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兼安とは大学に入学したての春、音楽系のサークルで顔を合わせた時以来の付き合いだった。名古屋出身の彼は理工学部の機械工学科。ギターを弾き、ボーカルもやる。ベースの土井とは直ぐに打ち解けて、バンドを結成しようと持ち掛けて来たのだ。
先輩たちが教室の教壇に立ち、サークルの概要を説明し終わる頃には、既に最寄りのスタジオで軽く音合わせしようという約束まで取り付けられていた程だった。
兼安は当時からオリジナル楽曲の制作にも熱心で、高校生の頃から作り溜めた曲の数は、既にかなりの数に上っていた。当然ながら、音楽に取り組む姿勢は、友人たちの中でも群を抜いて真剣だったと言って良い。
コピーバンドで暇潰し、くらいの軽いノリでベースを弾いていた土井も ──彼にしてみれば、バンドごっこで、学生時代の楽しい思い出作りが出来ればそれで良かった── 兼安の真摯な態度に当てられる形で、真面目にバンド活動に取り組むようになっていったのだった。
一方、兼安は兼安で、後に振り返っている。自分の作った曲に歌詞を当てはめるのに、どうしても英語の素養が必要だったのだと。そこで文学部、英文科の土井の語学力に白羽の矢を立てたのが全ての始まりだったと、バンドメンバーと打ち解けた後にカミングアウトしている。
しかしその頃には、土井は兼安の音楽的才能にある種の可能性を感じ始めていて、その甘い誘惑に誘われるがまま、或いは砂糖に群がる蟻の如く、どんどんとのめり込んでいった時期だった。
従って、当時の兼安にそんな下心が有ったと聞かされたところで、メンバーたちの関係にひびが入る様なことは無かったのだ。
大学の講義になどには殆ど出席せず、バンド活動に明け暮れて迎えた卒業。今にして思えば、自分がどうやって単位を取得出来ていたのか、土井には不思議なくらいである。大手企業に就職する者、地元に帰って公務員になる者、そんな奴らの門出を横目で見ながら、土井たちはその後も相変わらず音楽に血道をあげた。
まともな就職も果たさず、アルバイトを続けながらバンド活動を優先。ただ闇雲に「いつかは夢が叶う」と信じて。もしくは、深く考えることを避け、将来を見据えず、現実から目を背けて、自らを騙して。
しかし、そんな情熱も時間を掛けて徐々に流動性を失ってゆく溶岩のように冷え始め、いつしか彼らのバンドは動きを止めた。メンバーは散り散りになり、連絡を取り合うことも無く、過ぎ去った青春の残渣を抱き締めて過ごすだけの、惨めな時間に土井は身を委ねていたのだ。
そんな旧友からの、突然の電話に兼安が驚かない筈はなかった。
『なんだい、なんだい? 土井から電話が掛かって来るなんて、想像もしてなかったぞ。あぁ、俺は元気にしてるよ。そっちこそどうしてるんだい?』
別に仲違いを起こしてバンドを解散させたわけではない。懐かしい声を聞きながら、僅かばかりの気恥ずかしさを混ぜ込んで土井は答えた。
「まぁ、何とかやってるよ。引っ越し屋のバイトで食い繋いでるだけだけどな」
『ひょっとして、まだ音楽続けてるのか?』
バイトで食い繋ぐなんて、バンド時代の生活と変わらないじゃないか。兼安がそう思うのも無理は無い。土井はあえて明るい声で応えた。
「はははは、まさか。んな訳ないよ」
『そっか。でも俺は続けてるよ。こっち、名古屋でね』
「えっ?」
『マイナーなローカルバンドだし、これで食っていこうなんて思ってはいないけどね』
バンド解散後、兼安は地元である名古屋に帰ってしまったと聞いている。それ以来、連絡を取り合うことも無かったのだから、彼の近況を知らないのは致し方ない。
それにしても、まだ音楽を続けていたなんて。やはり兼安の音楽に向き合う姿勢は、自分とは異なり本物だったということか。
そしてそれは、土井にとっても好都合だった。
「まだ音楽をやっててくれたのか? さすが兼安だ。嬉しいね、そう来なくっちゃ」
『??? どういうことだ? また一緒にバンドやろうって誘いか? 俺はもう東京にはいないんだぜ』
土井の意味深な言い回しに、頭上に何個かの「?」マークを浮かべている兼安の姿を想像し、土井は思わず吹き出してしまう。
「ぷっ・・・ いやいや、そうじゃない。バンドじゃないんだが・・・ 一緒にやらないかと思ってさ」
『バンドじゃないなら何だよ? 何をやろうってんだ?』
益々訳が判らない兼安の心に沁み込むように、土井はもったいぶった様子でゆっくりと言い放った。
「アイドルさ」
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