第4話 白銀竜

【日向のブツブツ文句は止まらないまま】


 水量の多い滝の中を覗き込んで岩肌をみた。

『なにもないな~、あれ?滝の岩肌はこんなに尖っている、戸和が落とされた時もこんな感じだったなら、ひどい傷だったろうな』


『そんなにすごいの?浸食されているはずだから、千年前もっとゴツゴツしていたのかしら?』

『確か出産間近のお腹で繕いをして、極寒の二月に滝の上から落とされて、滝壺の中で三日間生きていたんだろ?すごいな~』


『母は強しね』

『ああ、男に生まれて良かった。お腹に子供が入るって全然わからないよ。上から身重の女の人が落ちて来たら、びっくりするだろうな。そーか、滝だから上から何が落ちて来るのか、わからないのか?』と、ふと滝の上を見ると、人の頭が見えた。『嘘だろ?』日向の背中に静寂が走った。



【文月は、水に運ばれ】


 あらがう事もなく滝壺に落ちる頃には呼吸も少し出来て、やけに冷静になっていた『川の先が見えない。そろそろ落ちるかな。ジェットコースターみたいだ。これで終わる』滝壺に落ちながら、文月は不思議な光景を見ていた。


 落ちる瞬間に滝水の中から、赤い竜が顔を出し、文月の落ちる先のごつごつした岩が、バッシと割れていく。そして、衝撃とともに水面が光を集め騒めいた。


 朝日が雲の合間から水面に差し込んでいるようだ『綺麗だ。水の中からだと、こうやって見えるのか?』文月は不思議な気持ちで映画のワンシーンのような光景を眺めた。


 その時、大きな水音がして水面がまた騒めき、大きな口を開けた、白銀色の竜がうねるように向かって来た。文月は驚いて、残っていたわずかな呼吸を吐き出し、慌てた手足がぶざまに水をかきながら、滝壺の底に沈んでいくのがわかった。


 遠くなっていく光を遮るように、二つに分け結んだ赤い髪が、無造作に長く水中で緩やかに、たなびいた。そして、プラクシテレスのヘルメスのように彫の深い顔が、迷惑そうに文月を覗き込んだ。一人でもめている文月を困ったように、戸惑い微笑みながら…。


 突然、何かが文月の登山用のレインウエアのフードを掴んで振り投げた。人形のように、力のはいらない文月の体は、勢いよく滝壺の浅瀬に向かって水中を走った。


 水の中のフードが首を締め、痛く苦しい。その強烈な痛みが、もうろうとしていた意識をはねのけて、生きる事を体に指示した。文月は、水面に向かって顔を必死に向けると、呼吸が出来るところを探し、浅瀬に辿り着き、大きくせき込みながらも、その浅瀬から重たくなった体を引きずるように岸辺に這い出た。



【日向は、滝壺の岩陰でカエルのように】


 目から上だけを水面にだした状態で白イワナに注意しながら、苦しそうな文月を見ていた。助けたつもりだったが、傷つけてしまったかもしれないと、耳元でドキドキと心臓の音がした。


『ママン、大丈夫かな』

『大丈夫みたい、私は少し離れたところで様子を見ているから、日向は帰りなさい』

『でも…』


『白イワナの歯には触っていないのでしょ?』

『もう少しで白イワナが飲み込むところだった、僕が水に入った音で驚いてやめた。白イワナの歯は鋭利だから触ったらこの滝は血の海だ』

『白イワナにとっては、ただ上から餌が落ちてきたから、習性で飲み込もうとするだけですものね』


『うん』

『なんで、白イワナが出てきたの?』

『腹が減って僕のあとをついてきたみたい。時々腹が減ると僕について滝壺に来てご飯を食べている。この間はきつねを食っていた』


『あら、いつも来ていたきつねの子、突然いなくなったと思ったら白イワナのご飯になったのね。体が大きいからお腹がすくのね』

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