第15話 そう、で、君は誰?
【文月は】
濡れた赤い髪の間から覗く日向のその目に吸い込まれそうになった『滝にいた人ではないだろうか?』確信にちかい疑惑に文月の大きく見開いた瞳は視線の先を外せずに『プラクシテレスのヘルメスみたいだ』と、まるでテロップのように、頭に言葉が流れた。
文月はギリシャにある、ヘルメスと幼児ディオニュソスの像にほれ込んでいる。もし自由の身になれたら、ギリシャにあるオリンピア考古博物館に行きたいとアルバイトの給与をすべて貯金していた。文月は、日向を見つめたまま「金の斧?銀の斧?」ぼそっと口走った。
「えっ?!」思惟のない、突然の文月の質問に日向の頭の中は真っ白になった。しばらくの間があり、文月は自分の犯したミスに気が付き慌てて
「ああ、頭に浮かんでしまいました」 と自分でもあきれたように、あはははと笑った。
「頭に浮かんだ?!」日向は眉間にしわをよせ怪訝そうに文月を凝視したまま「そう、で、君は誰?」と言いながら、右手で濡れた赤い髪をかき上げると、手の平の傷に膿がたまっている。
その傷に驚いた文月は、周囲をきょろきょろと見回すと、近くのドクダミの葉をもみ、ハンカチに包んで
「本当はどくだみの葉は焼いた方がいいけど、とりあえずこれで傷を抑えるといいですよ」日向に渡した。その手際のよさにあっけにとられ思わず
「お、ありがとう」日向は、小さくぎこちなく礼をし受け取った。
【今まで黙り込んで】
会話を横で聞いていた琴絵ママンが、思い出したように「あら?あなたは温泉でアルバイトしている子でしょ?」と、文月に尋ね、答えを聞かずに「日向、温泉でアルバイトしている子だわ!」日向に向かって、話しかけた。
『この人は日向っていうのね、このおばさん見たことあるけど温泉に来る人かしら?』文月は慌てて挨拶をした。
「ええ、そうです。文月といいます」
「文月さん?可愛いお名前だわ。私は琴絵よ、よろしく。この辺に住んでいるの?」
「あ、ええ、琴絵さんは別荘にお住まいですか?」
「そんなところかしらね、それより、こんなに朝早くから何をしているの?」
「薬草の採取に来ました」
「薬草?」
「ええ、今の時代に薬草なんて可笑しいでしょ」と文月が笑った。
優しく温かみを感じる笑顔だ。日向もまた、文月のように吸い込まれるような感覚に襲われ、無意識に一緒に微笑んだ。琴絵はそんな日向に戸惑った。
文月はそんな、ふたりの様子を全く気にも留めずに
「この地域は平安時代から湯治場で栄えたところで、私の家は湯地場で使用される薬草、生薬の管理を代々しています。今は昔ほど重宝がられないので趣味みたいなものです」
「朝が早いのね」
「薬草は、早朝から午前10時頃までに、採取しないといけないから」
「へえ~。そうなの?」
そんな会話を弾ませている二人の女性を置いて、日向は黙ったまま、遊歩道へ歩き始めた。文月は、その後ろ姿を見送りながら、琴絵に聞いた。
「息子さんですか?」
「ええ、そうなの」笑顔で答えると
「日向、待って頂戴」日向の後ろ姿に、叱りつけるように声をかけた。
日向を追いかけようとする琴絵の前を遮り、文月は質問を続けた。
「湖に入った人を初めて見ました。それに長い間、潜っていましたよね」
「えっ、ああ、日向はスキューバダイビングが得意なのよ」
「スキューバダイビング?道具は?」
「あら、ほんとうどうしたのかしら?」
「ふーん、それより…」
滝での出来事を聞きたい衝動にかられ、問い詰めるように言いかけて、文月は口を閉ざした。文月はもともと、人の感情を感じることが苦手だ。
悪気はないのだが、知りたいことがあると、相手の気分を無視して質問攻めにしてしまう癖がある。何度も、おじい様に怒られている。
「いえ、なんでもないです」と、少し後ずさりした。その様子に
「また、お会いしましょうね」と琴絵ママンは文月に軽く会釈して、日向の後を追いかけた。日向と琴絵ママンは離れて歩き、思惟で話し始めた。
【ママン、気が付いた?】
『いいえ、気が付かなかった』
『びっくりしたよ、突然、金の斧、銀の斧ってさ。馬鹿か?』
『なに?それが問題なの?』
『変だろ?』
『そうね…』
『近づいて来るのが全然わからなかった。どうしてだろう?』
『そうね。私もわからなかった』
『突然に現れるから、湖底を歩いて向こうまで行って戻って来た。なんだか、あいつ気持ち悪い。感取が効かないのか?そんなはずないよな』
『日向、気持ち悪いって人の事が言えるの?』日向は気まずい様子でそっぽを向いた。立ち止まり、急に思い出したように
『この間、戸和の滝から落ちてきた子じゃないか?』
『そうかしら?』
『そうだよ、俺たちの事を覚えていなかったみたいだね』
『あかい河童だから』
『うるせいや、俺、帰る』桟橋が見えなくなるつり橋下付近で、日向は湖に入っていった。
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