6 魔術師の邂逅

 虹に妖しく光るまなこに、夜の王都が映し出されていた。

 リュシアンは今、自分を監視する魔術的な視線の発生源を探っていた。魔力を“視る”ことの出来る彼にとって、それさえ見えてしまえばあとは簡単な作業であった。

 迎賓館の二階の露台バルコニーから王都を見下ろしているリュシアンは、喉元に手を当てた。


「聞こえている、准将?」


 ややあって、返事があった。


『やあ、夜会は楽しんでおるかね、リュシアン』


 皮肉るようなファーガソンの声であった。


「俺や姫が、楽しめると思っているの?」


 本気で王室機密情報局局長の正気を疑っているような口調であった。


『単なる軽い冗談じゃよ、流さんか』ファーガソンの苦笑する声。『それで、お前さんがわざわざ連絡を寄越したということは、何かあったのかね?』


「いや。でも、これから起こる。だから、確認して欲しい場所がある」


『ほう?』


「今から俺が言う辺りに何があるのかすぐに調べてくれ」


 リュシアンが自らの魔眼によって探知した位置を、ファーガソンに伝えた。


『……ふぅむ、港の方角だな。調べてまた通信する。それでよいか?』


「なるべく早くで」


『判っておる』


 そう言って、通信は切られた。

 リュシアンの喉元には、チョーカーに取り付けられた小型の水晶球があった。水晶を利用した魔術師同士の通信は以前から行われており、それを応用した通信装置だった。

 とはいえ、術式に大幅な改良を施したわけでもない。魔力のない者でも扱えるよう、事前に魔術師が水晶に魔力を込めておくだけである。定期的に魔力供給を行わなければ使えないという欠点はあるものの、電信技術のないこの時代においては最高の通信速度を誇っている。

 しかし、魔術を神聖視する多くの魔術師はこうした魔術の民間への普及ともいえる技術に否定的であり、人類社会全体で広まっている通信手段ではない。

 また、汎用性の低さから軍や諜報組織の、その中でも限られた者たちしか利用出来ない。

 それでも現在、軍は魔力を持ちながら魔術を扱えるほどの量ではない“魔術師未満常人ただびと以上”の人間たちを徴用して、魔術の軍事利用を行っている。

 少量の魔力しか持たず魔術師を目指せない人間たちは、魔術師となった者たちから明確に差別されており、それが一層、自分たちを必要としてくれた軍に協力的になるという結果を生んでいた。

 なお、魔導通信のための水晶が喉頭式となっている理由は、雑音を混ぜず喉の発する音だけを拾えるようにしたためである。


「……」


 リュシアンは通信を終えると、そっと目を瞑って意識を集中させる。外見的には無防備に見えることだろう。だが、リュシアンの魔力が“視える”魔眼は、目を瞑った方がより鮮明に魔力を感じられるのである。


「……」


 一人、見つけた。足に身体強化エンチャントの魔術をかけて、地上ではなく建物の屋根を伝って接近を試みている。地上を走ることで、万が一にも警備員に発見されることを防ぐためだろう。

 警察の対魔導犯罪部署はもっと拡充されるべきだろう。そうリュシアンは思った。現在の制度では、魔術に関する権限が王室魔導院に集中している。魔導犯罪に対して、どうしても後手に回りがちだ。

 今だって、迎賓館を警備している人間の中に魔術師はいない。

 とはいえ、魔術を神聖視する魔術師が多い中で、接近する人影はどうしてテロリストになったのだろうか?

 まあ、俺には関係ないか……。

 リュシアンは結局、無関心という結論に落ち着いた。所詮、人の事情など人それぞれである。いちいち詮索するだけ、時間の無駄だろう。

 近付いてくる人影は幻影魔術で光学迷彩を施しているらしく、迎賓館を警備する者たちには視認出来ない。とはいえ、それは魔術師でもない彼らにとって無理からぬことでもある。

 問題は、その人影の歩みが迷いないことである。迎賓館を取り囲む高い塀を身体強化の術で乗り越えて、難なく侵入に成功してしまった。

 伯父は、魔術探知のための水晶球は門に取り付けられていると言っていた。だから、門以外から侵入されてしまえば、誰も気付かないのだ。

 そして、侵入者がそのことを知っていること自体が問題だった。相手は、迎賓館の魔術的警備の詳細を把握している。敷地全体を覆う結界が展開されているわけではないことを知らなければ、あそこまで迷いなく塀を乗り越えることはしない。万が一、敷地を覆う結界が張ってあった場合には探知され、せっかくの幻影魔術が意味をなさなくなってしまうからだ。

 逆にいえば、敷地全体を結界で覆わない限り、魔術師の侵入を防ぐのは困難だろう。とはいえ、敷地と建物全体を守護する結界を展開し、それを恒常的に維持するには、かなり高位の魔術師が必要となる。中々、現実的には難しい。恒常的に結界に守られているのは、王都では王室魔導院を有する王宮や王族たちの離宮くらいなものであった。

 さて、その人影の向かった先は、多数の馬車が駐車してある場所であった。御者たちは迎賓館の中で待機しており、駐車場は無人となっている。


「なるほど、生還を期さない爆弾魔とかじゃないってこと」


 一番厄介であるのは、あえて魔力を暴走させて自爆することだ。自身の全魔力を使うため、魔力保持量の少ない魔術師でも、相当な威力を発揮出来る。

 そうした方法を採らないということは、まだ理性的なテロリストなのだろう。テロに走る時点で、理性的かどうかは議論の余地があるが、そこはリュシアンの知ったことではない。

 侵入した人影は、馬車に次々と細工をしていっているようであった。ブレーキに細工をし、爆裂術式を組み込んだ呪符を馬車の底面に貼り付けていく。

 周囲の魔力反応を確認して、リュシアンは他の魔術師が侵入していないかを確認する。だが、どうやら侵入者は一人だけのようだ。

 リュシアンは小さく息をつくと、ふわりと迎賓館の二階部分から飛び降りた。


「そういう悪戯は感心しないよ」


 侵入した人影の背後に降り立って、そう言う。

 相手もリュシアンと同じようにくすんだ色の大外套で全身を覆い、自身の正体を隠していた。

とはいえ、今のリュシアンはフードを外しているため、完全に顔を隠しているわけでもない。だから、相手はリュシアンの顔を確認出来た。その特徴的な赤眼白髪の容貌を。


「……君が、“黒の死神”?」


 リュシアンの容姿に関する情報を得ていたのか、相手はそう問いかけてきた。リュシアンにとっては別に驚くほどの要素ではなかったが、その声は若く溌剌とした女性のものだった。


「だったら?」


 リュシアンはどうでもよさそうに首を傾げる。そして、次の瞬間には腰に差した二振りの小剣(ショートソード)を抜いて相手に襲いかかっていた。


「ははっ! 敵には容赦がないって情報は本当みたいだね」


 女魔術師は古風な杖で、その刺突を防いだ。杖には、傷一つついていない。杖に、防御魔術がかけてあるのだ。


「でも、“黒の死神”は狙撃が得意って話だったけど、剣も使えるんだね」


「……」


 情報を得ていることを誇示するように、彼女は楽しげに喋る。その声に親しみが混じっていることを怪訝に思いつつ、リュシアンは後ろに跳んで下がる。


「……だって、いきなり頭を撃ち抜いたら情報が得られないでしょ?」


 リュシアンはやはり淡々とした口調で、女の質問に答えた。


「ははっ、確かにその通りだ。じゃあ、私は幸運ってことでいいのかな?」


 言うが早いか、女魔術師は外套の内側から一枚の呪符を取り出した。


「はっ!」


 それがリュシアンに投げつけられた瞬間、眩い閃光が走った。目くらましの術が仕込まれていたのだ。

 その隙に、女魔術師は迎賓館からの逃走を図る。

 咄嗟に目を瞑ったとはいえ、瞼越しでも強烈な閃光は網膜に伝わってしまう。一時的に目を潰されたリュシアンであるが、彼の魔眼は健在である。逃走した女を追うことなど、造作もない。


「やっぱりさっさと頭を撃ち抜いておくべきだったなか」


 溜息と共にぼやいたリュシアンは、しかし即座には女魔術師を追わずに、馬車に仕掛けられた術式の解除を行った。同時に、魔導通信を使ってファーガソンに襲撃の件を伝える。

 追撃よりも、来賓の帰路の安全を優先したのだ。

 ブレーキの破壊された馬車はリュシアンにはどうしようもないので、急いで工作員を派遣して修理してもらうしかないだろう。

 他国の外交使節が招かれた迎賓館で不祥事があっては、連合王国の威信に関わる。迎賓館での一件は、ファーガソンらによってなかったことにされるだろう。


「さてと」


 短時間で術式の解除を終わらせたリュシアンは、足に身体強化エンチャントの魔術をかけて、一気に迎賓館の屋根へと上る。

「〈フェイルノート〉」


 両手にはめた指貫の手袋。その手の平の部分には、魔法陣が描かれている。それが発光し、彼の左手に、黒塗りの弓が召喚された。

 魔術師の持つ霊的装備、通称「霊装」。

 〈フェイルノート〉―――「外れずの矢」として知られるいにしえの武器の真名を解放して、リュシアンは弓を構える。


「……」


 白髪の魔術師は己の右手に魔力を集中。大気中の霊子と反応して、小さな燐光が舞う。

 矢の形に収縮させた魔力を、弦に番う。ぐっと弓を引き絞った。

 妖しく光る死神の瞳は、はっきりと目標となる魔力源を捉えていた。

 弓がしなり、矢が弦より放たれた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「目標より、高魔力反応を感知。波長データより、先年のロンダリアと北ブルグンディアとの国境紛争で確認された個体と同一と判定」


「個体名称“黒の死神”。一応、実在はしていたわけだな」


 とある貿易商店の一室で、男たちの会話が交わされる。


「しかし、凄まじい数値だな」


 男の一人が、水晶球が白い壁面に映す波長を読み取り、畏怖の声を漏らす。


「あながち、爆裂術式で一個大隊を壊滅に追いやったというのは、戦場伝説ではないかもしれんな」


「はい、我々もそれを聞いた時には半信半疑でしたが……」


「北王国が敗北の責任を回避するための言い訳というわけでもなかったか」


「恐らくは」


「ふむ。しかし、魔術的工作とはこれほどたやすく見破られてしまうものなのかね?」


 男たちの中で、最も地位のありそうな人物が言った。彼は今回の馬車の爆破工作が、すでに失敗に終わったであろうことを確信していた。

 でなければ、“黒の死神”が出てくるわけがないのだ。


「はい、いいえ、大佐殿。あの女魔術師はそれなりの手練れです。単純に、今回は相手も手練れだったというだけでしょう。その証拠に、あの女が偽装した拠点は、昨日まで発見されることはありませんでした」


 水晶球を操る魔術師たちを監督していた男が、そう答えた。


号持ちネームド魔術師とは、そういうものか」


 納得したように、大佐と呼ばれた男は言う。


「はい」


「彼女は逃げ切れるか? というよりも、防ぎきれるか?」


「判りません」部下らしい男は答えた。「しかし、あの女魔術師も相当な実力の持ち主のはずですから」


「ふむ。魔術師同士の戦闘というのも、なかなかの見物か」


 興味をそそられつつも、冷静さを失わない大佐。


「はい。爆破工作は失敗しましたが、“黒の死神”の魔力波長に関する詳細データを入手するという目的は達成出来そうです」


「よろしい。それと、先ほどの魔導通信は解読できたのか?」


「いえ、通信に暗号化処理が施されておりましたので」


「ふむ。やむを得んか。“黒の死神”のデータを取れたことだけでも良しとすべきだな」


「目標の魔力反応、さらに増大」


 壁に映る波線が、さらに跳ね上がった。


 それを見て、魔術師たちを監督する男 (彼自身も魔術師である)は怪訝そうに片眉を上げた。いくら何でも、魔力反応が大きすぎやしないか……?


「“黒の死神”、確実に彼女を始末する気のようです。援護いたしますか?」


 その暢気ともいえる部下の進言を耳にした瞬間、男は椅子を蹴って立ち上がった。


「観測装置を停止させろ! 逆探知されているぞ!」


「ほ、砲撃術式を感知! こ、この距離で!?」


「退避! 退避だ!」


 数瞬後、彼らの潜伏場所に凝縮された魔力で構成された矢が着弾。一帯を爆炎と共に吹き飛ばしてしまった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「……」


 遙か遠方で爆炎が上がるのを、リュシアンは迎賓館の屋根の上から確認した。

 それと同時に、自分にまとわりついていた視線も消えている。


「……准将、観測所の破壊を確認したよ」


 再び喉元の水晶球を手で押さえ、ファーガソンに通信する。


『こちらも、現地に人員を送り込んだところだ。今夜の件は、不幸な火災事故として処理されるだろう』


「そう、じゃあ後は頼むね」


 リュシアンは事後処理を丸々ファーガソンに押し付けた。


『しかし、貿易商店に偽装した観測所まで設けてお前さんを監視していたとなると、単に共和主義にかぶれた者たちの行動とは考えにくいな』


「やっぱり、他国の介入?」


『を、考慮に入れて行動すべきだろうな。とにかく、お前さんにも協力してもらうぞ』


「俺は、姫の安全が最優先だけどね」


 それだけは譲れないと、リュシアンは釘を刺した。

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