5 夜会

 リュシアンとエルフリードが乗ってきた馬車は、彼の伯父である外相ライオネル・ド・モンフォートが回したものであった。

 馬車はそのまま、迎賓館の敷地内へと進んでいく。


「おや、来たな」


 彼らを直々に迎えたのは件の外相、モンフォート公爵だった。

 エルフリードは馬車を降りる前に、リュシアンに髪を縛ってもらっていた。彼女の長い髪は今、後頭部で束ねられ、その上に将校用制帽が乗っている。

 軍服の着こなしや勲章と相俟って、今の彼女は完璧な騎兵科将校であった。


「殿下も、ようこそおいで下さいました」


「殿下はよせ。今はただの陸軍中尉だ」


「それは失礼しました、中尉殿」


 公は威厳のある年の取り方をした男であった。

 無駄な脂肪を付けず、すらりとした長身。顎から頬にかけて薄く伸ばした髭。顔に刻まれた皺。どれも、彼の人生が積み重ねてきたものを示していた。


「リュシアン、お前は相変わらずか」


 馬車から降り立った甥の恰好を見て、ライオネルは苦笑を浮かべる。


「公、卿は先ほどの私と同じことを言っているな」


「ああ、中尉殿も思っておられましたか。うちの甥はどうもこのような場が苦手なようで」


「まあ、我が婚約者の情けなさは出逢った時から知っている。今更言っても詮無いことだろう」


「それもそうですな」


 好き放題に言われているリュシアンは、どうでもよさそうな無表情のまま周囲を見回していた。

 迎賓館には当然であるが、来賓たちの馬車が多数、停められている。南ブルグンディア宰相を歓迎する内閣主催の夜会であるが、王都市長や貴族、経済界の要人たる大資本家たちも招かれている。

 ブルグンディアの穀倉地帯を治める南ブルグンディアは、良質なワインの生産地としても知られていた。そうした経済的な繋がりを求め、多くの者たちがこの夜会に参加しようとしているのだ。


「ねえ、伯父さん。俺以外に、参加者に魔術師っているの?」


「いや、私の確認した限りでは参加者に魔術師はおらんよ。御者などの随員の名簿も確認したが、魔術師はお前さんだけだな」


「ふぅん。じゃあ、魔術的な警備はどうなっているの?」


「来賓用の正門も含めて、門のすべてに魔力探知用の水晶球が設置されている。魔術師が幻影魔術を使って侵入しようにも、探知出来る」


「そう」


 と、やはりどうでもよさそうな調子でリュシアンが返す。


「まあ、不肖の甥ではありますが、中尉殿、よろしく頼みますよ」


「案ずるな。私にはその“不肖の甥”が必要なのだ」


「それはようございました」


 本当に安堵した口調でモンフォート公爵は言う。それは、政略結婚の成功という意味での安堵なのか、純粋に甥が良い人間関係を築いたことに対してなのか、エルフリードには判断しかねた。恐らく、前者の割合が大きいのだろうと思う。

 外相である公爵は他の来賓たちの出迎えもあり、そのまま次に迎賓館の正門を潜った者の対応に行ってしまった。

 エルフリードたちが乗ってきた馬車は、次の馬車の邪魔にならぬよう御者が移動させておく。


「それで、どうかしたのか、リュシアン?」


「うん? ああ……」


 エルフリードの方を向いたリュシアンの瞳は、普段の赤紫ではなかった。

 ガス灯や迎賓館から漏れる明かりを反射して、虹色に妖しく変色していた。

 魔力を“視る”ことの出来るリュシアンの異能。エルフリードはそれを知っている。そして、瞳がその色に染まったということは、リュシアンがその能力を最大限活用しているということだ。


「視られている。魔術的な要素で視力を強化したのか、ガラス窓や池の水面を触媒にして映像を見ているのかは、よく“視て”からじゃないと判らないけど」


「癪ではあるが、あの狐めの懸念は正しかったということか」


「いや、どうなんだろうね?」リュシアンは首を傾げた。「監視されているのは迎賓館じゃなくって、俺だから」


「昨夜の拠点を見破ったことで、共和主義にかぶれた魔術師から最優先排除対象とでも認識されたか?」


「そうかもしれないね」


 そうであるならば、ファーガソンの懸念に従って迎賓館に来たのは間違いだったことになる。不用意に、来賓を危険に晒すことになりかねないのだ。

 とはいえ、今更帰るわけにもいかない。相手の標的がリュシアンであったとしても、実質的に迎賓館を守れる魔術師は彼だけなのだ。

 リュシアンが迎賓館を離れることで、相手は魔術的な守りの薄くなった迎賓館に標的を変えるかもしれない。


「まあ、いいさ」


 リュシアンはさして気負いなくそう呟いたのであった。その際、腰の後ろに交差させるように差してある二振りの短剣の感触を確かめた。


  ◇◇◇


 迎賓館の広間には、音楽隊によって優美な旋律が奏でられていた。

 天井から吊されたシャンデリアが室内を明るく照らし、豪華な内装を際立たせている。

 広間には、モーニングコートをぴしりと着込んだ男たち、色とりどりのドレスに身を包んだ女性たちが思い思いの相手と歓談をしていた。

 夜会には、南ブルグンディアと友好関係にある各国の大使たちも招かれていた。

 夜会が、北ブルグンディア王国やヴェナリア共和国に対する牽制の意味が込められていることがよく判る。

 そのことに、エルフリードは小さく唇を歪めた。


「滑稽とお笑いですかな?」


 あえて壁際にいるエルフリードに話しかけてきたのは、モンフォート公爵であった。


「ああ、酒とダンスをしながら仮想敵国を牽制する。何とも迂遠なことではないか」


「それが外交というものです、中尉殿」


 少し強い口調で、リュシアンの伯父は断言した。


「軍人と財務官僚は不倶戴天の敵、とはよく言われますが、外交を司る私としては、軍人と外交官も不倶戴天の敵なのですよ」


「ほう?」


 エルフリードが挑発的な目で公爵を見上げる。だが、ライオネルは王女のそんな視線を無視して続けた。


「軍人というのは、力で何もかも解決しようとし過ぎる。徒に仮想敵国に対する強硬論を唱え、国内政治を攪乱する。これが外交官の敵でなくて、何だというのです?」


「軍人に対する偏見だな、それは」


「まあ、極論であることは理解していますよ。しかし、政戦略の一致という大義名分の下に、軍人が政治に介入しようとした事例は歴史上、いくらでもありますからな」


「政戦略の一致がなければ、戦争には勝てんぞ」


「その戦争を起こさないように努力するのが、我ら外交官の、いや政治家の役目です。そのために滑稽な芝居が必要なのであれば、いくらでも笑いものになりましょう。国家の命運を賭けるより、王国臣民の命を賭けるより、遙かに健全だとは思われませんかな?」


「卿が、王国に対する忠誠心に溢れているということは覚えておこう」


 議論が平行線を辿っていることを悟り、エルフリードはそう言ってこの話題を終わらせた。

 彼女としても、外交官の役割を軽視するつもりはない。だが、国威を背負って立つ軍人としての思考からか、あるいは女性的な軟弱さを嫌う彼女の心情からか、夜会の滑稽さを笑わずにはいられなかっただけなのだ。


「しかし、我が甥も情けないものですな。レディのエースコート一つままならんとは」


「私が必要と思えば、してもらうさ。あれは、そういう人間だからな」


「おや、殿下は昔からこのような場がお嫌いと思いましたが、あの子のエースコートならば受けると?」


「当然だろう?」エルフリードは一片の衒いもなく言った。「あれは、我が婚約者だ。というか、卿がそう仕向けたのであろう?」


「これは手厳しいご指摘ですな」ライオネルは苦笑した。「しかし、そうまで親しくなられたのなら、私も甥を殿下の婚約者にした甲斐があったというものです」


「ふん、よく言う」


 ライオネルの言い草を、エルフリードは鼻で笑った。所詮は、自分の家の権威を示すために王女の降嫁を狙っていただけだろうに。


「では、南ブルグンディアからの答礼として後日、南ブルグンディア大使館で開かれる夜会には、是非とも殿下と我が甥が踊る姿を拝見したいものですな」


 エルフリードにとっては馬鹿馬鹿しいことでもあるが、互いの国が互いの主催する夜会に招待することで友好関係を喧伝しようとしているわけである。

 王族や貴族による宮廷外交の迂遠なことといったらない。エルフリードは、そうした外交を虚飾だと思っている。あるいは、時間の無駄か。

 とはいえ、個人的な好悪の感情で夜会への招待を断るわけにもいかない。宮中儀礼や外交儀礼は、エルフリードがどう思っていようと必要なものなのだ。多くの政治家たちが、そうした形式上の行為に意味があると思い続けている限りは、という条件が付くが。


「殿下、ではなく中尉だ。外相」


「おや、これは失礼を」


 とはいえ、そうした内心を目の前の男に指摘するだけ無駄だろう。彼もまた、宮廷外交を主導する人間の内の一人なのだ。


「では、我が甥の分まで、今宵は楽しんでいかれますよう」


 そう言って他の来賓の対応に向かったライオネルの背を見送ると、エルフリードはまた壁の染みを決め込むことにした。壁の華というには、自分に女性らしさが足りないことを自覚している。


「……まったく、ご苦労なことだな」


 来賓たちの間を巡り歩く南ブルグンディア宰相を見て、エルフリードはそう呟いた。

 王国統一という野望は、南北それぞれが持っている。鉱山があるために鉱工業が栄えている北側と比べて、農業が主体の南側は経済力で劣っている。つまりそれは、軍事力の差にも表れてくるというわけだ。

 だからこそ、南の人間としては友好国との関係を確固たるものにしておきたいのだ。ある意味ではその機会を、連合王国が与えているともいえた。


「さて」


 エルフリードは給仕から果汁の入ったグラスを二つ受け取ると、露台バルコニーへと繋がる大窓へと近寄り、開けられた窓を背に立った。


「……リュシアン」


 小さくそう呼べば、背後に人の降り立つ気配。エルフリードはそっと二つのグラスの内、一つを渡す。


「今のところ、何か変事はあるか?」


「いや、視線が気になるだけで、他には何も起こっていないよ。幻影魔術で給仕や料理人に化けている魔術師もいないようだし」


「そうか」


「迎賓館全体に、こちらを害するような魔術的な仕掛けは施されていない」


「だが、やはり視線が気になる、と?」


「そうだね。相変わらず、俺だけを視ているような感じだよ」


 背中合わせになって互いの体温だけを感じ取りながら、言葉を交わすリュシアンとエルフリード。


「……判った。くれぐれも気を付けろよ、リュシアン」


「ありがとう、エル」


 一瞬だけ、そっとリュシアンはエルフリードの背中に体を預けた。

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