第16話 拒絶の象徴

【日向の住まいから】


 車の通れない獣道を徒歩でしばらく下り、大きな別荘地を通り抜けたところに、ダム湖がある。湖畔には温泉施設や遊歩道があった。琴絵ママンはその温泉施設に通っている。車で行くとかなり遠回りになるので、殆どは歩きである。


 温泉に着くと、文月が胡桃と一緒に早朝のアルバイトをしていた。琴絵ママンの姿を見ると、文月が嬉しそうによって来た。琴絵ママンに聞きたいことが沢山あった。


「おはようございます。今日は湖畔に行かなかったのですか?」

 琴絵ママンは初めて見る人から挨拶を受けるかのように不思議そうに文月を見た。


「わたくしの事をご存じかしら?」

「ええ、昨日、湖畔でヘルメスさんとご一緒にいらっしゃって…」

「ヘルメス?」


 怪訝そうに温泉の受付をする琴絵ママンをよそに、マイペースで嬉しそうに文月は、少し興奮気味に話す。

「ええ、ヘルメスみたいでした。今日はおひとりですか?」


 琴絵ママンは文月の質問に答えずにゆっくり微笑むと、軽く会釈して脱衣場に向かった。胡桃が琴絵ママンの後ろ姿に「ごゆっくり」と声をかけ丁寧にお辞儀をした。


 琴絵ママンが見えなくなると、二人は受付の傍にあるお土産コーナーで、日課の在庫確認と商品棚に補充する仕事を始めた。

「珍しいね。報告しなさいよ、なんの話?ヘルメスって?」

 文月は戸和の滝や湖畔での出来事を胡桃に話す気はない。


「彫刻を見た」

 急に言葉のトーンを変えた。文月が集落の人間と話すときは、うぶすな神に戻り、不親切で威圧的に、質問されるのが心地が悪そうに受け答えする。


「彫刻ってなに?」しつこい胡桃だ。

「プラクシテレスのヘルメス」

「あの?ギリシャのオリンピア考古博物館にある彫刻の話??」


「本物ではないが…」

「ふーん、本物を見るためにアルバイトを頑張っているものね」文月は黙って頷いた。

「行けるかどうかもわからないギリシャだしね」胡桃は意地悪く、それでも半分同情しているような口ぶりで文月をみた。


『プラクシテレスのヘルメス』の彫刻をこの目で見たいと、おじい様にお願いしたが、簡単に拒絶された。それでも、旅行費用を貯めるために、温泉のアルバイトを黙認してもらっている。もちろん、胡桃の監視付きだが…。



【朝の温泉は静かである】


 周辺のペンションなどの宿泊施設や別荘地の住人が来る程度で、余り混むことは少ない。脱衣場の琴絵ママンは混乱していた。


『どうしたの?』日向が反応した。

『それが、昨日の朝の子、私たちの事を覚えているのよ』

『うろ覚えでしょ』


『そっちから、捕まえられる?』

『なにを言っている。どこにいるのさ』

『温泉の受付にいるの』

『見つからんよ、ママンは?』 

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