第12話 今朝の出来事

 十八歳の文月は二十歳にならなければいいと願っている。本人の意志や希望は全く無視されて、すべての話は進められている。



【食に興味がある文月は】


 農学博士になってメーカーの研究室に入り商品開発をやりたいと将来の夢を見る。だが、当然ながら、おじい様は大学進学に関心はない。


 大学にどうしても行きたいのなら、生薬の研究が出来る、車で一時間半くらいの薬科大学の許可は出ている。


 ただし、子供が出来れば大学を退学することが条件だ。何が何でも、うぶすな神の役目が優先される。それでも、興味のない分野でも、大学に通えば自由が得られると、中学生の時は考えていた。


 しかし、高校も集落の同年代がしっかり傍らにいて、集落以外の人間と話す機会はまったくないので誰にも相談が出来ない。


 自分の夢を叶えるには、国立に行くしかない『国立を受けてみようか?』集落で国立が受かる頭脳がある人なんていないと内心思っている。


 来年には高校を卒業し大学進学だ。受験勉強も大詰めだ『勉強しなくちゃ』机に向かうと、幼馴染の胡桃がまるで自分の部屋のように入って来て手足を伸ばして座った。



【胡桃はお目付け役のように】


 いつも文月に張り付いている。大学も同じ大学を受験する。仲良し幼馴染だからじゃない。胡桃と武人たけとは小さい頃から好きあっている。


 文月と一緒にいれば武人たけとと会える。文月をえさにデートを重ねているのだ。武人たけとの件もあり、集落の決まりごとのようにうぶすな神である文月の行動を常に監視している。


 武人たけとは、高校入学以前は胡桃一筋で、文月には指一本触れないと言っていたのが、お年頃になって子作りだけやってやると、発言するようになってきた


「男だな」胡桃を嫉妬させて楽しんでいるかと、最初は思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


 お前ならいつでもオッケーよ、とマジ顔で言われると鳥肌が立つ。文月が嫌うと「嫌よ、嫌よは好きなうち」と、オレってモテる感を出してくる武人たけとはとても不愉快だ。嫌悪さえ感じる。


「嫌よ、嫌よは好きなうち」こんな馬鹿な事を言ったやつをボコボコにしたい願望が非常に強い。嫌なものは嫌である。どう頑張っても嫌である。当たり前の話だ。



【今日、遅刻しそうだったね、薬草取り?】


「ああ」

「最近、勉強どう?」

「さっき沼田のオッサンがいたが、今日は武人たけとを見ては、おらぬ」


「そうなんだ」

「仕事ではないのか?」

「高校を卒業して別荘の管理で仕事して、みんなこの集落から離れないね」


「離れる必要がないのであろう」

「明日はどうするの?」

「明日?」

「バイト」

「ああ、バイト。やる」


「だけど、よくおじい様が許してくれたよね。バイト」

「胡桃のおかげであろう」

「お金を貯めてどうするの?」

「いつか、ギリシャに参るつもりである」

「ギリシャ?」


「オリンピア考古博物館で見たいものがある。現実に行けるかどうかよりも望みがないと人は生きられぬ」といいながら、今朝、死にかけた事を思い出した。


 死にかけた早朝の事をすっかり忘れている自分がおかしくなったと思うと同時に、死ねなかった自分を哀れんだ。こうやって監視されている生活を終わらせたければ、タイミングは薬草取りしかないとおかあ様が言った。


「自由な時間が増えるから、薬草取りは出来るだけ頻繁に出かける習慣をつける事」そう言った意味合いがなんとなくわかるような気がした。


『おかあ様もまた自分と同じように生きる事をぞんざいにしていたのか』と、ふと哀れんだ。



【そういえば】


『滝壺に赤い竜と赤いプラクシテレスのヘルメスの彫刻みたいに彫の深い顔の人がいたような気がする。あれは、人かな?どこから来たのかな?また会えるかな?十二月に入れば来年の春まで薬草を採りに行く事も無くなる。今日の明日じゃ、行ってもいないだろうな』


 文月は胡桃を無視して、ひとり考え込んでいた。

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