第一章:栄スタジオ

1 アルバイト

 「お疲れ様で~す。これ、まだ冷蔵庫が動いてなくて冷えてないんですけど、宜しかったら皆さんで飲んで下さ~い」

 重ねられた紙コップと共に差し出された、スポーツドリンクの2リットルボトルを受け取りながら、スタッフを代表してリーダーが応える。

 「あっ、有難うございます。じゃぁ、遠慮なく」

 「ごめんなさいねぇ、ガラクタばっかり多くて」

 新たにその家の住人となるのであろう婦人は、都下に一戸建てを建てたという優越感を僅かばかり滲ませつつ、気恥ずかし気な様子で続けた。

 「もぅホントに、主人のゴミみたいなものばっかりで・・・ あっ、私たちは近くの店で昼食を採って来ますから、皆さんの都合でお昼にして下さいね」

 「判りました。それじゃぁ、我々は今から一時間ばかし昼の休憩に入ります。午後一時から、残りの荷物の搬入を開始しますんで」

 それを聞いた婦人は安心したかのように踵を返し、ガレージに向かって歩き始めた。そこに停められているファミリーカーのエンジンには既に火が入っており、その中には彼女の主人と二人の子供が食事に出かける準備を終えて、彼女の合流を待っているようだ。

 しかし、トラックの荷台の端に寄り掛かりながらそのやり取りを聞いていた土井は、婦人が目の前を通り過ぎる際に声を掛けたのだった。

 「あれ・・・」

 婦人は足を止める。

 「えっ?」

 土井はトラックの荷台に残っている荷物を振り返りながら言った。

 「あれ、ベースですよね?」

 黒い布製の独特なフォルムのソフトケースだった。その横には "Fender" の文字が見える。ギターよりもサイズが大きいので、その中身がベースであることが知れた。

 つられるように荷台の中を覗き込んだ婦人が、顔をしかめながら受ける。

 「そうなのよ~。どうせ、もう弾かないんだから、この機会に処分しろって言ったんですけどねぇ・・・ それじゃぁ、あとよろしくお願いしますね」

 土井はそそくさと立ち去る婦人の後姿を、黙って見送った。


 一家を乗せた車がガレージを出て、住宅街の狭い道路を通って見えなくなると、リーダーが大声を上げた。

 「よぉーし、じゃぁ一時間の休憩だ! タバコを吸いたい奴は運転席の中で吸うように! ゴミは散らかすなよ!」

 土井の他に、引っ越しのアルバイトをしている学生と思しき三人の若者たちは、てんでに「うぃ~」とか「おぃ~っす」などと返事をしながら、トラックの荷台の空いたスペースに思い思いの場所を確保して座り込んだ。

 土井は予め買い込んであったコンビニのレジ袋をガサゴソと覗き込み、その中から烏龍茶のペットボトルとお握りを取り出す。そして首尾よくランチスペースを見つけると、学生たちに倣い、そこにドッカと座り込んだのだった。


 この付近一帯にはまだ新しい家々が立ち並んでいて、閑静な住宅街の昼時は異様な程の静寂に包まれている。それらは豪邸と呼べる様なものではなかったが、其々が趣向を凝らしたお洒落な雰囲気を醸し出していた。都心に近いこのエリアに一戸建てを構えるということが、いったいどれ程のことなのか? まともに働いた経験の無い土井にはピンと来ないのだが、おそらくそれは途方もなく大変なことなのだろうと、ボンヤリながら思うのだった。

 そして同時に思う。自分はいつまでこんな生活を続けるのだろうかと。定職にも就かず、アルバイトで食い繋ぐ日々。若いうちは実入りの良い仕事も出来るだろうが、そのうちハードな仕事はこなせなくなるだろう。


 そうなったら、自分はいったい・・・。


 二つ目のお握りの包装を解きながら、そんな想いに心を弄んでいると、目の前の段ボール箱に彼の視線が吸い寄せられていった。ガムテープで封をされてもいない、口の開いた箱。何とはなしにその口を広げ、中を覗き込んでみる。

 するとそこに有ったのは「Fragrance」のCDやDVD。更には、コンサート会場などに直接足を運んで購入したものだろうか、Tシャツやタオル、カレンダーやら何に使うのか判らない様な小物を含む、細々とした関連グッズ ──いわゆるマーチャンダイズと言われるやつ── であった。それらは既に大切にされていないのか、或いはきちんと整理して梱包する時間が無かったのか、文字通り無造作に放り込まれている印象だ。

 そう言えば、先ほど車で出て行った一家の中に高校生くらいの男の子がいたが、彼の持ち物かも知れない。いやひょっとしたら、彼の妹と思しき中学生くらいの女の子の物だろうか。そのカラフルでキラキラと輝く箱の中身は、彼にしきりと何かを主張して止まず、どうしても視線を逸らすことを許さないのだった。

 土井は黙々とお握りを咀嚼しながら、それを見つめ続けた。

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