第2話 繕い師の血筋

【日向達は】


 平安時代につくろい師であった戸和の血筋だ。戸和はこの滝に二度も捨てられている。最初は八歳の幼き頃に、墨染の衣に黒塗りの箱に入れられ、滝に沈められた。二度目は身重だった二十八歳の時に、瀕死の状態で捨てられて、命を落としている。千年以上も前の事であるが、戸和から始まる代々の記憶を積み重ねて、一族は生き延びて来た。今は祖母の須磨が、記憶を受け継いでいる。


 滝音だけが響く中、地下の湧水路にいる日向は、琴絵ママンの叱咤に近いトーンに口をとがらせて不愉快そうだ。『へいへい』とだるそうに、滝壺の大きな渦を避けて、滝壺池の水面に向かっていた。


 その滝に注がれる川は、岩盤と子供の頭くらいの大きさの石の合間を抜けて、人の手の入っていないブナの森を抜け、イワナが住む清流と繋がっている。この川は、滝壺の手前で三つの山の川筋が一つになり、水量が増える。さらに、どこかの山で雨が降ると水量が大きく変化する。



【三つの川筋のうちの一つに、落ち武者伝説のある集落がある】


 その集落に住む、藤代文月が竹籠を背負って、うぶすな神の役目である薬草を採りに、一人で来ていた。


 この川筋は竜や河童、山や水にちなんだ伝承が多く、尾の川と呼ばれている。この川から流れ落ちる滝を、一般的には尾の滝と呼ぶが、文月の一族は密かに戸和の滝と呼んでいる。〈遥か昔に、戸和と言う、仙才鬼才であった女性が、滝で死んだ〉代々のうぶすな神と棟梁だけが、受け継ぐ話だ。



【文月は獣道もない】


 対岸の斜面にあるドクウツギの実が、紫黒色に熟す前に採取しなければならない。今日、浅瀬を選んで川を渡る予定だった。この周辺では、ドクウツギは人が簡単に行かれないこの場所にしかない。


 もともとは周辺の山のあちこちに散らばっていたものを、文月の一族が調節したのだ。ドクウツギは、葉がユキノシタ科のウツギに似ており、間違いやすい。熟した実は甘酸っぱくおいしいが、飲食をしてしまうと嘔吐、激しい痙攣、全身硬直などの症状が現れ、呼吸困難で死に至ることもある。毒性が強いために、山全体に広がらないように、熟す前に実を刈り取ってしまうのである。


 平安時代の初めに、天皇の湯治場を開設以来、文月の住む山を含め、標高千八百~千五百メートル級の連なる十二の周囲の山すべてが、代々に渡り藤代家の所有である。その事実を知る人は、ほんの一握りの人間である。キノコ類や山菜なども多い豊かな山のために、他県も含め横暴な人たちが、山に入り込み荒らして行く。


 十一の山には、ハイキング・トレッキングコースを整備して、山道から外れないようにしている。しかし、無許可で身勝手に歩き回る人たちが、間違ってドクウツギを食した場合には責任が取れるはずもない。


 それなのに、こんな作業が必要なのは、文月の住む集落が話題になることを拒絶しているからである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る