第9話 推し部屋に籠る公爵令嬢



 上品で豪華な内装も霞む勢いで、部屋中を埋めつくすように飾られたアレクシス王子の肖像画。


 幼少期から現在まで、全てを網羅しつくしたかのような、あらゆる年代の第三王子を描いたものが各々額に入れられ、四方の壁をところ狭しと埋め尽くしている。


 今やもうこの部屋の主人を除き、公爵家の人々は上から下まで皆、進んで近づきたがらない場所。


 それが、イリーナ・ルフィルオーネ公爵令嬢の通称「推し部屋」であった。


 彼女以外の人には、部屋に入った瞬間、四方八方から迫りくる視線に背筋がゾワッとなってしまって怖いと、大変に不評である。


 確かに、どちらに視線を向けても肖像画の中のアレクシス王子と目が合ってしまうこの部屋は落ち着けない事この上ないし、不気味でしかない。


 しかし残念なことにお嬢様は、自ら収集した至高のコレクションに囲まれてとっても満足そうであった。


 大切にお育てしたはずなのに、一体、どこでなにを間違えたのか……残念な性癖を持ったまま、健やかに成長してしまわれた。


「このアングル最高!」とか言ってクフクフとにやけている姿はとても、人様にはお見せできない。



「……お嬢様、またお顔が崩れておりますよ」


「あ、あら、いけない。わたくしったらっ」



 侍女から指摘され、恥ずかしそうに頬を染めて恥じらう。


 絶世の美少女がすると、思わず笑みを誘う光景となるはずであるが……。



「殿下のお顔に夢中になってしまって、すっかり忘れていましたわ」



 現実は非情である。


 美しい令嬢の物思いにふける姿ははかなげで美しいが、中身まで美しいとは限らないのだ。



 悩ましそうに深いため息をついているイリーナに、こちらこそため息をつきたいと思う侍女だった。





 ――いったい彼女が何をしているのかというと……。



 王子を前にした態度があまりにも酷いので、修正を図っていたのである。


「酷い」というのは何も、無作法と言う意味ではない。


 彼女独特の問題から酷い状態になってしまうのを克服するため、「推し部屋」に籠って修行していたのである。



 ――もう大体、なんのことかお分かりいただけたかと思う。



「ですが殿下と一緒になる時のため、この完璧で美しいお顔に少しでも慣れておきませんとっ。拝見する度に顔面が崩れてしまうなんて、困ってしまいますものね!」



 そうなのだ……。


 収拾がつかなくなるくらい、ふにゃふにゃと崩壊する顔面を鍛えるという馬鹿馬鹿しい理由の為なのであった。



 他にも一日に一回は、このアレクシス王子まみれの部屋に籠らないと、王子不足で禁断症状が起こってしまうという、他人からすれば訳の分からない事情もある。




 まあそれもこれも何もかも、残念極まりないことではあるが、本人がすぐ、目的を忘れて肖像画に見惚れてしまうのが一番の問題だった。


 なので、脱線しないように侍女達がお目付け役として見張っているのである。


 尚、この仕事はとっても不評だったため、公爵夫妻より特別手当てが出ている事をイリーナは知らない。



「ふっ。まだまだですねお嬢様。せめて一時間はもたせてくださいまし」


「ううっ、なんて難しいことを言うのです? わたくしには出来そうな気がしませんわ……」



 一応、アレクシス王子はあんなでも、一般的には音楽の天才と謳われ国民に絶大な人気があるので、任される公務もそこそこ多い。


 イリーナも正式な婚約者として、式典や慰問、慈善パーティーへの出席など、公務の一部を一緒に行うこともあった。


 その際、どうしても彼女の性癖が障害なるのである。


 王子の側近達は、彼がやらかさないようフォローするのに精一杯でとてもイリーナのお世話まで手が回らない。


 それ以前に、ここまでアレクシス王子の顔に弱いとは思われていない……公爵家が必死に隠しているので……。


 というわけで、彼女は一人で何とかするしかないのである。




 才色兼備と名高いイリーナの弱点も、崩れきった面も公衆に晒す訳にはいかないと、公爵家の面子にかけて、これでも全力で矯正中なのであった。


 全然、進んでない……というか、むしろ年々悪化している気もするが……。



(お嬢様が、理想の美形に出会ってしまったのが運のつき、もはや修正不可能な気がしますわ)



 そんな侍女の心の声は聞こえないイリーナはと言うと……。



「なんて難しいのかしら。これでもわたくし、気合を入れて引き締めておりますのに」


 などと言って、いつも通り呑気に悩んでいた。



 なんだかんだ言いつつお嬢様大好きな侍女は、呆れながらも一緒に考えることになる。



「余り気を張りすぎますとお嬢様の場合、無表情を通り越して、しかめっ面や渋い顔になってしまわれますからねぇ」


「そう、そうっ。そうなんですの!」



 さすが、よく解っているではありませんの、と嬉しそうなイリーナ。



「それに、公務の時は特にあの方、わたくしにニコッて微笑みかけてくださるの。もう、わたくしをどうしようというのかしら? あの笑顔、殺しにかかっているのではなくて?」


「……ただ、普通に公務をこなされているだけでは?」


「そうかしら? だって見つめられると、心臓が止まりそうになるくらい、胸が高鳴るのですよ」



 もう息苦しくって、と言いながらその時のことを思い出したのか、胸を押さえている。



「倒れそうになるのを踏ん張っていなければいけませんし、表情にも気を配らなくてはいけませんし、大変ですの」



 だから余計に顔面を目一杯引き締めておきませんと、公爵令嬢として人前ではお見せできないものになってしまいますのよと嘆く。



「まあ、確かにアレだと……そうかもしれませんが」



 この侍女は公務に同伴出来ないので実際に見たことはないが、大体、どんなのかは想像がつく。



(アレでしょ? 動いているアレクシス王子の姿を記録した、映像記録の魔道具の前でにやけている状態と一緒でしょ、多分……)



 確かにアレはないなと頷くものの、残念そうな目で自慢のお嬢様を眺めてしまう。



 そしていつも、何度でも思ってしまう。


 これさえなければ非の打ち所のない完璧なご令嬢なのに……と。



 しかし、天才でバカなところが非常に似ている二人は案外、いいコンビなのかもしれない。


 内心で侍女が、失礼な結論に達したことなど知らないイリーナは、考え込んでしまった姿に首をかしげる。



「急に黙りこんで……どうしたの?」 


「いえ。ただお会いする度にあの表情をなさっていては、お嬢様の好意は全く伝わっていないと思われますが……それはよろしいのですか?」


「あら、あなたはまだ、知らなかったかしら。それは大丈夫なのですわ」


「?」


「王妃様が全面的にご協力してくださっていますから」


「成る程、それで……」



 そうなのだ。


 意志疎通があやしい二人が、中々破談にならない原因は身近な人の努力にあったのである。


 息子を溺愛する王妃が、イリーナほどの優良物件を手放すはずがない。




「……そういえば先ほど、城から王妃様の使者がお見えになりまして」


「まぁ、何かしら?」


「公爵家としては非常に不本意なことではあるのですが……」


「ま、まさか今度こそ婚約破棄を?」


「違います」


「まぁ? ではっ」


「はい。とても残念なことに、婚約続行を願いたし、と……」


「謹んでお受けいたしますわっ」


「……お嬢様、王命でございますれば、そうする他ございませんが……本当に、本当にっ。よろしいのですか、お相手があの方で?」


「分かっていますわよっ。でも、わたくしはっ、一目みたときに運命を感じてしまったんですもの」


「……さようで」



 この期に及んでもまだ彼と婚約を続けることが嬉しいらしい。



(ほんと、どうしようもない人……)



 浮気や婚約破棄(周囲の努力で今だ未遂)など、結構酷い仕打ちをされているにもかかわらず、どうあっても幻滅しないというなら仕方ない。


 イリーナの意志が変わらない場合にと、主人夫妻から指示されていたことを淡々とこなすまでだ。





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