2 勅任魔導官
この国―――ロンダリア連合王国は、ヴァルトハイム帝国と並ぶアウルガシア大陸の二大国家である。国土はエリンランド、クルーランド、ノーデンルス、ウォセグスの四つの地域からなり、その下にそれぞれ貴族や勅任官が知事として治める州が存在している。
今から二百年ほど前、人口と経済力で勝るエリンランドが他の地域を圧倒し、同君連合を形成後、併合という形をとって現在の連合王国が成立した。
その王都ロンダールは、三重の運河に囲まれた水運の都として栄える場所であった。
同心円状に掘られた運河の中心、まさしく王都の中心ともいえる場所に、王宮は存在していた。
敷地内には王族たちの住まう宮殿と、宮内省の庁舎、そして近衛師団司令部などの建物が建ち並んでいる。
背中に翼の生えた戦女神の大理石像が正面に立つ近衛師団司令部は三階建ての庁舎であり、その三階の一角には王室機密情報局の名で知られる部署のオフィスがあった。
この情報機関は国王直属の組織であり、王国内外の王室に対する陰謀を阻止するために設立されたものであった。そして、その責任は国王に対してのみ負うという特殊な形式を取っている。
現在、王室機密情報局の責任者は、サー・ハリー・ファーガソン准将。
厳めしい顔をした大柄な五十代の人物であった。
「お前さんのおかげで、共和主義者どもの拠点を一つ潰せた。それについては感謝しとるよ、
カン、とチェス盤に駒を打ち付ける音が響く。
王国政府によって正式に資格を与えられた
「……そう」
言葉少なに駒を動かすリュシアン・エスタークスは、その数少ない勅任魔導官の一人であった。
「とはいえ、拠点を潰せただけで、主義者どもを逮捕出来たわけではない。問題はそこだな」
「これから、どうするの?」
興味があるというよりも、単なる情報収集の一環として聞いているような、無関心な口調でリュシアンは訊く。
「王都警視庁と王室魔導院が相も変わらず、縄張り争いを続けておる」
「そう」
やはり関心が薄い口調で応じ、リュシアンは駒を動かす。
犯罪捜査は警察の役目であるが、魔術を管轄するのは王室魔導院である。そのため、魔導犯罪が発生するたびに、捜査権限を巡る争いが行われるのだ。
「警視庁としては今回の事件を共和主義者による王政転覆活動の一環と捉えておるが、魔導院はそれに手を貸し魔術の神秘性を損なった魔術師の存在をこそ重要視しておる」
「馬鹿らしいね。警察にだって、魔術師はいるのに」
ようやく感想を漏らすリュシアンであるが、その口調はどこか他人事めいていた。
「魔導院にとって、警察の魔術師など魔導の本流から外れた存在に過ぎんというわけさ」ファーガソンは皮肉る。「必要悪的な存在として、警察魔導士の存在を王室魔導院は一定程度認めておるようだが、だからといって魔術に関する権限まで譲るつもりはないらしい。現実的に王国の魔術的治安を維持しているのは警察であるというのに」
「で、結局どうなの?」
リュシアンは最初の質問に戻った。これから、共和主義者たちの捜査をどうするのか、ということだ。
「これを見ろ」
ファーガソンは盤面の戦況に注目しながら、束になった書類を目の前の白髪赤眼の少年に差し出した。
「……」
リュシアンはこの諜報機関の長の一手を確認すると、盤上から書類へと目線を移す。
それは昨夜、リュシアンが発見した共和主義者の拠点から押収された証拠品の一覧だった。
「流石にシンパの名簿や資金源に関する帳簿など決定的な証拠はなかったが、なかなか興味深いぞ」
「……印刷機、最新式だったんだね」
「うむ。かなり高価なものが八台も揃えられていた」
「軍からの横流し品だけ頼るような貧乏団体じゃないってことだね」
「こうなると、他国との繋がりも疑わざるを得ないだろうよ」
ファーガソンはリュシアンが次の手を打つまで暇になったのか、葉巻を取り出して吸い口を切った。
途端、葉巻の先端に火が付く。
「おお、すまんな」
そして、ファーガソンは実に美味そうに葉巻を吸った。
リュシアンが詠唱もなしに火炎魔術をしたことに、彼は驚かなかった。むしろ、その点こそが目の前の魔術師が若くして勅任魔導官の地位を掴み取った理由なのだ。
ふぅぅぅ、とファーガソンは長く紫煙を吐き出す。
「ヴェナリア共和国か、北ブルグンディア王国か、あるいはルーシー人民共和国連邦か」
「どこも可能性は高いだろうね」
ヴェナリア共和国は、ロンダリア連合王国と海を挟んで対峙する海洋貿易国家である。政治体制が異なることに加え、積極的な海洋進出を進めるロンダリア連合王国とは市場や資源の獲得を巡って対立している。
北ブルグンディア王国は連合王国西方で国境を接する国家。本来はブルグンディアという一つの王国であったが、八十年前の王位継承を巡る内乱に各国が介入。現在は南と北に王朝が分かれた分断国家となっている。
ロンダリアは南ブルグンディア王国を治める王家の系統を内乱時代から支援しており、そのために北ブルグンディアとは敵対関係にあった。そして、この北ブルグンディアとヴェナリアは、三年前に軍事同盟を結んでいる。明らかに、ロンダリアという仮想敵国のための同盟であった。
そして、ルーシー人民共和国連邦は、大陸北東にある国家である。約二十年前、ナロードニキ運動と呼ばれる帝政打倒運動の結果、当時のルーシー帝国皇帝を爆殺して革命を成功させ、革命政府を樹立して現在に至っている。革命政府は共産主義を標榜しているとはいえ、非君主制国家であるヴェナリア共和国とは、軍事同盟こそ結んでいないものの正式な国交を結んでいた。
「現状では、これ以上に絞れん」ファーガソンは言った。「ヴェナリアと北ブルグンディアもそうだが、ルーシーも、我が連合王国を混乱させることでヴァルトハイム帝国からの脅威を軽減させることが出来る。各国共に、我が国に対する陰謀を巡らせる動機は十分だ」
ヴァルトハイム帝国は、長年、ロンダリア連合王国と同盟関係にあった。特に、帝国の輸出する穀物は連合王国の船舶によって運ばれており、両国は経済的にも繋がりが深かった。
ヴェナリア共和国からの海上封鎖を常に受けているヴァルトハイム帝国にとって、ロンダリア連合王国という海の玄関口は欠かせないものだった。
「まあ、外国情報に関してはお前さんの伯父からも入手している」
現在、リュシアンの伯父にしてクルーアリン公ライオネル・ド・モンフォートは外務大臣の地位にあった。
「ああ、准将と伯父さんは乗馬友達だもんね」書類を自らの座るソファの脇に置き、再び盤面を見るリュシアン。「結局、准将も縄張り争いに加わりたいんだ」
辛辣な台詞を、リュシアンはどうでもいいことのように言い放つ。
「儂は国家と王室に尽くす義務がある。そのために必要な行動を取るだけだ」
ファーガソンはリュシアンが新たな手を打ったのを見ると、葉巻を灰皿に押しつけ、自らの駒を動かした。
「まったく、准将は愛国者の鏡だね」
「褒めたところで、手加減はせんがな」
盤上での攻防を続けながら、二人の会話は続く。
「で、俺をわざわざ呼んだのは、チェスの相手をさせるため? 王室機密情報局の局長って、随分と暇なんだね。後で姫に言っておくよ」
「たまの息抜きは必要さ。だが、ただチェスを楽しむという贅沢が出来るほど、世間は平和愛好の精神に満ち溢れておらんのでな」
「だから准将みたいな悪党が活躍できるんだね」
「正義の味方を気取る共和主義者よりも、儂のような悪党の方が国家には有益だろうて」
「それで、どうなの?」
「王室魔導院は魔術の神秘を保つことを優先し、儂らにも非協力的だ。共和主義者に腕利きの魔術師がいる可能性があるにも関わらず、な。そして、警察は内務省の管轄で儂の手が及ばん」
「だから俺?」
「“黒の死神”の名は伊達ではあるまい?」
ぴくり、と駒を持つリュシアンの手が反応した。
「お前さんは研究を第一義とする多くの魔術師と違い、対魔術師戦に特化したクラリス・オズバーン勅任魔導官の弟子。そして、殺した魔術師の数は師を上回っておる。これほどの逸材を、ただ王女殿下の専属魔導官に留めておくのは、王国にとって損失に等しい」
自らが何度となくリュシアンに魔術師殺しを強要させておきながら、ファーガソンは素知らぬ口調で言う。
「だから?」
カン、と駒を盤上に打ち付ける音が大きく響いた。ファーガソンがすかさず次の手を打つ。
「宮中午餐会の後、南ブルグンディア宰相は迎賓館で行われる内閣主催の夜会に出席する。南王国の存在を認めない北王国、そしてその同盟国のヴェナリアにとって、我が国国内の共和主義者を焚き付けてテロ行為を起こすことには意義があると思わんか? 悪しき帝国主義者たちの同盟に鉄槌を下す、何とも共和主義者どもの好きそうな宣伝文句ではないか」
「さあ? 俺は共和主義者じゃないから」
「だが、彼らが動く可能性は半々だ。拠点が発見されたため、捜査の手が及ぶのを恐れて王都外へ逃れる可能性。一方は、逆に拠点が発見されたため、自分たちに捜査の手が及ぶ前に行動に出ようとする可能性」
「だったら、俺は外国の宰相なんかよりも、姫を守ることを優先する」
今までとは違い、断固たる口調だった。相変わらず、チェス盤に駒を打ち付ける音が大きい。
「主導権とは、相手に渡すものではない。自分で持つものだ」ファーガソンは駒を動かしながら続けた。「故に、奴らが性急な行動を選択するように仕向ければよい。首相を初めとする大臣連中と南の宰相、王都市長に経済界の要人、これだけでは餌としての魅力に欠けるというのであれば、我らが姫殿下にも餌となってもらおう」
不遜というよりも冷徹な調子で、ファーガソンは断言した。
「危機感を抱いた共和主義者どもが、焦りから突発的なテロ行為に及ぶことは珍しくない。だが、そのようなテロは防ぐことが難しい。だとするならば、その標的に関して、こちらが誘導してしまえばある程度の対処は出来るのだ。そして、内閣が主催する夜会は標的として十分な価値がある。だが、閣僚全員や来賓すべてを突発的テロから守るのは、不可能ではないが難しい。そこで、姫殿下の出番というわけだ。王族は共和主義者最大の標的。姫殿下が出向くことで、テロリストどもの意識をそちらに集中させることが出来よう」
「……」
リュシアンは盤上でクイーンに迫るファーガソンの駒を蹴散らした。
「お前さんは外相の甥、そして姫殿下はその婚約者。ならば十分に夜会に出席する資格はあるだろうて」
「お断りだね。姫をあえて危険にさらす意味が判らない。テロ事件を防ぐのは、警察や准将たちの仕事であって、姫の仕事じゃない」
「姫殿下の専属魔導官でありながら、殿下を守る自信がないと言うのかね?」
挑発するような、意地の悪い調子でファーガソンが言う。
「俺は、姫にとっての“死神”になるつもりはない」
リュシアンは盤上のクイーンを防衛する駒組みを始めていた。
「だが、姫殿下の敵にとっての“死神”ではあるわけだ」ファーガソンもまた、盤上で駒を進める。「そして、姫殿下の敵とはすなわち連合王国の敵」
「……」
「姫殿下は、儂を嫌っている。だからこそ、儂がお前さんに何を言ったかを、姫殿下はお前さんに問い質すだろう。そして、姫殿下は自らの功績を欲している。あれは野心家な娘だ。そして、儂は別に自らの功績そのものに興味はない。ただ国家と王室にのみ忠誠を尽くすだけだ。共和主義者たちの陰謀を阻止した功績は姫殿下にくれてやってもいい」
先ほどから、ファーガソンは「国家」という言葉を「王室」という言葉よりも先に持ってきている。彼にとって、国家こそが最も守るべきものなのだ。ある意味では、極端な形の国王機関説主義者といえた。
「つまり、姫殿下と儂の利害は一致している。そして、お前さんは姫殿下に従わざるを得ない」
盤上でクイーンの守りばかりに囚われるという失策を犯したリュシアンは、自らのキングを詰まそうとするファーガソンの寄せを捌ききれなかった。
「チェックメイト、こういうことだ」
盤上に、リュシアンのクイーンは残った。だが、キングの逃げ場は既になかった。
ファーガソンは新たな葉巻を取り出した。今度は、リュシアンは火を付けてやらなかった。それを気にせず、この大柄な男は
吐き出された紫煙が立ち上り、やがて消えていく。
「中盤までは悪くなかったが、クイーンに執着しすぎたな」ファーガソンは言う。「盤外戦術に翻弄されるとは、まだまだ未熟な証拠だ」
リュシアンはいつもの茫洋とした感情の希薄な表情で、駒を並べ直していた。その顔からは、勝負に負けたことに対する感情は窺えない。
「少し、お前さんには安心したよ。まだ、お前さんには誰かを守りたいという人間的な感情が残っておる。それは、絶対に喪うな」
「……」
リュシアンは何も言わず、チェス盤を整える。
「儂がお前さんに頼みたいのは、共和主義にかぶれた魔術師への対処だけだ。他の主義者どもは、局の工作員たちを動員して対処させる。すでに工作員たちは王都内に散って、警察や局から要注意人物、要監視対象とされた連中の動向を見張っておる」
「……」
「それに何も、共和主義者どもが確実に動くというわけでもあるまい? 案外、夜会を楽しんで終わりかもしれんぞ?」
白髪の少年は、相変わらず諜報官の言葉を無視している。そして、ファーガソンの方を見ることなく、「じゃあね、准将」とだけ言い残して部屋を出て行ってしまった。
扉の閉まる音が、やけに大きく響いた。
ファーガソンは誰もいなくなったチェス盤の対面を眺めて、深く紫煙を吐き出した。
あるいはあの少年が感情を喪ってしまったのは、エルフリードという少女への情が強すぎたからなのではないだろうか?
ふと、そんなことを思った。
だからといって、ファーガソンがリュシアンの心情を斟酌してやる義理などないのであるが。
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