第3話 ガーディアンの卵

「……あのさ、フランセット嬢」

「何でしょうか、ディオン殿下」

「僕の皿にピーマンを投げ込むの、やめてくれないかな。嫌いなんだ」

「だからですわよ? だってわたしは悪役令嬢だから、殿下の嫌がることは何でもします!」


 そんな会話をしているわたしは、今日、十歳の誕生日を迎えていた。

 昨日の夜は、遠足を心待ちにしている小学生よろしくほとんど眠れなかったけれど、目覚めはすっきりしていた。お腹も空いたし、朝からがっつりと厚切りベーコンと目玉焼き、山盛りサラダを所望したい、なんて思いながら侍女に身支度を整えてもらって部屋を出た。

 その直後、家令がわたしの目の前に立って言ったのだ。

「ディオン・シルヴェストル殿下がお越しです」


 何で?

 と、素で首を傾げながらも、空腹のまま応接室へと向かえば、相変わらずキラキラオーラ漂うこの国の第二王子殿下が優雅にお茶を飲んでいた。わたしが十歳になったということは、目の前の王子殿下も十歳。初めて出会った時よりも身長が伸び、ゲームの中で見た一枚絵の姿にちょっと近づいた。つまり、王道的なヒーローというか、そんな感じ。

 でも、朝っぱらからいきなりわたしの屋敷に押しかけてくるのは――。


「事前に連絡をいただきたかった」

 わたしが口を開く前に、わたしのすぐ後ろで地を這うような声が響いた。

「お父様」

 振り返るとそこには、わたしと同じ漆黒の長い髪、吊り上がった切れ長の黒い瞳を持つ父の姿があった。闇魔術の使い手として名を馳せている、ジークハルト・クローズである。

 まあ、一言で言うと超絶イケメンだよね。ゲームのキャラクターだもの、子持ちとは思えない若々しさ。ただし、見た目は魔王そのもので、苛立っている時なんかは禍々しいオーラが出てる気がする。今もそうなのだけれど、ディオンは何も気にした様子もなくソファから立ち上がって優雅な仕草で頭を下げた。

「申し訳ありません。今日、神殿に行かれると聞いたので、ぜひ付き添わせていただこうと」

 主君の息子とその臣下。力関係はディオンが上だから、本当は父に頭を下げる必要なんてはいはずなんだけれどなあ。

 我が家の魔王様は全くの無言でディオンを見つめた後。


 何故か、朝食を三人で取ることになっていた。


「何故、一緒に行こうと思われたんですの?」

 わたしはテーブルの上に置かれた山盛りサラダの皿から、ピーマンだけ抜き出して殿下の皿に移した後、本題に入った。

「君は何かしでかしそうだと思ったから、見張るべきだと思って」

 ディオン殿下は鼻の上に皺を寄せてピーマンを睨み、小さく返す。

 酷い。

 何かしでかすってどういう意味?

 わたしは殿下を睨みつけようと思ったけれど、視界の隅にお父様の姿が見えて居住まいを正す。このクローズ家の主として、大きなテーブルの奥に座っているお父様は、食事の手をとめてわたしたちの姿を見つめ続けていた。

「お父様がご一緒してくださいますから、色々な意味で安全ですけども」

「それでも、だよ」

「うー」


 犬のように威嚇の唸り声を上げそうになった。というか上げた。

 お父様の目が鋭く細められて、不機嫌さを示す暗黒のオーラが背中に漂った気がした。危ない危ない。


 というのも、お父様はわたしを溺愛している。だから本当はわたしのことを手放したくなかったらしく、ディオン殿下の婚約も喜んではいなかった。何か問題があればいつでも婚約は解消させると言っている。

 だって、わたしが五歳の時に亡くなったお母様のことを、お父様は本当に愛していたから。

 お父様は基本的に無表情で、一見、何を考えているのか解らない人だ。でも、お母様が亡くなってから、それ以前よりも過保護になった。多分それは、お母様の死によって『恐怖』という感情を知ったから。お母様だけじゃなく、わたしのことも失いたくないと思っているからだ。


 だから、『光の乙女とガーディアン』というゲームの中で、お父様は真のラスボスとして存在していた。


 わたしは――フランセット・クローズは、ゲームの中で主人公を虐げていた。ローリィと殿下の恋を引き裂く悪役令嬢として存在し、ストーリーの終盤で闇落ちして二人を殺そうとする。

 その際、ローリィと殿下は協力し合ってわたしを倒す。

 倒すというのは、殺す、ということ。

 わたしは死ぬのだ。死ななくてはいけない。だってそれが二人のハッピーエンドのためには避けて通れない道だから。

 そして、わたしを倒した後で真のラスボスが登場する。それが愛娘フランセットの死を知ったお父様だ。お父様の闇魔術が暴走し闇に呑まれて魔物化してしまい、この国が滅びの脅威に脅かされるのだけれど、それも二人が阻止して終わる。


 つまり。

 最終的にはお父様も死んでしまう。


 それを考えると、ちょっとつらい。

 目の前にいるお父様は確かにわたしを溺愛しているけれど、ただそれだけだ。

 わたしを愛していなければ、あんなエンディングにはいかないのかもしれない。


 ――そう、わたしを愛していなければ。


 ゲームの中でわたしはとんでもない悪役だったというのに、それでも愛してくれた。どうすれば嫌われるんだろう。どうすれば、わたしの死を知っても魔物化せずに平静でいてくれるんだろう。

 だって、ローリィとディオンが結ばれるのは、わたしの死というイベントだけでも充分なんだし、お父様がそれに巻き込まれるなんて必要ないはずだ。

 前世の記憶を取り戻してから解決方法をずっと考えているけれど、解らない。


 嫌われるために幾度か試してみたんだけどな。お父様と距離を取って、反抗期の女の子っぽく冷たい言葉を向けたこともあったけど……そういう時だけ、お父様の無表情が壊れて悲しそうな顔をするから。

 結局、わたしは負けてしまうのだ。お父様に酷いことを言ったことを謝って、甘えてしまうのだ。そして訳の分からない自己嫌悪に陥る。困ったものだ。

 わたしはただ、この世界で楽しく生きていきたいだけなのに。


「……だから、助言もできると思うし……フラン?」

 そこで、殿下の台詞が途切れ途切れに聞こえて我に返った。そう言えば、殿下はたまにわたしのことを愛称で呼ぶ。不仲のはずなんだけど、これも納得いかない。

「……ええと、すみません、聞いていませんでしたわ」

 できるだけ高慢に見えるよう、小首を傾げてふっと笑ったけれど、ディオン殿下の表情は穏やかなままだった。

「うん。だから、僕は君より先に神殿で祝福を受けてガーディアンの卵を受け取ってきたし、その時の経験から少しは助言ができると思ったんだ。ほら、これが僕の卵だよ」

 そう微笑んだ彼の右手の上に、魔力が集められるのが解った。

 青白く輝く光と共に出現したのは、表面に美しく細かい模様の入ったガーディアンの卵だ。孵化するまでは、持ち主の体内で魔力を吸って育つんだという。

「少しずつ大きくなってるんだけど、どうやら魔力が多い主なら、育つのも孵化するのも早いらしいね。父上からそう聞いたよ」

「陛下から?」

 思わずわたしがそこに食いつくと、ディオンが苦々し気に目を細めた。

「……相変わらず、フランセット嬢は父上の話を聞くと目の色が変わるよね」

「だって、格好いいお方ですもの! 気高さの塊とは陛下のことです。気品あふれる、まさにこの国を統治するのに素晴らしいカリスマをお持ちの方!」

 思わず両手を胸の前で組んでそう返すと、お父様の方向から暗いオーラが飛んできた気がした。気のせいだと信じてそっちの方向は見ないでおこう。


 ゲームの中では、ディオン殿下のガーディアンは翼を持った金色の獅子だった。そして、お父様のガーディアンは黒いドラゴン。

 わたしのガーディアンは――。


 巨大な蛇だった。

 アナコンダみたいな、凄く怖い感じのやつ。

 これは納得いかない。

 そうだ、それだけは何とかしないといけない。


 だってわたし、蛇が怖いんだもの。絶対に厭なんだもの。前世で見たホラー映画で、人々が巨大な蛇に襲われていくやつがあったと思うけど、あれってファンタジーじゃなかったんだよ。現実に、ああいう人間を襲って食べてしまうような、巨大な蛇がいるんだよ。そして、力の弱い小動物だったり、子供たちが狙われたりするの。獲物を丸吞みしてゆっくりじっくり消化していく……なんてことを思い浮かべたら、どうしても無理になってしまった。怖い。本当に怖い。


「……助言というなら、生まれてくるガーディアンを選ぶにはどうしたらいいか、ご存知ですか?」

「選ぶ?」

 わたしの問いに、ディオンが首を傾げた。そしてわたしは、その手のひらの上にあった卵が淡い光と共に手のひらの中に吸い込まれていくのを見守る。


「……強い願いだ」

 応えてくれたのは、お父様だった。

 視線をそちらに向けると、いつもの無表情の父が静かに言葉を続けた。

「ガーディアンは主を守るものであり、主の願いを叶えてくれる存在だ。何も願わなかったとしても、主の心の中に住む『強さの象徴』の形を取るものだが、孵化する前に心の底から願えば、その通りに具現化すると言われている」


 ――心の底から願えば。


 そうか。

 さすがお父様、何でも知っている!

 わたしは思わず安堵してお父様に微笑んだ。

「ありがとうございます! やってみます!」

 そう言ったわたしを見つめながら、ディオンが「何をやるの?」と低く言ったのは聞こえなかったことにした。

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