第9話 うぶすな神の為の決まり

 文月が学校から帰る頃には雨が降り始めた。雨を避けて駆け込んだ玄関に、今朝、戸和の滝で無くした竹籠が置いてあった。それを横目で見ながら黙って自分の部屋に向かった。



【夕方】


 結構な雨の中、集落の棟梁である、文月のおじい様、藤代 水無月のところに、沼田 允志が神牧早次を伴って訪ねてきた。花婿になる者は、文月が生まれた月の二年前に生まれた集落の男子という決まりがある。


 それにもかかわらず、集落には文月の花婿に立候補する者は大勢いる。文月が生まれた時に花婿は石倉武人たけとと決まっているが、沼田は花婿になりたいと思っている。武人たけととの約束を破棄させようと、今日もおじい様の説得に来ているのである。


 文月は沼田の事が好きかと聞かれれば、二十二歳も離れた「おじさん」に興味を持つはずもなく完全無視している。日本人形のような顔立ちに透き通るような白い肌を持つ文月は、静かで穏やかなしっかり者の印象を与える。さらに、母性を感じるふっくらとした頬。誰の気も引いてしまうような風貌で大人びている。


 うぶすな神は代々、深黒の髪をストレートに背中まで伸ばすのが決まりだ。それは、奈良・平安時代の一髻いっけいという結び方をするためだ。うぶすな神となって、一髻いっけいを結び、眉間と唇の両側に桔梗色の花子をする独特の化粧を施すと高校生には見えない。


 さらに誰にでも親しみを持っているような仕草をする。本人はおじい様の言う通りにしているだけだが、勘違いされることの方が多い。そのせいもあってか、外で出会っても沼田は執拗に文月に興味を示す。



【吐き気がする、迷惑だ】


 応接室の向かい側にある、ダイニングキッチンにいた文月は、沼田の気配に吐き捨てるように言うと、長い廊下の先にある自分の部屋に向かった。


 代々、二十歳になるとうぶすな神は花婿と呼ばれる者と暮らすようになる。花婿との間に女の子を生む事を定められているが、結婚するわけではない。藤代家は代々この集落周辺の山林を保有しており、昔ほどではないが有力者という位置づけである。


 さらに古くから温泉事業を行って集落の人間を養い、税金を支払っている。ゆえに集落以外の人間には誰がこの集落の権力者なのかわかりにくいが、裏では藤代一族の権限が絶対なのである。その資産を分散しないために、戸籍は次の棟梁となる者と同じに、独身のまま一生を過ごすのである。


 すべてが、うぶすな神の為だけに作られた決まりだ。


 それなのに、花婿!花婿!と騒ぐ集落の人達を文月は滑稽だと思っている。そして、周辺を統括している市町村や警察でも、独特の習慣があるこの集落をあまり話題にしない「可哀そうな人たち」という位置づけでこの集落の人間を見ている。


 玄関を入ると右側にある、十八帖の応接間に通された沼田達は、おじい様の真向かいに座っていた「本当に意味があると思っているのですか?」沼田は身を乗り出して食らいついていた。


「意味?」

「千年以上も昔の事を今でも引きずる意味ですよ」

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