その女、将門の子孫なり「霊ろ刻(ちろこく)物語」
中島 世期
呪縛… ある日、日向の上に、うぶすな神が突然に降って来た…。
【第1章】血の章 2022年(文月18歳 秋 )
第1話 戸和の滝 9月
【文月は思う】
いくら考えてもすべての原因は、失踪したおかあ様が
「自由になりたければ早く花婿を迎え、子を産み育てなさい」と言い残し、自分は捨てられた事だ。思い出すたびに、己の呪縛が恨めしい。
『花婿って言うけど、恋愛も結婚もせず、一生独身のままじゃないの』
そう思うと、全身が重たい石になって、どこまでも落ちしずみこみそうに感じ、そこから抜けだそうと、深くため息をした瞬間。川底の深みの斜面に、足を滑らせ、そのまま吸い込まれるようにバランスを崩して川に身を沈めた。背負っていた竹籠が、川底にひっかかり、身動きが取れず、慌てて水を沢山飲んでしまった。
飲んだ水が喉もとを締め付け、呼吸を塞ぐ。『息が出来ない』竹籠から抜けだし、体勢を整える前に、あっというまに水流に押されて行く。手が空や水を掴む。息苦しさの中で、目にする乳白色に近い闇から、薄明の赤と黒と青のグラデーションの空。川岸の草むらのタヌキ。川底の石。水草と大小の水球のゆがみと揺らぎが混ざりあう、見たことのない世界が目まぐるしく変化していった。
【その日】
水中の日向は薄暗い早朝から、ふてくされた様子で、真っ暗な地下の湧水路を、ローソクランタンで足元を照らしながら滝壺の底に向かって歩いていた。日向の住む泉の屋を源として、戸和の祠の真下にある
水中のあさぎ池は、透明な滝の水に存在する微生物が、祠から入り込んだわずかな紫外線によって、薄いエメラルドグリーンで揺らいでいる。幻想的だ。その水中の池は、そのまま滝壺と繋がっている。湧水と滝壺の水が混ざりあった流れは、標高が三十三メートルほど下の湖へ、地の中を這うように向かう。
泉の屋から、戸和の祠までの湧水路の水質は、無色透明の純水に近く、日向にとっては心地よいが、感取放はほとんど使えない。それに比べ、滝の水に含まれるミネラルの成分は、滝壺周辺で感取放が使える事を可能にする。日向は、あさぎ池を通り過ぎ滝壺近くになれば、地上の母親の琴絵と思惟で意思疎通が出来る。
日向は、赤いヤマカガシをかたどった、密着型フェイスプロテクションをしている。そのフェイスプロテクションの頬横から出ているチューブは、日向が手にする、ゴム杖先についている実験用のフラスコのような形状のローソクランタンに繋がっている。
日向が呼吸をするたびに、そのローソクランタンに空気が送られ、ゴム栓の片方のガラスロート弁が開いて、泡が出て来る。ゴム杖の先端で、どんな状態でも上を向くように自由に動くローソクランタンは、水中でも電気を使わずに、あかりが使えるようになっている。
しばらく行くと、滝壺の底に入った。見上げると重たい滝壺に、水流が竜のような塊になって暴れている。水量が多い。地表のまだ薄明前の乳白色に近い闇は、足元さえもよく見えない。それでも、地下の真っ暗な湧水路から見ると、その水面から薄く透けて外の光が小さく、月明かりのようにぼんやり見えた。
『滝壺の下に入ったよ。ママン夜が明けて来た?』
【その問いかけに】
地表にいる母の琴絵ママンは空をあおいだ。琴絵ママンは、駐車場から少し下ったところにある、滝に向かって一人で歩いていた。
『おい、空を見ても、思惟を送らないとわかんない。おい、だんまりかよ。返事ぐらいしろや』
琴絵ママンは足を止め、地中の湧水路にいる日向を気にする様子もなく、滝壺の手前で水音を聞いていた。
『水量が多いわね』
『やめようぜ』
『遅いわよ!』
『白イワナが寄り道ばかりしてさ。エビとかカニとかさ、食いながら来るから、あいつのせいだ』
『一緒に来た割には遅かったわね』
『途中から歩いて来た』
『まだ、水中を歩いているの?そろそろ泳ぎを覚えなさい』
『なんでだよ』
日向は家を出てから、ずっと、乱暴な口をきいている。文句ばかりだ。
『まったく、白イワナのせいじゃないでしょ。起きるのが遅いからいけないのでしょ。早く滝壺から出て来なさい』
少し滝壺のほうに視線を向け、琴絵ママンは母親らしい強い調子で伝えた。しかし、周囲では滝音だけが響き、親子の会話は聞こえない。それもそのはずだ、この親子は思惟だけで会話をする。すなわち思考だけで意志が通じる感取放の使い手だ。
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