8 呪詛の行方

 翌日―――。

 陸軍大学校は、参謀将校を育成するための陸軍の教育機関である。

 この場合の参謀とは、旅団以上の高等統帥を補佐する役職のことをいう。

 軍事制度についてはヴァルトハイム帝国に一日の長があり、各国はその制度を模倣することで、軍はそれまでの「王の軍隊」から「国家の軍隊」へと変貌を遂げていた。

 かつては見られた傭兵制度も衰退し、徴兵制度による国民国家の軍隊ともいえるものが、各国で形成されていた。

 ロンダリア連合王国の王都に設けられた陸軍大学校も、そうした近代的な軍事制度を象徴する機関であった。

 受験資格がある者は、部隊付勤務の経験のある歩兵、騎兵、砲兵、工兵、輜重兵の内、三十歳未満で、かつ品行方正、勤務精励、身体強健で頭脳明晰と所属部隊長が認めた将校のみであった。

 そして、その合格者は受験者の一割という、非常に狭き門である。

 とはいえ、王族であったエルフリードは特別枠での入学を許可されていた。彼女自身は他の受験者と同じように試験を経ての入学を望んでいたが、王族が試験で不合格になることは王室の権威に関わるとして、無試験で入学させられていた。

 仮に受験をしていたとしても、王族に配慮した試験官が彼女の点数を水増ししたことだろう。

 どの道、彼女の陸大入学は約束されたものであった。

 もちろん彼女にとっては不本意な待遇であり、入学後は周囲に自身の実力を認めさせるべく、講義における積極的な発言、兵棋演習での勝利、匿名での軍関係雑誌への論文投稿を行っていた。

 陸大の教育は、戦術・戦略・戦史といった純軍事的ものから、制度理解に必要な法学、実際の戦場で必要な数学・物理・科学といった自然科学の分野など、多岐にわたる。






 午前中の講義の終了を告げる鈴が鳴り、陸軍中尉であるエルフリードは他の陸大生と共に講堂を後にした。

 多くの者が食堂へ向かう中、彼女はその流れに乗らない数少ない人間だった。だからといって、別に弁当を持ってきているわけでもない。

 彼女が向かったのは、教官たちの利用する会議室であった。


「ベイリオル中尉、入ります」


 彼女の正式な名は、エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオル。連合王国の現王朝はベイリオル朝と呼ばれており、そのために彼女の名字もベイリオルとなる。


「ああ、もうそんな時間か」


 会議室にいた壮年の男性が、壁時計を見て呟いた。

 大佐の階級章を下げる男に向け、エルフリードは敬礼した。大佐が椅子から立ち上がって答礼し、手を下ろしてから彼女もようやく手を下ろす。


「それで、エスタークス勅任魔導官、魔導兵器の量産は、やはり難しいかね?」


 部屋の奥、黒板の前に立つリュシアンに向き直った大佐が言った。

 大佐は細身長身な人物で、いささか白くなった髭を鼻の下に伸ばしていた。軍人というよりも、厳しい大学教授といった雰囲気の人物であった。

 二人に挟まれた会議室の机の上に、一振りの鋭剣サーベルが置かれていた。抜き身の刀身には、昨夜の魔術師との戦闘でエルフリードが使用したものと同じ魔紋が刻まれていた。


「難しいというより、不可能だよ」リュシアンは答える。「例えばこの魔導剣、魔紋はいちいち魔術師が刻まないといけないから、量産性は最悪。工業製品というよりは、一種の美術工芸品だね。さらに定期的に魔力を剣に注ぎ込まないといけないから、軍で大規模に使用するとなるとそれ相応の数の魔術師を揃えないといけない」


「ふぅむ」


「現状、海軍の魔導機関で推進する魚形水雷の生産だけで、軍技術廠は手一杯でしょ? それだって、月産十本いけば良い方だって聞いているけど?」


 大佐という地位の人間を前にしても、リュシアンは普段の感情が希薄でぶっきらぼうとも取れる口調を崩さない。とはいえ、准将の地位にあるファーガソンを相手にそうなのであるから、大佐ならばなおさらである。

 相手の大佐の方も、その態度に特に不快感を覚えている様子はない。むしろ、宮中の序列でいえば勅任官であるリュシアンの方が地位は高いことになるので、階級という序列を重視する軍人であるならば当然のことなのかもしれない。


「姫の持っている魔導剣は、俺が常に一緒にいるから刀身の魔力が枯渇することはないけど」


 と、リュシアンは最後に付け加えた。大佐の目が、エルフリードの腰に向かう。


 エルフリードの剣帯に下げられているのは、彼女が将校であることを示す鋭剣である。彼女の剣もまた、刀身に魔紋が刻まれた特注品なのだ。彼女の鋭剣は軍技術廠の作成ではなく、リュシアンが彼女のために鍛えたものである。


「量産性。確かに、それは工業発達が著しい現代において、兵器製造における必須事項だろう」


 大佐は納得したように頷いた。


「エスタークス勅任魔導官、君の話は毎度、実に興味深い。参謀本部の嘱託として雇いたいくらいだ」


「生憎だけど、俺は姫の専属魔導官だから」


 リュシアンは即答する。


「判っているさ。だからこうして、姫殿下の授業中の時にだけ、話を聞きに来ているのだ」


 大佐は苦笑を浮かべながら、会議室の椅子から腰を上げた。


「では、午後から参謀本部での業務があるのでな。私は失礼させてもらうよ。ベイリオル中尉も、勉学に励むように」


「はっ、ありがとうございます」


「ああ、それとエスタークス勅任魔導官。例の調査結果は君とオズバーン勅任魔導官にも渡るよう手配しておこう」


「うん、ありがとう、大佐」


「何の。これからも、貴殿とは良好な関係を保っておきたいのでな」


 再び敬礼するエルフリードの脇を通り、大佐は会議室を後にした。

 リュシアンが素早く扉を閉めた途端、エルフリードは少年の腕の中に倒れ込んだ。リュシアンの手に伝わる彼女の体温は、熱でも出しているのではないかと思われるほどに高い。


「もう……限界だ……」


 普段の凜とした態度とは打って変わった苦渋に満ちた声で、エルフリードは言う。

 リュシアンは赤い錠剤を取り出して、それを彼女の口に含ませた。用意しておいた水筒を彼女の口にあて、水で錠剤を流し込む。


「……」


 すると、彼女の表情が少しだけ和らぐ。


「少し、楽になった?」


「……ああ、すまん」


 ほぅと彼女は息をついて、苦痛で乱れてしまった息を整える。


「あまり、会議室に長くいると怪しまれる。動ける?」


「ああ」


 そう言う彼女の声は、やはり体調不良を思わせるほど力ないものだった。

 この状態で午前中の講義を乗り切ったのだと思うと、リュシアンは改めて彼女の精神力に感嘆してしまう。

 少なくとも彼女は、リュシアンの前以外では普段通りに振る舞っていたのだ。

 その身を、呪詛による絶え間ない苦痛に冒されながら。

 それを緩和しているのが、赤い錠剤。魔力の籠もったリュシアンの血を、魔術で固めただけの錠剤とも呼べないような代物だった。

 魔力を持たない彼女に掛けられた呪詛を、錠剤に込めた術式と血に含まれるリュシアンの魔力によって押さえようとしているのだ。

 作りたてでなければ込めた血液内の魔力が拡散してしまうため、彼から都度、受け取るしかなかった。


「多分、また四、五時間くらいしか効果がないと思うけど」


「構わん。とにかく、講義終了まで持てばよい」


 エルフリードの専属魔導官でもあるリュシアンは、彼女の護衛として陸軍大学校に入ることを許されていた。というよりも、彼の魔術の知識に目を付けた参謀本部や海軍総司令部が、その聴講のために大学校に入れているという側面が強い。

 魔術に関する知識の多くを王室魔導院が独占的に持っている以上、魔導兵という兵科を持つ軍としてはその運用について、本職の魔術師から意見を聞く必要があったのだ。

 だからこそ、陸軍大学校に魔導兵の入学資格は存在しない。参謀教育を施せるほど、兵科として発展していないのである。


「食事、食べられそう?」


「うむ、正直、食べる気がしないが……」


「食べないと体力を呪詛に奪われる一方だから」


「判った、判った。食べる。食べればよいのだろう」


 正直、看病してもらう身としては、リュシアンに逆らえない。エルフリードはいつもと立場が逆転していることに、呪詛の苦痛に苛まれながらも可笑しく思っていた。

 やはり一度こいつに甘えてしまうとどんどん自分が女々しくなるなとエルフリードは内心で独りごちつつ、そんな甘えを始めてしまった昨夜の記憶を呼び起こしていた―――。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 女魔術師アリシアの呪詛を受けたエルフリードは、その後、気を失ってしまった。

 リュシアンは迷ったが、結局、ファーガソンにはアリシアと帰路に交戦した件だけを報告することにした。

 敵から呪詛を受けるなど、自身とエルフリードの立場を悪くするだけだと判断したのだ。ある種の保身であるが、エルフリードは自身が弱っていることを他者に知られたくないだろうと思った結果だった。

 そのままリュシアンは、王都にあるエスタークス伯爵家の町屋敷にエルフリードを運び込んだ。

 御者や王宮の者には、幻術によって生み出したエルフリードを見せて、王宮の自室に帰還したように偽装した。

 流石に何日も繰り返せば、特に王室魔導院に気付かれるだろうが、一日、二日であれば隠し通せるだろう。それ以降は、何とか口実を設けなければならない。

 呪詛の効果を緩和するためには、魔術に関する設備の整ったエスタークス伯爵家の屋敷の方が好都合なのである。

 その屋敷の寝室で、エルフリードは浅い呼吸と共に眠り続けていた。額に浮かぶ脂汗を時々、リュシアンは氷水で冷やした布で拭ってやる。

 エルフリードは自身の弱った姿を、他者に見られることを嫌がる。

 明日には、陸軍大学校に登校しなければならない。それまでに、呪詛の影響を少しでも緩和しなければならなかった。軍人としても、体調管理はその人物の評価に関わってしまう。

 ここでエルフリードという人物に減点材料を与えてしまうことは許されなかった。

 だから、エスタークス家の町屋敷に使用人が誰もないことは幸運だった。

 元々、町屋敷の管理を任されている使用人はいるのだが、リュシアンが当主となってからは、モンフォート公爵家の町屋敷に移していた。今では定期的に、この屋敷の管理のために訪れるだけの使用人たちである。

 ただ、そのために寝台は常に清潔で整頓されていた。

 屋敷は現在、リュシアン・エスタークスという魔術師の陣地となっていた。

 魔術師は、自身の拠点とする陣地に容易に他者を入れない。そこは、その魔術師が研究に研究を重ねて編み出した秘術を外に漏らさないための場所であり、他の魔術師に対する防御態勢も整っている場所であった。故に、「陣地」もしくは「工房」と呼ばれることが多い。

 だからこそ、リュシアンは自身の屋敷にエルフリードを運び込んだのだった。

 彼女の横たわる寝台は部屋の中央に置かれ、寝台を中心にして床には五芒星の魔法陣が描かれている。


「うっ……くっ……」


 時折、小さな呻き声を漏らすエルフリードを、リュシアンは一睡もせずに看病を続けていた。






 エルフリードは、安眠とはほど遠い苦痛の中で目を覚ました。

 周囲を確認しようと、視線だけを動かす。


「目、覚めたんだ」


 リュシアンの声が聞こえた。寝たままの姿勢で声の方向に顔を倒すと、白髪赤眼の魔術師は本棚に背を預ける形で床に片膝を立てた姿勢で座り込んでいた。少し、疲労の色が見える。


「……ああ。ここは、お前の屋敷か?」


 見覚えのある内装からそう判断した。


「そうだよ」


「そうか」


 そう言って、エルフリードは体を起こそうとした。呪詛をその身に受けた時よりも、全身を襲う苦痛はだいぶ和らいでいる。少なくとも、全身を切り刻まれて内臓を引っ掻き回されるような激痛は感じない。

 痛みを我慢すれば、動けないことはなかった。


「うん?」


 だが、今度は自身の体に別の違和感を覚えた。妙に夜具の感触がはっきりとしているのだ。

 身を起こして、体を覆う夜具がはらりと落ちて上半身が外気に触れたことで、ようやく違和感の正体に気付いた。

 夜具の下にあったのは、一糸まとわぬ自身の裸体だったのだ。


「おい!?」


 反射的に夜具を胸元まで引き上げて、リュシアンを睨む。リュシアンは一瞬、何故睨まれているのか理解出来ない表情のまま首を傾げたが、少ししてエルフリードの視線の意味を理解したようだ。


「……ああ、見てごらん」


「は?」


 改めて、エルフリードは己の裸身を確認した。


「これは……」


 肌の表面に、鮮やかながらも毒々しい赤い線が蛇のように走っている。それは全身を締め付けるようにして描かれており、皮膚の下で脈動しているようにも感じられた。


「それが、呪詛の術式そのもの」


「……」


「術式を解析したけど、その呪詛は全身に回っている。俺の魔術で呪詛をだいぶ緩和したけどね」


「……すまん」


 エルフリードは夜具で体を隠すことも忘れ、自身の体を眺めた。

 両腕を絡め取り、薄く膨らんだ胸を締め付け、女性的な曲線を描く腰を取り巻き、臀部を通り、両足に絡みつく赤い線。

 そして、胸の中央に描かれた赤黒い魔法陣。


「これは?」


 自身に絡みつく呪詛の紋様の中で、一つだけ異質なその魔法陣。


「俺の術式。血で書いたからちょっと気持ち悪いかもしれないけど、我慢して」


「お前の術式なのだろう? 気持ち悪いなどと思うものか」


 そっと、エルフリードは自身の胸に描かれた魔法陣をなぞる。


「そう」


 エルフリードの耳に、疲労を滲ませたリュシアンの声が響く。きっと、自分が眠っている間も呪詛の術式の分析と、対抗するための術式を組み上げていたのだろう。だというのに、彼はエルフリードの失態を責めることをしない。


「……なあ、リュシアン」


 エルフリードは生まれたままの恰好のまま、寝台に腰掛けてリュシアンに向かって両腕を広げる。


「私の体を取り巻くこの呪詛、アリシアと名乗った魔術師と繋がっているのか?」


「繋がっているよ。だって、俺は“視える”から」


「なるほど」


 もう一度、エルフリードは自身の体を取り巻く赤い線を見た。だが、当然リュシアンのような魔眼を持たない彼女は、不気味な赤い線にしか見えない。


「それで、呪詛の効力は?」


「命を奪うというよりも、相手を激痛によって苦しめる術式。術式が十全に発動していれば、きっと苦痛でのたうち回ることになる」


「お前のお守り、のお陰か」


 エルフリードは何もまとわぬ自身の体の中で、唯一残された装飾に触れる。首から下げられた、縞瑪瑙のお守り。

 彼女の身を守るため、縞によって構成された層の一つ一つに守護の術式を丁寧に組み込んだリュシアンの力作である。エルフリードが士官学校を卒業したときに、リュシアンから贈られたものだ。


「呪詛の術式、相手に苦痛を与えるためのものだけど、術者が望めばいつでも呪殺出来る」


「私の命は、あの女が握っているということか?」


「俺が、それを許すと思う?」


 少し怒ったように、リュシアンが語気を強くした。


「すまん」


 エルフリードは素直に謝罪した。


「今、呪詛は君の体内で俺の魔力と拮抗した状態にある。少なくとも、あの女がこれ以上、呪詛を使って君をどうこうすることは防いでいる。俺の術式が定着すれば、もう少し苦痛を緩和することも出来る」


「……なるほど」


 目元に薄らと隈を浮かべたリュシアンの顔を見て、エルフリードは頷いた。

 エルフリードの勝手に巻き込んで、結局、後始末をリュシアンに押し付けてしまっている。リュシアンの警告を聞いて、止まることも出来た。だが、彼女はあえて危険性のある賭けに出た。

 リュシアンを信頼しているからこその、賭け。

 結局、呪詛を受けてしまったが、自分とリュシアンならば分の悪い賭けではないはずなのだ。

 でも……。


「リュシアン、こっちに来てくれ」


「……」


 エルフリードの思いを察したのか、リュシアンは無言でその通りにした。

 素肌を晒したままの少女は、ぎゅっと細いリュシアンの体に抱きついた。少し筋張った、でも適度に筋肉をまとった少年の体。

 エルフリードのこの世でただ一人の理解者の少年。


「……痛いんだ。とっても、とっても痛いんだ」


 自分でも情けない声を出していることは判っている。


「痛いよ……。痛いよぉ、リュシアン」


 痛みに負けて泣きそうだなんて、屈辱以外の何ものでもない。でも、この少年の前でなら……。


「ごめん」


 リュシアンも、そっとエルフリードの体に腕を回す。


「謝るなっ! 私が勝手にやったことだ!」


 全身を苛む痛みの中で、エルフリードはリュシアンの胸に顔をうずめて叫ぶ。

 今だけは、この少年に甘えてもいいだろうか? いつも、彼の優しさに縋ってばかりいる自分ではあるのだけれども……。

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