第8話 公爵家の至宝は残念な人?
◇ ◇ ◇
「失礼いたします、お嬢様」
午後のお茶の時間を優雅に嗜んでいる年若い令嬢のもとに、御付きの侍女が近づいてきて礼をとる。
――ここは、王城近くに居を構えるルフィルオーネ公爵邸。
その一角にある豪華な私室に、アレクシス王子の婚約者であるイリーナ・ルフィルオーネ公爵令嬢がいた。
最近、彼から何故か頻繁に婚約破棄未遂をされ続け、すっかりやさぐれ気味の彼女。
不貞の原因を探るべく、公爵家の手の者を使い調べさせていたのだが、いまだに彼の真意は不明なままだった。
「あの、お嬢様。先日の仮面舞踏会にてアレクシス王子が……その……」
言いにくそうな侍女の様子にピンときた。
「……分かりましたわ。また、あの方が婚約破棄騒動を起こしたのですわね?」
「は、はいっ。その通りでして……」
「……やっぱり」
性懲りもなく、何度も繰り返される仕打ちにいい加減、怒りのゲージも振り切れそうではある……普通のご令嬢なら。
それでもいまだにイリーナ本人の口から、不誠実な第三王子との婚約を破棄したいという言葉は出てこない。
――何故なのか。
それには彼女の、しょうもない性癖が関係していた。
公爵家の長女として生まれ、たまたま年が近く、たまたま人よりおつむの出来が上等だったのが悪かったのか……。
それとも、銀の髪と光加減によっては黄金にも見える琥珀色の瞳を持つ、端正な美貌と、身の内に秘めた莫大な魔力を駆使すべく努力を重ね、完璧過ぎる令嬢に成長したのがいけなかったのか……。
会う人全てに将来が楽しみだと絶賛された幼少期を過ごしたことで、その評判が早々に、王家にまで届いてしまい、当然の結果、目をつけられてしまったのが運のつき。
丁度、アレクシスの扱いに困って有能な婚約者候補を必死で捜していた王と王妃に是非、嫁にと懇願されてしまったのだ。
しかしこの頃、王家が全力で隠してきたアレクシスのバカさ加減が次第に上位貴族の情報網にも掛かってきていた。
外に漏れないよう厳戒体制が敷かれていたようだが、上位貴族である公爵はもちろん、通用しない。
実情を知っている公爵家としては、有能な娘のお相手としてバカ王子を宛がわれることなど、是非ともお断りしたいご縁であったのだが……。
思わぬところに伏兵がいた。
イリーナ・ルフィルオーネ公爵令嬢、その人である。
――あれは、十才の誕生日を迎えてすぐのこと。
王家からの再三に渡る懇願により、アレクシス第三王子殿下との、お見合いがついに実現してしまうことになった。
「どうしてキッパリハッキリ断ってくださらなかったのです、あなた!」
「……私だって断りたかったさっ。しかし、アレでも一応、国王なんだ。王命をちらつかされては断れまい」
「まぁっ。普段は貴方に頼りっきりの癖に……相変わらずな方ですこと」
家族思いの良き夫であり父でもあるのだが、国王としてはいまいち頼りない男を思い、勝気な瞳を露骨に不満気に歪めるルフィルオーネ公爵夫人。
「……もちろん、可愛い娘の為に譲歩はさせたのでしょうね?」
「当然だ」
夫人同様、頭にきていた公爵は、しっかりと王から誓約書をもぎ取ってきていた。
そこには、「どうしてもダメなら断っても良い。この件で公爵家の責任は一切問いません 国王」と書かれてある。
「王家にやるには、もったいなさすぎるからな。一度だけ顔合わせをして、早々にお断りしよう」
「……ここまで来たらもう、それしかないですわね。わたくしも全力で頑張りますわ」
「ああ、頼んだよ」
万が一にも王子がイリーナを気に入ることがないように、と張り切る夫人に公爵も頷く。
と言うわけで国王から取り付けた誓約を盾に、渋々応じた仮のお見合い……精々、顔合わせくらいのつもりで挑んだのだったが……。
王家とルフィルオーネ公爵家の攻防は、王家に軍配が上がることになった。
それと言うのも、公爵家にとっては不運なことに、王妃の采配により、このときにはまだ隠れていたイリーナ弱点を刺激する演出が嵌まってしまったことにある……。
超がつくほど箱入りのイリーナには、当然のことながら異性への免疫が全くなかった。
そこへ現れたのが、アレクシス王子である。
当時の彼は、少年期特有の危うさが独特の魅力となって溢れており、それはもう愛らしく美しかった。
そしてあろうことか、その見目麗しい容貌がイリーナの理想の美形像にピタリと嵌まってしまったのである。
公爵家にとっては、衝撃の展開だった。
あれほどバカ王子だからダメだよと言い聞かせていたのにまさか、イリーナの方が王子を気に入るなんて……と。
今でも、公爵夫妻は娘の性癖から目を反らしては、王家にしてやられたと思っている。
「あれは、そもそも出会いからして良くなかったのだ……」
「……そう、ですわね」
完全に王妃に仕組まれていたのだとギリギリと奥歯を噛み締めながら、悔しがる。
国一番と評判の美しい花々が咲き誇る王妃の庭園で、自身の作曲した曲をピアノで奏でるアレクシス王子。
絶対に失敗できないと意気込む王妃と侍女達よって、年頃の娘並みに頭の先からつま先まで丁寧に手入れされ、磨かれた彼は一際、美麗に仕上がっていた。
娘曰く、その姿はまるで、天上から舞い降りた天使様のように見えた……らしい。
悔しいが、同席した公爵夫妻もちょっぴりそれは思った。
柔らかな陽光を受けてキラキラと眩く金髪に、透明感のある青色の瞳は、吸い込まれてしまいそうなほど美しくて……幻想的な背景と相まって、神々しいばかりに光輝いていた。
その姿を一目見た瞬間から、イリーナは彼から目を離せず見惚れてしまったのだ。
(こんなに美しい方、見たことがありませんわ……)
そして、夢見心地のままうっとりと陶酔しているうちに、ピアノの音が止まる。
皆が素晴らしいと絶賛する王子作の曲だが、顔に見とれていた彼女はろくに聞いていなかった。
しかし、演奏を終えてニコッと笑いかけられた瞬間、恋に落ちた……らしい。
「まさか、あんなに美形に弱いとはな」
「ええ……想定外でしたわ」
げっそりとしながら、憂鬱そうに眉をひそめる夫人。
「わたくし、王子の音楽の才能に感心を示したらどうしようかと思っておりましたのよ……」
「そうだな。あの時の演奏はそれはもう素晴らしかったからな。魂が揺さぶられる想いがしたよ」
「ええ、わたくしでもですわ。音色も艶やかで美しくて……クラクラいたしましたもの。ですが、イリーナにはあの顔が決め手になるなんてっ」
「……全くだよ」
王子の外見に一目惚れした娘を、両親は必死に止めた。
いくら、男女問わず周囲の人間を虜にする美貌の持ち主だとしても、あれは絶対、やめておいた方がいい。
溺愛する娘に苦労させたくない公爵は必死だった。
ほうっと頬を赤らめ、父親の話を聞いているのかいないのか、うっとりと陶酔したようにアレクシスの顔を見つめる娘の説得を続けたものの……。
結局最後には、娘の涙ながらの懇願にコロッと敗北してしまった公爵だった。
今でもその件では公爵夫人に恨まれている。
「あなたがあの時、心を鬼にして断ってくださっていたら……」
「……それに関しては反省している。申し訳ない」
「もう、仕方のない方。本当に、娘にはどこまでも甘いのですから……」
完璧令嬢とされるイリーナの唯一の欠点。
それは自分好みの美貌の殿方には極端に弱い、ということ。
アレクシス王子とのお見合いは、その性癖がハッキリした瞬間でもあった。
そして、彼女はその後も変わることはなく「王子様の顔がこの世の至上、我が命」のまま、今に至るのわけなのであるが……。
才色兼備と名高い、麗しく成長した女主人を見ながら、侍女は思う。
(本当にあの性癖さえなければっ。非の打ち所のない、完璧な公爵家のご令嬢ですのに!!)
心の底から残念がるのだった。
「わたくしだって分かっておりますのよ。わたくしが残念なことくらい」
でも、どうしようもありませんの、と言う。
「何故わたくしは、こんなにも殿下のお顔に弱いのかしら? 中身はただのバカだ分かっておりますのにあのお顔を見ると、もう……ヘロヘロになってしまうのです」
なんてダメなわたくし、と言いながら頬に手をあてては、悩ましげにため息をつく。
「殿下と比べると、どんな殿方も色褪せて見えてしまうんですの。罪な方……あんなにもわたくし好みのお顔をなさっているのが悪いのですわ」
制御できない自分の嗜好に悩んでいる風に話しているが、侍女は胡散臭げな視線を向ける。
(貴方が悪いのですわ、などと言いながら、殿下の肖像画に熱い視線を向けていては説得力がありませんよ、お嬢様……)
本当に残念な人だと諦め混じりのため息をつくのだった。
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