第44話 もう一度、ランク一位の胸を借りる場合



 南岸第一訓練競技場、洋上。

 会場は奇しくも、二週間前敗北を喫した場所と同じだった。

 天候は晴天。雲一つ無い青空。晩春の海風は、清々しくて心地良い。


「今度こそ、勝ちます」


 スタートシップ上、白と蒼の鎧をまとうファインが静かに決意を口にする。

 ヘルメットのバイザー奥に見える碧い瞳は、真っ直ぐ前を向いている。

 その視線の約二百メートル先には、同じくスタートシップに立つ、暗紫のインガルス。

 夕花のアセンブリは前回と同じく、ショットスプレーガン二挺持ちの、加速特化型フリッパースタイル。


『十分準備はしてきた?』


 通信越しに静かに、鋭く問う夕花に「当然です」とファインは短く返す。


『そう。期待しないでおく』


「ッ――――」


 一瞬なにかを言いかけ、ピリついた表情を見せたファインを見つめる。

 あえて止めることはしなかった。これもまた、勝負の一環だから。


「確かに、変に期待しない方がいいかもな。戦ってみてのお楽しみってやつだ」


『おしゃべりはもういい。――――始まる』


 夕花がそう告げると同時に、会場中へ『スタートまで残り十五秒!』という実況の女生徒の声が響き渡る。

 と、ファインのまとう空気が一段冷える。臨戦態勢。「よし」と自身を小さく鼓舞して、白蒼の鎧をまとうファインは空を見上げる。


『三、二、一――――スタートクロック、グリーン!』


 実況が告げると共に、GIPを白く輝かせて二機が飛び立つ。


『両選手、最高速で上昇していく!』


 一辺二百メートルの直方体型GIPバトルフィールド、ボックスを挟んで端ギリギリを、コントレイルを曳いて飛ぶ白蒼と暗紫。クロックグリーンの二十秒で、上面のフィールド開口部からボックスへ進入する必要がある。残りは、十秒。

 先に動いたのは、先日と同じく夕花の方だった。


『雨車選手、またしてもスライドスタート! 余裕のボックスインだ!』


 時間を余らせてのスライド。ボックス内の位置優位を確保する戦術。

 夕花は前回の焼き増しのように、ボックス中央やや下に陣取り、低速でふらふらと漂う体勢を取る。


『待ってるから、早く来てね』


 その挑発の言葉にファインが『くっ』と舌を噛む音が聞こえた。

 恐らく夕花にも聞こえただろうその声に対して、俺は何も言わない。

 スタートクロックは、グリーン十六を差す。


『ファイン選手、反転! ダイブスタートの構え!』


『言われなくっても――――』


 戦意十分に暗紫のインガルスを睨み付け、腕から伸びた双翼を真っ直ぐに、ファインは降下を開始する。


『――――最速で行きますッ!!!!』


 瞬間、中空でGIPの光が破裂し、流星のようにファインとアルタイルが落ちていく。

 スペック全開の急速落下。ゼロ秒めがけて白蒼の鎧は戦場へと駆けていき。


『スタートクロックレッド! 同時にファイン選手ボックスイン、ゼロダイブ!』


 ボックス上面のGIPフィールドが再展開。同時にアルタイルの脚部付近のGIPとボックス上面が干渉、密度上昇による斥力場が発生し、機体は追加速を得て。


『ファイン選手、最高速で雨車選手に急襲! しかしこれは――――』


『前と同じ。なにも変わってない』


 夕花の言うとおり。ここまでの流れはまるで前回の焼き増しのよう。

 夕花の挑発を受けてファインが憤り、感情にまかせて突撃をする。そしてそれを。

 

『雨車選手、フリップ! 悠々の回避か!?』


 コンタクト直前、ファインの頭上を抜けるように夕花が跳ね避ける。

 何から何まで全て同じ。そう――――同じでないと、困るんだ。


『ここだぁっ!!』


 二つの機影が交錯するまさにその時、白蒼の機影が螺旋を描く。

 急激なきりもみ回転ローリングと同時に、アルタイルのツインロッドからGIPが放出された。


『――――ッ!?』


 夕花が息を呑む。それもそのはず、夕花は双翼ツインロッドの伸びる方向に対して垂直にフリップすることで、攻撃範囲から脱していた。

 ならば、機体ごとローリング機動を行えば。

 その遠心力でもってGIPを機体全周広域に放出してしまえば、当然。


『回避し切れない! これは――――クイックロール! ファイン選手、強引にGIPを当てにいったぁ!!!』


『――――くうっ……!』


 白い螺旋にGIPフィールドを削られて、暗紫のインガルスが体勢を崩す。

 当然、射撃による追撃を行う余裕など今の夕花には存在しない。

 全てはこのファーストヒットのために。そして、次の流れへ繋げるために。


「まだ続くぞ」


 攻撃を終えて下降するファインは、しかしまだ気を抜いていない。

 あいつにとっても俺にとっても、次の攻撃こそが本命でありデカい山だ。

 ロスの少ない急上昇機動、スワローテイルは使わない。行うのは、その真逆だ。


『行きますッ!』


 気合いのかけ声と同時に、ファインは脚を折りたたんでぐるりと前転。己の姿勢の前後を百八十度入れ替えて強引にブレーキング。さらに――――


『どりゃああぁ!!!!』


『ファイン選手、反転加速!? イグナイターで強引に跳ね返った!!』


 ゼロイチ機動の究極。燃費極悪イグナイターであるアフターバーナーの超加速を利用した反転突撃。その目指す先には、体勢を整え終えていない暗紫のインガルスがあって。


『驚きの奇襲! 再攻撃が雨車選手を襲う!』


『――――いっけえええええ!!!』


 ファインの再突撃。クイックロールによる交錯攻撃。初撃よりも余裕のない夕花が、その完全な奇襲を避け切ることなど、まさか出来るはずもなく。


『ッ――――く』


『雨車選手、再度被弾! 大ダメージだ!!』


 弾き飛ばされる夕花のインガルス。それを尻目にファインのアルタイルは、消えゆく螺旋のコントレイルを曳いて悠々と上昇していく。


『――――リコシェ』


 体勢を整え終え、上を飛ぶファインを睨み付けながら夕花がつぶやく。

 ゼロイチ反転機動からのクイックロールによる奇襲。跳弾の意味を持つそのマニューバは元々姉貴、空木蒼のオリジナルだった。それもそのはず、わざわざ攻撃にクイックロールを利用するのはウイングロッドぐらいのもの。どマイナー装備であるウイングロッドを極めたプレイヤーでなければ、そんなマニューバ思いついても使おうとすらしないだろう。


『っとっとぉ……!』


 マニューバの勢いあまって崩れかけた飛行姿勢を、なんとか戻すファイン。

 クイックロールに加え、難度の高いリコシェを実戦レベルに持ち込めたのは、ひとえにファインの根性のおかげだ。俺としては夕花の虚を突くためにかなり高い要求をしたつもりだったが、あいつはそれに見事に答えてくれた。

 ボックス上部へ上がり終えたファインが、下を見下ろして自信満々に言う。


『これで雨車先輩はもう、攻めるしかありません!』


 それはどこかで聞いたことのある言葉。どこかで聞いたことのある言い回し。


『二発の直撃で趨勢はわたしに傾きました! しかも燃費の優位はこちらにあります!

 そしてわたしはもう攻めません! だって、放っておいても勝てるから!』


 人はそれを意趣返しという。もしくはそう、仕返しとか。


『雨車先輩がわたしに勝つためには、攻めるしか、ないっ!!!』


「あいつ、根にもってんなぁ」


 前回の戦いが相当に悔しかったのか、言い切ったファインの声色はこれでもかというくらいに明るく、清々しさすら感じられた。ある意味、雪辱を一部果たした気分なのだろう。

 通信越しの夕花は、なにかに気付いたようにふっと軽く息を吐いて。


『そう。……最初怒ってたのは演技?』


「お、流石に気付くか。そういうこった、お前にされると困るからな」


 まるで前回の焼き増しのようだった序盤の流れは、あえてのことだった。

 クイックロールとリコシェを確実に決めるために、夕花にはある程度警戒を緩めてもらう必要があった。要は、一芝居打たせてもらったわけだ。


『まんまとひっかかりましたね! やーいやーい!』


「やめなさい。子供かお前は」


 調子に乗るファインを諫める。あいつどんだけ悔しかったんだよ前回。

 とはいえ、そのファインの負けん気の強さがなければ今回の作戦も上手くは運ばなかっただろう。そういう意味ではファインのやや子供っぽいメンタルにも感謝しないといけない。

 あいつはいつでも純真で真っ直ぐで、だからこそ強くなっていけるんだと実感して。

 その時。


『――――ふふ』


 通信から、怖気を感じる冷たい微笑みが響いてきた。

 夕花が、愉しげに笑っている。あいつが感情を表に出すのは珍しい。

 それはあるいは、FASの頂点が、サラ・ファインを敵として認めた合図だったのか。

 ついに、暗紫のインガルスが動く。流線型のアーマーから、淡い燐光を滲ませて。


『鬼ごっこ、始めようか』


 白の奔流と共に、インガルスが疾走を開始する。

 


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