第2話 あの星に誓う

「ゲームの世界? ここが?」

 キラキラ王子様、ディオンがきょとんとしてわたしを見つめている。

「そうなんです。最初から説明しますね」

 わたしは胸の前で手を組んで、思い出したばかりのゲームの記憶を余すことなく語ることにしたのだった。


 わたしたちは今、お見合いでよくある展開、『後は若い二人で』とばかりに王城の中庭に放り出されている。

 春先の心地よい日差し、僅かにそよぐ風、新緑の葉が茂る中庭。目に見えるもの全て、隅々まで手入れが行き届いているんだから、王城って凄い。わたしたちがいるのは、迷路みたいな庭園の入り口にある噴水の前だ。太陽の光が反射して輝く水しぶきを見つめながら、ゆっくり歩いていた。

 そして、わたしは全部話したのだ。

 前世で遊んだことのある、ゲームの話を。


 このゲームの主人公はローリィという名前の少女である。

 美しく輝く白銀の髪の毛と、淡い緑色の瞳、ピンク色の唇を持った理想的な美少女、それが彼女。孤児院で育ち、そこで他の年頃の女の子から虐められる。だって、もの凄い美少女だから。嫉妬というのは恐ろしい。

 孤児院の仕事は全部彼女に押し付けられ、食事だって年上の子に奪われて痩せ細ってしまっている。何と言うか、シンデレラみたい。

 そんな彼女は、子供の頃から悪夢に悩まされている。黒い影に襲われる夢。最初は、その黒い影の攻撃から逃げ回ることしかできない。その攻撃を受ければどんどんHPが減っていき、最終的にゼロになってしまったらゲームオーバー。


「でも、わたしたちは十歳になったら神殿に行って祝福を受けますよね?」

 わたしはそこで、ディオンに向き直って続けた。「そこで、ガーディアンの卵を受け取って育てるじゃないですか。ガーディアンが生まれて初めて、その黒い影に反撃できるようになるんです。そこからどんどんゲームの難易度が高くなるんですけど、ローリィは頑張るんですよ! 向上心のある女の子だから!」

「……それで?」

 ディオンはどこか釈然としていないような表情をしていたけれど、わたしの話を黙って聞くことにしたみたいだ。簡単な相槌を打って、わたしの次の言葉を待っている。


 こうやって説明をしていると、細部までどんどん思い出せるようになる。

 だから、ついわたしの話にも熱が入るというもので。


「ローリィのガーディアンって、もの凄くかっこ可愛いんですよ! ローリィの髪の毛の色と同じで、輝く白銀の狼! すっごいもっふもふで、犬好きな人間だったら一目でヘソ天で降参するってくらい、神々しくて。それに、額に高位のガーディアンしか得られない紋章も入っていて、見た目で『選ばれし光の乙女』って解るんです。光の乙女、光属性の魔術を使える人間がほとんどいないこのご時世というか、この国には重要なファクターとなる女の子です! そんなの、シルヴェストル王国としては絶対に手に入れなければいけないじゃないですか!? そんな彼女と殿下が魔術学園で出会い、運命の恋を育てていく! でも、殿下の婚約者である悪役令嬢のフランセット・クローズが隙あらば邪魔してきて、恋の行方は波乱万丈、ああ、まさに王道のストーリー展開!」

「……ごめんね、ついていけない。ええと、ヘソテン? ファク……何?」

 ディオン殿下のキラキラオーラが少しだけ弱まった気がした。ヘソ天とかファクターとか通じないの、この世界。日本人が作ったフリーゲームの世界なんだから、その辺りは判定ガバガバで伝わって欲しかったんだけど。

 ディオンは小さくため息をこぼしてから、改めて口を開いた。

「あの、さっきの話に出てた殿下ってどこの殿下?」

「何おっしゃってるんですか、ディオン殿下、あなた様です」

 そうだ、目の前にいるキラキラ王子様。

 うっかり忘れそうになっていた、淑女らしい言葉選びを思い出さねばならない。砕けた口調、親しみやすい言葉は駄目だ。だってわたしは悪役令嬢。それはもう、高飛車な厭な女!

「あなた様には運命の女性がいらっしゃるということですわね!」

 そうだ、ですわ口調を思い出そう。これよこれ、フランセット・クローズの話し方、笑い方。

 でも、ディオンは困惑の色を瞳に浮かべたまま、そんなわたしの心意気など気づいていないようだ。

「えええ? でも、今日はフランセット嬢、あなたとの顔合わせで……今、婚約者になるかならないかという話が出てるよね?」

「そんなの形だけですよ、形だけ」

「えええ? でも、君は何も思うところはないの? 僕と結婚したら王子妃だし、まあ、第二王子だから王妃にはなれないけど、それでも普通だったら……」

「あ、そういうの、わたし興味ないので!」

「えええええ」


 何故、そんなに不満そうなのか。

 貴族の……というか、王族の結婚なんてものは義務と打算の上に成り立っている。

 シルヴェストルの国王陛下の目的は、我がクローズ家……というかわたしの父の魔術の腕を必要としているから、逃がさないためにも自分の息子とわたしを結婚させようとしているだけだ。


「あ、もしかしてさっきの話。ローリィが孤児院育ちだっていうことを心配されてます? でも、光の魔術、光属性のガーディアン持ちの彼女だったら、陛下も納得されると思いますよ? 実際、ハッピーエンドで二人は結ばれるんですから!」

「え、いや……うん」

 わたしがぐい、とディオンの顔の前に身を乗り出して言うと、若干引き気味に眉根を寄せた彼は低く唸る。

「大丈夫ですよ殿下! わたし、ストーリーの展開上お二人の邪魔をしますが、お二人が結ばれるのを応援しますから!」


「何で?」


 そう言ったディオンの声は、僅かに冷えていたと思う。

 わたしが応援すると言ったのに、疑っているのだろうか。まあ、悪人顔だから仕方ないかな。少しだけわたしは自分の両頬に手を当ててむにむにと引っ張ってから、無邪気に見えるような笑顔を作って見せた。でも、鏡が欲しいな。悪人顔が笑っても、やっぱり悪い笑顔だよね……。

 今はこれが精一杯だ。うん。諦めよう。

 だからせめて熱意だけ伝われ!


「だって、わたしはローリィに感情移入してますから! 悪女のフランセット・クローズは、あまり好きじゃなかったし、どうでもいいんです」


 わたしはローリィとしてこのゲームを遊んだ。ローリィとして物語を進めてエンディングを迎えた。だから、どうやっても主人公側の目線になってしまうのが当たり前だ。

 それに、ゲームの中でフランセット・クローズは悪女のまま死ぬ。

 せめてヒロインに倒されて、改心して謝罪でもしてたら違ったんだろうけど、最後の最後まで悪人のままだったからね。


「わたしという存在は、お二人の恋心を育てるイベントに必須の存在です。いわば、料理に添えられたパセリとかバジルとかシソのようなもの。あれば料理は引き立ちますが、メインにはなり得ない、そういう存在なんです。だからご安心を!」

「え? 何を安心?」

 もうその頃には、ディオンの表情からは笑顔なんて完全に消えていて、疲労感しか浮かんでいなかった。

 まあ、急にこんなことを言われて彼も理解の許容量を超えているんだろうと思う。

 普通は、自分がゲームの世界の人間だなんて言われて信じないだろうし。わたしが変人……いや、頭のおかしい奴だとでも考えているのかも。

 でも、それでいい。それでいいのだ!

 我々は仲良くなる必要はない。ゲームの中でも不仲だった!


 そこでわたしは思わず、淑女だったら絶対にやらない行動を取る。

 つまり、噴水の縁に右足をかけて、空を指さしながら叫んだ。


「わたしはあの星に誓いますわ! 完璧な悪役令嬢となって、お二人の運命の恋を育て上げることを!」

「……星、出てないけどね」

 ディオンが平坦な声で言うのが小さく聞こえたけれど気にしない。気にしないのだ!

「心の綺麗な人間にしか見えない星なのです!」

「悪役令嬢なのに?」

「心の汚い人間にしか見えない星なのです!」

「フランセット嬢……」


 ふっふっふ、とわたしは笑いながら拳を握りしめる。

 そうだ、わたしは完璧な悪役となろう。まずは、ヒロインの宿敵となるべく、あのゲームの中で凄まじい攻撃をしてきたフランセット・クローズとして、凄いガーディアンを育てなくてはならない。

 それに、悪役令嬢としての言葉遣いができるよう努力して、性格の悪い女の子を演じなくては! もちろんそこには、強さも必要だ。ヒロインがくじけてしまいそうなほど、高い壁となって立ち塞がってあげなくてはいけないんだから。

「忙しくなりますわね?」

 ディオンににこりと微笑みかけて首を傾げると、やっぱりキラキラ王子様は納得いかなそうに眉根を寄せていた。


 でも結局、その数日後にはわたしたちは正式な婚約者となった。

 そう、そこには愛なんて存在しない、形だけの婚約者だ。

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