12 この国のかたち
王都ロンダール中心部に位置する王宮は、新古典主義様式の建築であった。
王宮正面には、古代の神殿を思わせる円柱が立ち並んでいる。
王宮は華美で過剰な装飾を極力廃し、その神殿風の外見によって荘厳さを表していた。建物は左右に伸びており、一階部分から三階部分にかけて均等に並ぶ大きな窓も合わせて、見る者に内部の広大さを思わせる造りであった。
そんな秀麗な建築物の内部を、王室機密情報局局長、サー・ハリー・ファーガソン准将は歩いていた。彼の前を、国王マルカム三世に仕える侍従が歩いている。
彼らはやがて、国王の執務室の扉へと辿り着いた。
扉の前には、左右にまた別の侍従が控えている。
「陛下。ファーガソン准将が参内いたしました」
「うむ、通せ」
中から許可の声が出ると、扉の左右に控えていた侍従が重厚な扉を開ける。どこか機械じみた、整然とし過ぎた動作であった。軍隊の閲兵式を見ているようである。
ファーガソンは腰を深く折り曲げて一礼をしてから入室する。すると背後の扉が、またしても機械然とした動作の侍従たちによって閉められた。
国王の執務室には、マルカム三世とファーガソンだけになる。すでに何度も拝謁の機会に与っているこの諜報機関の長にとって、今更緊張するようなことでもなかった。
マルカム三世は、ようやく初老に差し掛かった風貌の男性だった。後退した額に、灰色の髭を鼻の下と顎に蓄えている。鼻の下の髭は綺麗に整えられ、左右に分かれていた。
今は式典の場でもないので、重厚なマントなどは羽織っていない。服装は元帥服であるが、勲章で胸が覆い尽くされているわけでもない。元帥服ということ以外を除けば、いたって普通の軍人といった出で立ちであった。
国王は王国陸海軍の最高司令官という立場でもあるので、平素から軍服で執務をすることが多い。
「ああ、准将。かけてくれたまえ」
マルカム三世はそう言って、執務机の前に置かれた椅子を示す。
「失礼いたします、陛下」
そう一言断りを入れてから、ファーガソンは腰を下ろした。
「それで、余に報告すべきこととは?」
「共和主義者たちが、議事堂の爆破を計画しているとの情報を入手いたしました」
「余の所へ報告に来るということは、単なる脅迫の類いではないということだな?」
「はい、その通りでございます」
以前から、共和主義者や無政府主義者による議事堂爆破の脅迫は存在していた。しかし、そのほとんどが単なる脅迫に過ぎず、実際に議事堂が爆破されたことはない。
「リュシアン・エスタークス勅任魔導官の協力の下、陛下が臣に与えて下さいました諜報機関は共和主義者による王国に対する攻撃計画を察知することが出来たのです」
功績は、リュシアンたちに譲るとファーガソンは約束している。だからこそ、彼はリュシアンの名をあえて出した。
謀略すらなす諜報機関ではあるが、情報を扱う組織であるからこそ、協力者との信頼関係は重要であった。リュシアンとの約束を違えては、今後の協力関係に悪影響が出てしまう。
「エスタークス勅任魔導官、か」
マルカム三世は溜息を漏らすような調子で呟いた。
「かの者もよく王室に仕えてくれているが、この件に我が娘はどれほど関わっているのかね?」
リュシアンが動くなら、エルフリードも動く。
マルカム三世は自分の娘とその許嫁(いいなずけ)の性格を、ある程度まで見抜いていた。
「少なくとも、臣が協力を仰いでいるのはエスタークス勅任魔導官のみです」
ファーガソンがエルフリードに直接、協力を要請した事実はない。例え、彼女が先日の夜会に参加するよう誘導したとしても、それはまた別の話である。
「ふむ。危険だからという理由で、今はエスタークスの町屋敷に遣っているが、あれは安全な場所にいて満足する人間でもあるまい」
マルカム三世は、どこか他人事のように言った。自分の娘であるが、王室に生まれた以上は親子関係が平民のような密接なものではありえない。父親と娘という立場以前に、国王と王女という立場が先に来るのだ。
「とはいえ、余は別にあれを危険に晒すなと命じるつもりはない。むしろ、余としては積極的にあれには関わって欲しいとすら思っている」
「と、申しますと?」
「王室が国家のために尽くしていることを、臣民に喧伝することが出来よう。先の北ブルグンディアとの紛争において、あれが前線で活躍したのは僥倖であった。王族がその身を以て国家へ献身する姿こそ、臣民の求めているものであろうからな」
この国王は、啓蒙専制君主とでもいうべき思想の持ち主だった。
南北に分裂する以前のブルグンディア国王に、「朕は国家なり」との言葉を残した者がいたが、その後、ヴァルトハイム帝国の皇帝が「君主は国家第一の下僕」との言葉を残している。
マルカム三世は、後者を信条としている国王であった。
王族が国家に尽くしてこそ、国民が国家に尽くすのだと考えている。
少なくとも、暗君ではないとファーガソンは評価していた。
「それに、エルフリードであれば失っても惜しくない」
だからこそ、この国王は自身の子供たちにも同じような役割を求めている。そして、すでに彼には王子がいる以上、王女であるエルフリードはある種の消耗品なのだ。
政略結婚により王家の基盤をさらに固めるもよし、軍人として国家のために精励するもよし、マルカム三世はエルフリードについてそう考えているのだ。
エルフリードが最終的に軍人の道へ進めたのも、最終的にはマルカム三世の許可があったからというのが大きい。
王侯貴族の女性といえど、国家への奉仕と献身を示すために従軍する事例はある。しかし、それはあくまで後方の部隊での一時的な従軍という形式的なものである。
エルフリードのように、軍人という目標を持って軍事的奉仕を行う王侯貴族の女性はまれである。
そのため、彼女が軍人を目指すに当たって周囲の大半は反対であった。それを押し切ったのが、マルカム三世であった。
とはいえ、彼は娘に理解ある父親として、軍人となる道を容認したわけではない。
単に、軍人という立場で国家へ献身するというのならば、それでも構わないという消極的な意味での容認であった。
「ファーガソン准将」
「はっ」
「今は重要な時期だ。決してテロリストの跳梁跋扈を許してはならないし、またそのような事実があったことが公になってもならない。必要な措置は、すべてとりたまえ。その際、余の承認が必要なことがあればすぐに参内するように。准将との謁見は、最優先にするよう侍従長に申し伝えておく」
「はっ、ご高配に感謝いたします」
「では、以上だ。下がりたまえ」
◇◇◇
ロンダリア連合王国は、国王を中心とする専制君主国家である。
国王は国家元首とされ、統治権の総覧者であると法によって定められていた。
とはいえ、ロンダリアには成文化された単一の憲法典は存在していない。国家の性格を規定するいくつかの勅令、議会の決議、判例、慣習が、連合王国にとっての“憲法”なのであった。
このうち、連合王国議会は国王の立法権を協賛する組織であり、貴族院 (上院)と衆民院 (下院)から成っている。
貴族院は、その名の通り貴族が議員と勅選議員を以って構成する非公選制の議院である。
一方の衆民院は、選挙権を持つ国民による公選制が採られている。
とはいえこの時代、議会の存在する国では、各国ともに女性の参政権を認めておらず、ロンダリアもその例外ではない。また、ロンダリアに関しては納税額によって選挙権が制限される、制限選挙制であり、すべての成人男性に選挙権が与えられているわけでもない。
選挙権を持つ平民の多くは、資本家階級、地主階級など一定以上の資産を持つ者たちであった。
それでも、議会がそもそも存在しない南北ブルグンディア王国やヒスパニア王国などに比べれば、議会政治という点においては進んでいるといえた。これらの国々には、諸侯会議というものが存在するが、それはロンダリアの貴族院ほど制度化されたものではなかった。あくまでも、国王や諸侯たちが必要に応じて開く不定期の会議であり、権限や会期の定められたロンダリアの貴族院とは性格を異にしていた。
その議会が開かれる議事堂は、王都を取り巻く三重の環状運河の一番内側、すなわち第一運河に面する場所に建てられていた。
その建物は宮殿を思わせるほどに壮麗であり、特に時計塔は王宮以上に王都を象徴する建築物として知られていた。
エルフリードが陸大で講義を受けている間、リュシアンはファーガソンと共に国会議事堂の見学に来ていた。
「さっきまで、国王に謁見していたんだって?」
開口一番、リュシアンが確認したことはそれだった。
「ほう、お前さんも耳が早いな」
隠すことでもないので、ファーガソンは肯定する。
「まあ、貴族には貴族の情報網があるからね。誰が国王に謁見するか、それによってそれぞれの貴族が政治的影響を受ける可能性があるから、結構そういうことには気を配っているよ」
リュシアンの場合は王女の婚約者ということもあり、王宮に勤める侍従や侍女たちからも情報を得ることが出来る。
王宮内でエルフリードにとって不利な事態が発生していないかどうか、常に目を光らせておく必要があった。
「とりあえず、陛下はこの件を内密にすることをお望みだった。儂には、あらゆる措置を講じて主義者の陰謀を阻止するよう、お命じになられた」
「准将にとっては、いいことだろうね。実質、全権を委任されたようなものでしょ?」
リュシアンが冷めた目で大柄な諜報官を見上げる。ファーガソンは国王への謁見によって、己の組織の権限を強化することに成功したようなものなのだ。
「とはいえ、儂が警察や憲兵隊、魔導院を指揮下に置けたわけでもない。依然、それらとの組織、特に警視庁との協力は必要だ」
「だといいけれど」
やはり冷めた目で、リュシアンはそう呟いた。
「ふむ。それにしても、いつ見ても美しい建物だ」視線を変えたファーガソンが言った。「これが爆破されたら、国家的損失だけでなく、文化的な面でも多大な損害だろうて。まったく、主義者どもは芸術を理解せぬ狂人の集まりだな」
「彼らは、彼らのイデオロギーに従うことが正常なんだよ」
リュシアンはファーガソンの意見に賛成するでもなく、ただ感想らしきものを淡白な口調で述べるだけだった。
「奴らにとって、狂人は我々だということかね?」
「誰が正常で、誰が狂っているかなんて、誰が判断するの?」
判断することすら面倒だとでも言いたげな口調のリュシアン。
「それで、議事堂の警備はどうなっているの?」
今、彼らがいるのは議事堂対岸の通りだった。散歩中の壮年貴族と、その従者といった出で立ちで議事堂周辺を回っていた。実際、ファーガソンは「サー」の称号を持つ一代限りの貴族、騎士侯なので、貴族的な振る舞いも身に付けていた。
「議事堂内には、議員向けの食堂やバーが二十六ある。そのため、議員専用の出入り口の他、職員用の通用口も多数ある。すべての出入り口には警備員が配置され、議員や職員は通行証を提示しなければ建物中に入ることは出来ん」
「魔術で偽装された場合は?」
「流石に国家の中枢というだけであって、保安設備には王室魔導院の協力も得ている。すべての出入り口には魔力探知用の水晶球が予備も含めて二個ずつ設置され、幻影魔術などを使って不法に侵入しようとする賊を探知出来るようになっておる」
「万が一、それが破壊された場合は? 警報が魔導院の方にいくの?」
「うむ。魔導院だけでなく、我々や警視庁にも警報が届くようになっておる。まず真っ先に、議事堂の警備員に通報が行く」
「ふぅん」
曖昧に頷いて、リュシアンは国会議事堂を観察する。
「同じ対魔導警備装置が迎賓館にもあったけど、結局、意味をなさなかったよ」
「あれは門に設置してあるという欠点があった。だが、議事堂はすべての通用口だ。まさか魔術師は、壁抜けの術が使えるとでもいうのかね?」
「そんな便利な術があったら、きっとその発明者は魔術史に名を残していただろうね。俺は寡聞にして、そんな偉大な魔術師の名を知らないけど」
「つまり、そのような術はないのだろう?」
「そうだよ。まあ、転移術式がそれに近いといえば近いけど、転移元と転移先にあらかじめ魔法陣を描いておく必要がある。人間を転移させられるような術式だと、かなり大がかりなものになる。それこそ、魔法陣の大きさも。だから、もしそんな魔法陣が書かれていたら、警備員が絶対に発見している」
そう言って、リュシアンはまた議事堂の観察を始めた。その視線が、議事堂から運河の水面へと移動する。
「地下水道って、どうなっているの?」
「議事堂地下の水道に爆薬を仕掛けるということか? 人が通れるほど大きな水道は議事堂の地下を走っておらん。あくまで、建物に水を供給する水道管が繋がっておるだけだ」
「じゃあ、地下水道から坑道でも掘ってそこに爆薬を仕掛けるとか?」
「時間が掛かりすぎる上に、保守点検の水道局員に発見される可能性が大きかろう」
「……」
「魔術師らしい意見は何かないのか?」
「あそこ」
そう言って、リュシアンは国会議事堂の一角を指さした。
「運河沿いに、
「おいおい、例えたどり着けたとして、水面から
「魔術師だったら、別に問題ないでしょ?」
実際、先日遭遇したアリシアは魔術によって身体能力を一時的に強化し、迎賓館の高い塀を跳び越えている。
「うぅむ……」
当然、その件について報告を受けているファーガソンは顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。
「お前さんがそう言うのであれば、警戒はしておこう。あとは何かないのかね?」
「そうだね。もし俺が“死神”として、今回の作戦を立案するなら、魔力探知をくぐり抜ける方法って、結構あるんだけど」
「何?」
ファーガソンの目が、鋭く光った。
「お前さんの考えている可能性、すべて話すのだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます