13 密告と粛清
夜、街の明かりが上部の窓を通して入ってくる寂れた倉庫の中で、アリシアの所属する組織は再び集結した。
「爆薬の手配を急がせている。ダイナマイトは用意出来なかったが、火薬は入手出来た。鉱山用の爆薬だ」一人の男が報告した。「残っている活動資金を
「尾行は大丈夫なの?」
アリシアは何食わぬ顔で訊いた。
彼女も彼女で、ヴェナリアの諜報機関を使って爆薬の調達を行おうとしていたが、あえて口に出すことはしなかった。
アリシアは一時期、ヴェナリアに身を寄せていたこともあり、ヴェナリア人との関係があることは組織の人間たちも知っている。しかし、それがヴェナリア執政府情報調査局であるということまでは、彼らは知らない。あくまで、アリシアを通して資金提供をしてくれるヴェナリア人が居るということまでしか、組織の人間は知らないのだ。
「心配ない。明日の夜、この倉庫に運び屋が持ってくる手筈になっている」
「爆薬の心配はこれで解決したな」この場で最年長の活動家が言った。「問題は、どうやって議事堂を爆破するかだ」
昨日、アリシアが性急に爆破に関する評決を行わせたため、爆薬を確保することは決まっていても、それをどう活用するかが決まっていなかったのだ。
しかし、アリシアは議事堂爆破についてある程度目算があったからこそ、提案したのである。
「それは問題ないよ」
だから、彼女は何でもない口調でそう言ったのだ。
「議事堂は運河に面している。運河には日に何隻もの船が行き来しているから、艀の一隻にでも爆薬を満載して、議事堂に差し掛かったところで爆破する」
「しかし、それでは爆風の威力が拡散して、窓ガラス程度しか割れないのではないか?」
疑問を呈したのは、軍から脱走してきた元青年将校だった。彼は士官学校で教育を受けた人間だけあり、爆薬を効果的に使用する方法について知識があった。
「一番良いのは、議事堂地下に坑道を掘ることだ。そこに爆薬を詰め込んで、一気に爆破すれば建物は崩壊する」
彼が提案したのは、軍が対要塞戦で利用する坑道戦術であった。
「それだと時間がない」だが、アリシアはぴしゃりと否定した。「南ブルグンディアの宰相が議事堂にやってくるのは明後日だよ。暢気に坑道を掘っている時間なんてないよ」
「確かに南ブルグンディア宰相諸共に議事堂を爆砕すれば政治的効果は高いだろうが、爆砕出来ないのであれば意味はないだろう」
なおも元青年将校は、アリシアの手法に疑問を抱いているようであった。
「専制主義者たちの捜査の手が伸びてくるかもしれない状況で、悠長なことは行っていられないでしょ?」
アリシアは強い口調で反論する。何としても、彼らを利用して議事堂爆破を完遂させたいという思いがあるのだ。恐らく、官憲が自分たちを捉えるのは時間の問題だろう。シンパの人間が捕まりすぎている。爆薬を業者に横流しさせるという行為ですら、本来は危ないのだ。
だが、この場にいる彼らにはまだ利用価値がある。
「爆発の威力の問題なら大丈夫だよ。知っての通り、私は魔術師だからね。爆薬を詰めた箱には予め風系魔法の術式を刻んでおいて、爆風の威力が向く方向を限定する。そして、爆裂術式も組み込んで爆発の威力を最大化する。これで、議事堂は倒壊するはずだよ」
アリシアは強い口調で断言した。
「……同志ハーヴェイがそう言うのであれば」
元青年将校も、彼女の意志が揺るがぬことを見て取ったのか、それ以上反論してくることはなかった。
「では、議事堂爆破については同志ハーヴェイに任せることとしよう」
最年長の活動家が宣言して、爆破方法に関する議論は収まった。
「では、後は爆破後の声明発表が必要だな」
組織の誰かが、興奮気味に言った。
「悪しき帝国主義者どもに鉄槌を下すのだ。この機に、我らの正義を人民に知らしめる必要がある。左派系新聞社にいる知り合いの伝手を使おう。印刷機さえ無事ならば、我々で作ったのだが」
「この先何十年も、人民の間で私たちの歌が歌い継がれるだろうね」
アリシアは、組織が議事堂爆破に向けて順調に動いてくれているようで安心した。
しかし、女に焚き付けられないとならない革命運動家というのはどうなのだろうか? まったく、反革命的なことである。
爆薬の取引の時間は、明日の夜十二時前後。
それまで時間があるので、組織の者たちはさらなる情報収集や艀の確保などのために解散した。
取引の時刻に、もう一度集合して計画について会合を開く予定であった。
男は、自分に尾行がついていないか頻繁に確認していた。
拠点としている倉庫からか離れ、平民の中でも特に所得の少ない者たちが多く住む地域に紛れ込む。店や集合住宅(フラット)が雑然と建ち並ぶ、区画整備の不十分な迷路のような街である。
夜なので、酒場からは男たちのやかましい声が聞こえ、道には酔っ払った労働者たちがたむろしている。
王都中心部と比べると、まるで別世界であった。だが、それが今のロンダリア連合王国の現状でもあった。
男は人気のない裏路地に入り込むと、懐から呪符を取り出した。
「おい、おい、聞こえているか?」
辺りを憚りながら、男は呪符に話しかけた。
『うん? 聞こえているよ』
呪符の向こう側から聞こえてきたのは、昨夜会った少年の声。相変わらず、感情を感じさせない不気味な声だった。
『それで、どうしたの? 賢く生きようって気になったの?』
「あんたに昨日言った、議事堂爆破の詳細が決まったんだ」
『そう、じゃあ言って』
少年はどうでもいいことのように、命じてくる。
「待て。その前に、俺のことはどういう扱いになる? あんたが、俺の身の安全を保証してくれるのか?」
焦ったように、男は訪ねる。身の安全の保証がなければ、組織からは裏切り者として始末されるだろうし、警察からも反逆者として扱われてしまう。
どちらの末路も、ぞっとしない。
『情報提供者は貴重だからね、君の身の安全は保証するよ。俺はリュシアン・エスタークス。“黒の死神”って、知ってる?』
その名を聞いた瞬間、男の全身を怖気が駆け抜けた。
裏社会の中でも名を馳せる、政府の下で働く凄腕の殺し屋の名前だ。昨夜、この少年に捕まった時に感じた死神という印象は、間違っていなかったということだ。
「お、俺の名前はヘンリー・ジョーンズだ。俺の組織は明後日、南ブルグンディアの宰相ごと、議事堂を吹っ飛ばすことにしたんだ。それで……」
「そういう悪戯はいけないよ、ヘンリー」
彼の背後から、親しげに呼びかける女性の声。
次の瞬間、ヘンリー・ジョーンズと名乗った男の胸から一本の刃物が生えていた。どうしてバレていたのかという疑問と激痛とが頭の中を駆け巡ったまま、彼は死体となって裏路地の地面に倒れ込んだ。
「やあ、死神くん」
アリシアは呪符を拾い上げて、相手に呼びかけた。
「覚えているよね、私だよ。君のお姫様の具合はどうだい?」
世間話でもするような調子で、彼女はリュシアンに話しかける。
「君、まだ呪詛は解除出来ていないでしょ? ああでも、大切な女の子が眠り姫にならなくてよかったねって、褒めてあげるところかな?」
アリシアは、自身が王女にかけた呪詛が完璧に発動しているわけではないことを把握していた。守護の術式によって、呪詛が完全に発動するのを妨げているのだ。それでも、呪詛を掛けられたあの王女は苦しみに呻いていることだろう。
『……』
「やっぱり、君の魔術の才能は凄いよ。だから、君には私のところに来て欲しいな。君みたいに悪い魔術師を退治している人とは、きっと話が合うはずだよ」
『……』
「でもあんまり、私に向かって悪ふざけはしない方がいいよ」
『……』
「君だって、大切な女の子が苦しんでいる様は見たくないでしょ? 〈
パチン、と彼女は指を鳴らした。
『……うぐっ……がっ……この、性悪女め……!』
呪符の先から、リュシアンではなく王女の苦悶と罵倒が聞こえた。
「性悪はあなたの方でしょ? 一人の男の子を自分の下に縛り付けて、所有物と宣言する恥知らず」嫌悪感を込めて、アリシアは言い放った。「あなたのその行為が、どれだけ人民を侮辱するものなのか判っているの?」
そして、今度は声音を親しげなものに変えてアリシアは語りかける。
「リュシアンくん、私の話を聞いてくれるだけでもいい。それだけでも、君にとっては有益なはずだよ。別に、私はそこの王女みたいに君という存在そのものを搾取しようってわけじゃない。利害関係だって構わない。私の目標のためには、君みたいな優秀な魔術師が必要なんだ」
『……姫の悪口は、言わない方がいいよ』
「ありゃりゃ、怒らせちゃったかな?」おどけたように、アリシアは言う。「でも、大切なもののために一生懸命になれる男の子は素敵だよ。だけれども、君が大切に思っているその女の子は、どうなんだろうね? 案外、君を
毒を注ぎ込むように、アリシアはエルフリードの存在を貶める。
「……それじゃあ、おやすみ」
そう言うと、彼女は呪符をビリビリと破り捨ててしまった。
「さてと、どうしようね、この死体」
アリシアは足下に転がる裏切り者の死体を眺めた。
まあでも、問題ないか。
彼女はそう思った。ここで一人消えたとしても、計画には支障はない。組織の人間たちには、裏切り者を始末したと言えば良いだろう。ただ、それによって計画の実行を躊躇う人間が出てくるかもしれないが、その時はその時である。
「ああ、そうだ。そろそろ向こうは届いている頃だよねぇ」
どこか恍惚とした声でアリシアは言い、夜の闇の中に消えていった。
◇◇◇
リュシアンの腕の中で、エルフリードは激痛に呻いていた。
「……ぁ……ひっ……くぁ……」
「……」
リュシアンは己の血を元にした錠剤を飲ませ、魔法陣を展開しているが、出来るのはそこまでだ。
呪詛の解除がなされていない以上、苦痛は必ずエルフリードを襲う。
「……ごめん、エル」
腕の中で身を捩るエルフリードを抱きしめながら、リュシアンは謝った。少女が少年の腕をきつく握っていることで、布越しに少女の爪が少年の肌に喰い混む。皮膚を裂かんばかりに力が込められ、リュシアン自身も痛みを感じているが、それは甘んじて受け入れる。
エルフリードを苦しめている原因は、確実に自分にもあるのだから。
「……くっ……あや、まるでない」
それでも彼女は、苦痛に苛まれながらもはっきりとした口調で言った。
「お前の、作戦に、乗ったのは、私だ」途切れ途切れに、彼女は続ける。「だから、謝るで、ない」
「……ありがとう、エル」
そう言うと、エルフリードともふっと笑ったようだった。
リュシアンは一時的に、彼女を呪詛から守護する術を弱めていた。アリシアが呪詛を強化することで、エルフリードを人質に取っていることを誇示しようとする可能性があったからだ。
呪詛が一定程度の段階で押さえられていることを、あの女魔術師に知られるわけにはいかなかった。あくまで彼女には、自分が優位に立っていると錯覚してもらわなければならない。
その方が、リュシアンとしては今後の行動がしやすいのだ。
その冷徹な判断に、エルフリードは躊躇うことなく応じてくれた。
幼い頃から二人でいるときは、何をするにも二人一緒だった。だからリュシアンもエルフリードも、お互いの行動が何を意図してのものなのかを、だいたい判ってしまう。
エルフリードが呪詛と判って斬りかかってしまったのは、決して彼女が魔導剣の力を過信したからではない。彼女は、ある種の賭けに出たのだ。リュシアンのことを信頼しているが故の、賭け。
確かに、自分とエルとならば分の悪い賭けではない。
だけれども、彼女はそこに自分という存在の安全を考えていない。自分が苦しむのを判っていて、賭けに出たのだ。
それが、リュシアンには腹立たしいし、もどかしくもあった。
だからといって、リュシアンもエルフリードも、互いに握り合った手を離すという選択肢など最初からないのだけれども……。
「なあ、リュシアン」
「何?」
「私は、醜いか?」
リュシアンの腕の中で、そう問いかけるエルフリード。
「私は、お前を私のモノにしたい。そう思う私は、醜いか?」
アリシアの放った言葉に一片の真実が混じっていることを、リュシアンもエルフリードも自覚していた。誰に言われるまでもなく、お互いがお互いの関係の歪さを理解している。
それでもなお、エルフリードは言葉にして直接リュシアンから聞きたいのだろう。呪詛による体力の消耗で、彼女らしくなく弱気になっているらしい。
だからリュシアンは、彼女の望みに応えた。
「エルが俺に向けてくれている感情は、きっとすごく醜いんだと思う」
エルフリードは慰めなど欲していない。だから、リュシアンはありのままに吐露する。
「ふふっ、お前は変わらないな」魔術師の少年の腕の中で、王女たる少女は笑った。「お前だけは、私に決しておもねらない。だから、私のモノにしたいんだ」
「俺はとっくに、エルのモノだよ」
「私がそれを十分に実感出来ていない」
ぎりっと、エルフリードのリュシアンを掴む手にさらに力が入った。爪が、布越しに彼の肌にくい込む。服の下では皮膚が破け、血が滲んでいることだろう。
傷つけることで、エルフリードはリュシアンを自分のモノだと主張したいのか。
ファーガソンでも、クラリスでもなく、リュシアン・エスタークスはエルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオルのモノだと主張したいのか。
つくづく、業の深い少女だとリュシアンは思う。
そして、彼女によってもたらされる痛みすら、この少女との絆のように感じてしまう自分もまた、業が深いのだろう。
お互いがお互いを雁字搦めに縛り合って、もはや解けることもなく、そして繋ぎ目すら判らなくなっている。
そんな関係を、自分たちは選んでしまったのだ。
それを他人がどう言おうが、今の自分たちには響かない。
「私は、醜いか?」
再びの、同じ問い。
「きっと俺が君に向ける感情も、醜いんだと思う」
醜さをまとってもなお、リュシアンの中で輝きを失わない少女。その少女をこの色褪せた世界で唯一拠り所としている自分もまた、醜いのだろう。リュシアンはそう思った。
「お互い様か」
「お互い様だよ」
薄暗い部屋の中で、互いの声が虚ろに響いた。
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