呼び出した。

「先生」

 以前のわたしだったら、もっとノリノリで言えたんだと思う。でも、ディオンの悲しそうな顔を思い出してしまうと、何をしているんだろうって我に返ってしまう。だから、これからわたしがやろうとしていることも、後ろめたい感じがした。


 ガーディアン――般若面の先生は、音もなくわたしの横に立ってくれた。わたしと一緒に、夜空を見上げてくれる。

「気になるから、ローリィの様子を見てきて欲しいの。ええと、忍者軍団に?」

 何故か自分でも疑問形でそう言って、先生も僅かに首を傾げる。多分それは、主であるわたしの迷いが彼に伝染しているからだ。

 わたしはそう気づくと、ぷるぷると軽く頭を振って気合を入れ直した。

「忍者軍団に命令して、ローリィをさりげなく助けてきてちょうだい」

 今度は完全な命令に近い響きになったため、先生はこくりと頷いて軽く右手を上げた。月が出ていないとはいえ、部屋の明かりで先生の足元には影ができている。そこから次々に黒い影が飛び出して、目にもとまらぬ速さで庭へ、そして屋敷の外へと向かっていった。きっと、そんなに時間もかかからず、ローリィを見つけ出してくれるだろう。


 調査してもらった結果、聞こえてくる彼女の人となりは、本当にいい子らしい。

 ゲームと同じように、努力家で誰からも好意を抱かれるような、凄く良い子なんだっていう。


 実際に会ってみたいな、と唐突に思ってしまった。

 ディオン殿下の恋の相手だもの、実際に目の前にしたら完全敗北を知るのかもしれない。この子には敵わないって本能で理解するのかもしれない。

 でも、わたしは悪役令嬢だから――どうやっても彼女と戦う羽目に陥るんだろうなあ。それがわたしの運命だ。


 よし、行ってみよう。

 わたしは拳を握りしめ、そう決めた。

 影からこっそり彼女を見て、学校で彼女と戦うための気合を入れ直すのだ。そうしないと、以前の自分に戻れない気がした。

 悪役令嬢になるんだと決めた七歳の自分。

 ディオン殿下のことが気になって仕方ない、今の自分を切り捨てるために必要な行動だと――思った。


 先生は有能だった。

 わたしをお姫様だっこで抱え上げた先生は、すっかり暗くなった王都の街を凄まじい勢いで駆け抜けていく。たくさんの家の屋根を越えて、目的地まであっという間。


 それは、ローリィが暮らしている孤児院の傍の狭い路地。

 食糧の買い出しの帰りなのだろう、大きな袋を持って歩いていた時に闇の魔物に襲われたのか、破けた袋と野菜が地面に転がっていた。

 ゲームの都合なのか、辺りに人通りはない。近くにある家々には明かりが灯っていても、路地の片隅で悲鳴を上げているローリィの存在には誰も気づいていないから、家の外に出てくる人間もいない。

 そして、ローリィは巨大な黒い影を目の前に、必死に逃げ続けていた。


 まだ学校で光魔術を習っていないから、攻撃をすることができない。だから彼女ができるのは魔物の攻撃を避けることだけ。その魔物の攻撃は、自分の靄みたいな黒い身体から炎の塊を吐き出すようなものだった。

 炎の塊は意思を持ってローリィを追い、上手く避けてもさらに彼女を追尾する。そして、上手く攻撃を躱している時に炎が魔物に向かうよう、狙わなくてはならないのだ。


 わたしは彼女の様子を、少し離れた建物の屋根の上から先生と一緒に見下ろしていた。そして気が付けば、忍者軍団も色々な場所からそれを窺っている。いざ危険とみれば、いつでも援護できるように、と。


 でも。

 本当に可愛い子だった。理想的なヒロイン像そのままの少女が目の前にいて、悲鳴を上げて逃げ惑っている。まだ小さな彼女のガーディアンも必死に戦おうとしているけれど力量の差は圧倒的で、少しずつ追い詰められていく。それでも、ローリィの目には諦めるなんて意思は見えない。ただ必死に逃げて、チャンスを窺う。

 それでも、転んだりしたら怪我もするし、服も汚れる。毎日必死に生きているであろう彼女の姿は、やっぱりゲームの登場人物ではなくて実在している熱量を放っているのだ。

 だから。

 見ているだけのつもりだったけど、実際に見てしまうと助けないというのは言語道断であって――。


「先生! お願いします!」

 わたしはそう、頼んでしまっていたのだった。


 助けるのは本当に一瞬で終わった。

 わたしのガーディアン――先生が腰から抜いた日本刀を一閃させ、黒い魔物をあっさりと消し去る。忍者軍団の出番なんてどこにもなかった。先生は暗闇に溶けたように身を隠し、ローリィと彼女のガーディアンが困惑している間に全部片が付いた。


 本当なら。

 少し前の自分であったなら、ノリノリで名乗りを上げていたのかもしれない。

 悪役令嬢らしく、高笑いの演技をしつつ宣言していたのかも。

『せいぜい這い上がってらっしゃい!』とか、『こんなに弱々しいのでしたら、わたくしの敵ではありませんわね!』とか言っていたかも。


 でも、今のわたしは何も口にすることができず、先生と忍者軍団を呼び戻して無言のまま踵を返すだけだった。だから、ローリィがわたしの魔力を察知して建物の屋根の上を見上げていたことも気づかなかった。

 そして、自分でもどうして気分が沈んでいるのか解らないままクローズ家に戻り、そこで玄関先にディオン殿下の姿を見つけた時、当惑の表情を浮かべてしまった。


「どうしてここに? 何かございました?」

 わたしはその時、先生に抱きかかえられていた状態だったので、すぐに地面に下ろしてもらって礼儀正しくカーテシーをしたのだけれど、髪の毛は乱れているしドレスだって室内着に近い質素なものだった。だから急激に恥ずかしくなってしまって、慌てて辺りを見回した。

 誰かに助けを求めたいのに、玄関先にいた我が屋敷の召使たちは無言で見守っているだけだったし、お父様の姿はないし……どうしたらいいのか解らない。


 やがて、ディオン殿下は言った。

「満足した?」

「え?」

 わたしはそこで眉根を寄せて彼を見つめた。

 暗いからあまり彼の表情ははっきりと見えなかったのだけれど、それでも、声音だけで彼がわたしのことを心配しているようだということは伝わってきた。

「僕のガーディアンだって、君を見張ることができるんだよ。君が屋敷を出て行ったと、そして例の少女を助けたようだと知った。それで君は満足したの?」


 満足したか、と訊かれたら。


「満足、しましたわ」

 そう応えるしかできない。

 すると、ディオン殿下は「そう」と言っただけで、わたしの横をすり抜けて歩いて行ってしまった。


 まともに会話できないってことが、凄くつらいな、と思った。

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