7 専制主義者と共和主義者

「他国の介入の可能性、か」


 帰路の馬車の中で、リュシアンはエルフリードに迎賓館を襲撃した魔術師と、観測所の存在を報告していた。


「北王国か、共和国か、連邦か。いずれにせよ、きな臭いことこの上ないな」


 軍服姿の王女はやれやれとばかりに首を振った。


「共和主義者どもは、その走狗となっているということか?」


「そこまでは判らないけど、協力関係にある可能性はあるんじゃないの?」


「ふむ、厄介であるな」


「それで、エルはこの先どうしたいの?」


 答えが判っていながら、リュシアンは確認のために問うた。


「ファーガソンにしつらえられた舞台というのが癪だが、せっかくの機会だ。手柄を立てられるのなら、立てておく。私のためにも、お前のためにも」


「つまり、今後もこの件に首を突っ込むってことでいいの?」


「うむ。お前が、も出てくるかもしれんだろう?」


「……そんな場面、俺は来ない方がいいと思っている」


 リュシアンはいささか険のある声で言った。

 魔術師であるリュシアンと、王女であるエルフリード。

 政略によって許嫁となった二人であるが、その背景には魔術的な思惑も絡まっている。そんな大人たちの思惑が、幼い頃からリュシアンには不快だった。

 だから、そうした大人たちの打算を踏まえた上でのエルフリードの言葉が、リュシアンには不満なのだ。


「ああ、別にエルを邪魔者扱いしているわけじゃないよ。ただ、何か君の言い方が気に入らなかっただけだから」


 リュシアンの言葉に、エルフリードに対する棘はない。ただ、いつも通りの淡白な口調で本心を吐露しているだけだ。

 だからこそ、逆にエルフリードはリュシアンに対する罪悪感を覚えてしまう。


「……私の言い方が、お前にとって不愉快なものであることは判っている。それに、私自身が行動する理由を、『お前のため』と言い繕っていることも承知だ」


 エルフリードは自己嫌悪を抱きながら、言葉を紡いだ。

 “魔術師”リュシアン・エスタークスに対して自身の利用価値を示しながら、自らの功績のために行動する。利己的で、打算的な思考だった。

 だが、だからこそリュシアンには己の醜さを示しておかねばならないとエルフリードは思っている。

 それは、このたった一人の朋にして理解者である少年へ、自分が示せる誠意なのだ。


「……まあ、エルが安全な場所で大人しくしているなんて出来ないだろうしね」


 いつも通りのぶっきらぼうで愛想のない、リュシアンの口調。それでも、どこかリュシアンは笑っているようにエルフリードは感じた。自分の我が儘を微笑ましく聞いてくれているような、そんな口調だ。


「君の矜持を、俺は尊重するよ」


 エルフリードは、リュシアンが自身の身の安全を考えてくれていることを承知している。だが、彼女の身の安全と、彼女の矜持とは、多くの場合深刻な対立を起こす。それをリュシアンは理解した上で、付き合ってくれているのだ。


「うむ、礼を言う」


 どこか羞恥を隠すように、王女としての尊大な口調でそう言うエルフリードだった。リュシアンの顔を直視することが出来ず、彼女は窓の外に視線をやった。


「……?」


 一瞬、窓の外に見える光景に違和感を覚えた。だが、それが何故なのかが判らない。


「ああ、なるほどね」


 不意に、馬車の中にリュシアンの低い声が響いた。彼は御者台へ繋がる窓を開けて、御者に馬車を停めるように言う。


「えっ? ……あ、あれ、ここは……?」


 リュシアンに話しかけられて初めて、御者も違和感に気付いたようだった。少年は小さく息をついて、その御者を気絶させる。


「リュシアン、これは?」


方違かたたがえの結界に、人払いの結界を併せた術式。だから馬車は王宮へ向かう道から外れて、道には人っ子一人いない」


 エルフリードの問いかけに答えてからリュシアンは馬車から降りる。そして、その進行方向に視線を向けた。

 そこにいたのは、迎賓館に侵入してきたのと同じ、外套に身を包んだ人影。

 帰路の襲撃の可能性はファーガソンにも伝えてあり、他の来賓の帰路には王室機密情報局の工作員や王都警視庁の魔導犯罪捜査課の人員を警備のために配置させていた。さらに馬車には、リュシアンが作成した守護の呪符を貼り付けてある。

 だが人数的な問題により、エルフリードに関してはリュシアンがいるからと帰路の魔術的警備は行われていなかった。


「エルは、どうする?」


 御者を気絶させたのは、この場で余計な行動をとってもらいたくないからだ。魔術に耐性のない人間は、この御者のように簡単に幻影に騙されてしまう。あるいは精神操作系の魔術の餌食になってしまうかもしれない。

 基本的に、魔術師同士の戦いに常人ただびとが介入する余地はほとんどない。戦闘の邪魔になるくらいならば、気絶させるか逃げてもらった方が、リュシアンにはありがたいのだ。


「愚問だな」


 だが、エルフリードは腰に差した鋭剣サーベルを抜いて馬車から飛び降りた。リュシアンはちらりと彼女に視線を向け、次いで道を塞ぐ人影に視線を移す。


「へぇ、そっちの王女様、結構勇ましいんだね」


 エルフリードの無謀を面白がるように、道を塞ぐ女魔術師は言った。


「でも、私だけそっちの名前を知っているのは不公平かな?」


 そう言って、彼女は自身の顔を隠すフードを下ろした。背中に流した亜麻色の髪に、翠緑の瞳が印象的な優しげな顔立ちの女性。


「私の名前はアリシア・ハーヴェイ。偽名じゃないよ。何だったら、王室魔導院の管理している魔術師名簿で調べてもらってもいい」


「……ごちゃごちゃうるさいよ」


 リュシアンはアリシアと名乗った女性の台詞をほとんど無視するようにして、双剣で斬りかかった。


「おっと」


 アリシアというらしい女魔術師は、杖でその斬撃を受け止める。展開された結界に阻まれて、リュシアンの双剣は弾かれてしまう。


「……」


 リュシアンの瞳が、一瞬だけ虹色の光を帯びる。魔力を“視る”ことの出来る彼の魔眼。それだけで、結界を構築する防御術式を読み解くことが出来る。

 飛び退いたリュシアンが、エルフリードの横に並ぶ。


「……うん、やっぱり君は私を殺そうとしていないね。私から情報が欲しいのかな?」


「……」


 リュシアンは無言だが、図星であった。彼としては、出来ればこの女魔術師から背後関係についての情報を得たいのだ。

 ファーガソンに先んじて情報を得ることで、よりエルフリードの功績を際立たせることが出来る。そうした打算が働いた結果であった。単にファーガソンに協力するだけならば、危険な敵性魔術師は真っ先に排除している。


「そうだね、君が私たちの仲間になってくれたら、教えてあげてもいいよ」


 すると、アリシアは意外な発言をした。


「というよりも、君なら私の思想に賛同してくれそうな気がするけど、“黒の死神”さん?」


 どこか茶目っ気のある仕草で、女魔術師は首を傾ける。

 その誘いに反応したのは、問いかけられたリュシアンではなかった。


「こやつは、私のモノだ」


 一言一言はっきりと発音してそう宣言したエルフリードが、白髪の魔術師より一歩前に出た。


「それは未来永劫、決して変わらぬ」


 そうして、女魔術師に対して剣を構える。


「……王族の傲慢だね」


 だが、そんなエルフリードの言葉に嫌悪感を覚えたのか、アリシアはその秀麗な顔を歪める。


「人民は、人民自身のものだ。王家の所有物ではないよ」


 そして彼女は、同情するような視線をリュシアンに向けた。


「君自身はどう思っているんだい、リュシアン・エスタークス? 君はこれまで、多くの魔術師を殺してきた。でもその多くは、魔術を神聖視するあまり、人権を無視して非道を重ねていた者たちだ」


 確かに、彼女の発言は真実の一つであった。

 リュシアンが師匠であるクラリス・オズバーンと共に始末してきた魔術師の多くは、筋金入りの魔術原理主義者ともいえる者たちであった。

 死霊術ネクロマンシーを初めとする、人の命を犠牲にする魔術は数多ある。だが、それらも魔術師にとってはこの世の真理を解き明かすための神聖なる技術なのである。こうした傾向から、代々魔術師を輩出してきた家系ほど、人権思想家たちの唱える学説とは真逆の行為に走りやすかった。

 リュシアンが始末した魔術師の中には、使用人という口実で人を雇い、その全員を魔術の実験に供して命を奪った者も存在している。

 だが、単に国家にとって邪魔だから始末した魔術師もおり、昨年の国境紛争の際には爆裂術式で多くの敵国将兵を殺害している。


「私には、君のような思想を共有出来る魔術師が必要なんだ」


 アリシア・ハーヴェイが何を考えているのか、リュシアンには判らない。

 だが一つだけ確かなことは、リュシアンは彼女が思っているような魔術師ではないということだ。ただ、王室魔導院からも魔術師として思考が現代的に過ぎるとの批判を受けているので、外部から見るとそうした印象を受けるのかもしれない。

 あるいは、ここでリュシアンに誘いをかけることで、エルフリードのリュシアンに対する猜疑心を煽ろうとしているのかもしれない。

 もしそうだとしたら、それは無意味な駆け引きである。


「俺は、姫のモノでいい」


 何の躊躇いもなくリュシアンは、目の前の女魔術師へと答える。彼の前に立つエルフリードがかすかに笑って、互いに目を合わせる。

 その意図を互いに悟って、頷き合う。

 エルフリードが駆け出すのと、リュシアンが魔術を発動するのは同時だった。

 リュシアンの手の平で発生した火球が蛇のようにうねり、アリシアを襲う。


「君お得意の火炎魔法かぁ」


 無詠唱で魔法を発動したことに対する感嘆の声を共に、彼女は杖の先に防御用魔法陣を展開した。魔法陣の作り出す不可視の壁に阻まれて、炎はアリシアに届かない。

 ガス灯の明かりを凌駕して、周囲は真昼の如きまばゆさに満ち溢れる。


「でも、私を焼き殺さないよう、加減しているようだね」


 “黒の死神”は、魔術師殺しを得意とする。だから逆に、リュシアンに殺意がないこと悟ったアリシアは余裕を見せていた。

 その背後から、エルフリードが大上段に構えた鋭剣で斬りかかる。


「おっと。〈障壁よ、見えざる力にて、我を守れ〉」


 杖はリュシアンに向けたまま防御魔法を張っていたアリシア。半身を後ろに向け、片手で新たな防御魔法を展開する。

 杖に仕込まれていたのと同じ魔法陣が呪文によって展開し、現れた結界がエルフリードの刃を受け止める。

 だが―――。

 その防御結界は、ガラスを破砕するような澄んだ音と共に砕け散ってしまった。


「なっ!?」


 初めて、彼女の余裕のある表情が消えた。


「はぁ!」


 裂帛の叫びと共に間合いに踏み込んだエルフリードが、鋭剣の刃を翻して袈裟懸けに振り下ろした。


「ぐっ……!」


 咄嗟に跳び退いたとはいえ、アリシアの左肩を鋭剣の刃が斬り裂く。

 鋭剣は腱を斬り裂いたのか、彼女の左腕はだらりと垂れ下がる。アリシアは杖を持ったまま、無事な右手で傷口を押さえた。


「……何で?」


 魔術師でもない王女の一閃がどうして防御魔術を斬り裂いたのか、それが理解出来ず彼女は己の血が滴るエルフリードの鋭剣を見つめた。

 そして、その目が見開かれる。

 エルフリードの持つ鋭剣の刀身に、薄らと魔紋が刻まれていた。その魔紋が、淡く発光しているのだ。


「……なるほど、君の差し金かな、“黒の死神”くん?」


 アリシアの視線が、リュシアンを捉える。


「……」


 だが、リュシアンは無言のまま表情一つ動かさなかった。

 刀身に刻まれた魔紋がどのような効果を持つのか、それを即座に見抜いただけでもアリシアという女魔術師は警戒するに値する相手だった。


「さしずめ、魔力保持者でなくても使えるようにした魔剣といったところかな? 刀身に刻まれているのは、対魔の魔紋。厄介なものを王女様に与えたものだね」


 刀身を素早く観察した女魔術師が、敵意も露わにエルフリードを睨む。

 一方、鋭剣を構えるエルフリードは油断なく相手の一挙一動に神経を尖らせている。

 片手で傷口を押さえながら、外套の女魔術師はじりじりと後ずさりして、エルフリードから距離を取ろうとする。それは、この場の脅威度においてリュシアンよりも王女の持つ鋭剣の方が上であると判断した故だ。

 エルフリードが相手の動きに応じるように、立ち位置を小刻みに変えている。

 そしてリュシアンは、己の周囲に炎の蛇を展開させたままだ。アリシアは、この炎の蛇が王女に夜の視界を提供しているだけの存在だと看破する。

 つまり、やはり警戒すべきは王女の方。

 確かに生け捕りにしたいのならば、殺しかねないリュシアンよりも王女の方が適任だろう。その連携に、アリシアは溜息をつきたくなった。

 だが、まだ挽回の機会がないわけではない。王女の持つ鋭剣は脅威であるが、王女自身が魔術師というわけではない。隙はある。

 とん、とアリシアは地面を蹴ってさらに下がろうとする。


「逃がさん!」


 瞬時に反応したエルフリードが、力強い踏み込みと共に鋭剣を振るった。

 その瞬間、アリシアは血塗れになった己の右手と杖を振るった。


「〈我が血潮に命ずる〉」


 現れたのは、己の血で展開された魔法陣。


「エル、呪詛だ!」


 咄嗟にリュシアンは警告したが、エルフリードは止まらなかった。

 魔紋の刻まれた鋭剣で切り裂けると思ったのだろう、とアリシアは内心でほくそ笑んだ。呪詛の脅威を知らない人間らしい失態だ。

 そして実際、エルフリードの鋭剣は血の魔法陣を容易に斬り裂いた。だが、斬り裂かれた瞬間、そのまま消え去るかに思えた魔法陣は、蜘蛛の巣のように変形してエルフリードに絡みつく。


「―――っ、くっ、あっ……!」


「ちっ!」


 呪詛に絡め取られたエルフリードがその場に膝をつくのと、リュシアンが舌打ちと共に彼女を回収したのは同時だった。


「あらあら、立派な騎士様ぶりだね、“黒の死神”」


 自身も痛みで脂汗を流しながら、アリシアは勝ち誇った笑みを浮かべる。

 エルフリードは必死に口から悲鳴が漏れるのを押さえようと、唇を噛んでリュシアンの腕の中で体を捩らせていた。


「ひっ……うぐっ……がっ……んっ……」


 それでも、抑えきれない激痛が彼女の口から漏れ出してくる。


「君は魔術師だから、呪詛の厄介さは知っているよね?」


「……」


 リュシアンは感情の読めない表情で、アリシアを見ていた。ただ、その目だけが不穏に据わっていた。


「術者の私なら、彼女に掛けられた呪詛を解くことが出来る。つまり、彼女の命は私が握っているようなもの。だから、君が協力したくなったらいつでも連絡してくれ」


 アリシアは連絡用と思しき一枚の呪符をその場に残し、逃走を図った。彼女も彼女で状況の不利を悟ったのだろう。治癒魔法を使えば傷は塞がるだろうが、“黒の死神”を前にしては余計な隙を生み出すことになりかねないと判断したのだろう。


「……」


 リュシアンはただ無言で、彼女が逃走するのを見送った。

 やがて彼は、片目の瞼を痙攣させて珍しく怒りという感情を露わにしていた。

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