第40話 ランク一位に、打ちのめされる場合




 試合が終わって、スタートシップポートに戻ってきた後。

 アルタイルの装着を解除したファインは、備え付けのベンチに力なく座り込んだ。

 汗に濡れた白金色の髪もそのままに、俯いて動かないファイン。

 

 言葉が出なかった。ファインも、俺も。


 口を開けば、後悔の言葉しか出ないような気がした。

 それはきっと、俺にとってもファインにとっても良くないことで。

 だから、黙らざるを得なかった。それが情けないことだと分かっていても。


 そして、しばらく痛い沈黙が続いた後。

 控えめなノックの音が、スタートシップポートの入り口から響いた。

 間を開けず、静かにドアが開く。現れたのは、インナーウェア姿の黒髪の女生徒。

 常と変わらず静かで鋭い居住まいの、雨車夕花。

 試合直後だというのに息も切らさず髪も乱れていない夕花の姿を見て、思わず唇を噛む。


 夕花はさらりとポート内を一瞥し、ベンチに座り込んでいるファインを見つけると、静かな歩調でそちらに歩み寄っていって。


「こんにちは。はじめまして」


「……はじめ、まして」


 俯いたまま、なんとか返事を返したファイン。ここで俺も、夕花とファインが初めて顔を合わせたという事実に気付く。そういえば、試合の手配やなんやらは俺が進めていたのだった。


「貴女、筋は悪くなかった。想像は超えなかったけど」


「…………ありがとう、ございます」


 絞り出すようなファインの声は、明らかに精彩を欠いていた。

 その返事に対して一度だけ首肯した夕花は、そのままこちらに向き直る。

 瞬間、切れ長の夕花の目がさらに細まり、鋭さを増した。

 刃のような気配を垂れ流しながら、夕花はつかつかとこちらに歩み寄ってきて。




「鈍ったね、宙彦。正直がっかりした」




 心底から冷たい言葉を、俺に向かって突き刺した。

 息が詰まる。それは、混じり気の無い糾弾だった。


「もっとできることはあったはず。

 まさか、『胸を借りるつもりで』なんて甘いこと考えてた?」


「そ、れは」


「少なくとも、去年つかさに付いてた時はもっと冴えてた」


 遠慮の無い言葉が、次々に俺の心へと刺さっていく。

 そのどれもが正しい。なにも反論できない。そうだ、俺の考えは甘かった。そして夕花は、その事を全て見透かしていた。

 勉強させてもらう、なんて気の抜けた考えで戦えるほど、フライトアーツもランク一位も甘くはない。そんなことは分かっていたはずなのに。

 後悔に目を逸らした俺を、夕花は逃がそうとしなかった。


「もしかして、機体を渡しただけで満足した?」


「違います!」


 声を上げたのは、さっきまで俯いていたファインだった。

 ベンチから立ち上がったファインは、弱々しくも気勢を張って夕花に立ち向かい。


「先輩は、アルタイルを預けてくれた後も、ちゃんとわたしのことを支えてくれてます! 今回はわたしの実力が至らなかっただけで――――」


 そんな、俺を思ったファインの精一杯の反論はしかし、




「そんなことは初めから分かってたはず」




 たった一声、夕花の鋭い言葉で断ち切られる。


「実力差を分かった上で、貴女も宙彦も勝負を受けた。違う?」


「っ、それは、そうですけど……!」


「なら、その差を埋めるのは宙彦の役割」


 夕花の言葉は一切の無駄がなく、そして正確だった。

 ファインの実力以上のものを引き出せるのは、俺をおいて他には居なかった。

 そのための技師登録、そのためのサポートのはずだった。

 だというのに、この有様。この体たらく。


「宙彦、私に大口を叩くのは別に構わない。でも」


 過不足のない糾弾。あまりに鋭利な夕花の言葉は無機質に聞こえる。

 ただ。言葉の端々に、その奥に、複雑な感情が見えた気がした。

 それは――――失望。あるいは、悲しみ。


「あまり、期待させるようなことは、言わないで」


 それだけを言って、夕花は踵を返す。

 言うべきことは言い終えたと、その背中は静かに語っていて。

 俺はその背に、反論なんてとても返すことなど出来なかった。

 ファインに屈辱を味わわせた俺が、夕花を失望させてしまった俺が、どの口でなにを言うことができるというのか。

 ただ後悔に唇を噛む。そんな情けない様を晒すことしか、今の俺にはできなかった。

 

 だから、次の瞬間聞こえてきた台詞に、驚いた。




「――――待ってください」




 その声を上げたのは、他ならぬファインだった。

 疲れを見せながらも、瞳に熱を宿して、その視線は夕花をじっと見据えていて。


「二週間後。もう一度勝負させてください」


「うん、いいよ」


 顔だけ振り返った夕花が、無表情のままにそう返す。

 間髪入れずに返事をくれたことに驚いたのか、ファインは一瞬目を見開いて。


「……勝負、してくれるんですか?」


「最初に勝負を持ちかけたのは私。再戦を受けないのはフェアじゃない」


 端的に理由を述べて、再び前に向き直る夕花。

 なびく黒髪は無関心と余裕に満ちていた。本当に単なる義理。それだけが理由なのだとありありと分かる怜悧な後ろ姿で、最後に夕花は。


「期待しないで待ってる。それじゃあ」


 それだけを言って、スタートシップポートを後にした。

 再び訪れる静寂。しかしそれも長くは続かない。我慢ができなかったのは……俺の方だった。


「どういう、つもりだ」


 内心戸惑いながら、ファインを見る。俺を見つめ返すその碧い瞳は、疲れを見せながらもいつものような真っ直ぐさが感じられて。……なんで今そんな目ができるのか、俺には分からなかった。


「明らかに完敗だった。なにもできなかったんだぞ。二週間でどうにかなる差じゃないのはわかるだろ?」


「だったらなんで、雨車先輩はあんなに怒ったんですか」


 静かに、でもはっきりと、ファインは俺に問いかける。


「がっかりしたと、あの人は言ってました。そんなこと、先輩に期待してなかったら言わないはずです」


 それは俺も感じていた。夕花が漏らした失望は、たぶん期待の裏返し。

 あいつも姉貴を慕っていた。だから、姉貴の後継になるかもしれないファインに、そしてファインを選んだ俺に、なにかを望んでいたのだろう。


「わたしも同じ気持ちなんです。先輩は、わたしのなにかを変えてくれる。

 そう思ったから、わたしは先輩に付いていこうって決めたんです」


「なら今回でわかったろ。そんなもん、単なる買いかぶりだ」


 そう、俺は誰の期待にも応えられなかった。

 純粋な力不足。求められる水準を超える地力がなかった。

 だから当然の結果として、なんの成果も得られなかった。

 情けなくも認めざるを得ないその事実を、ファインはしかし「違います」と、真っ向から否定する。


「今回は、雨車先輩の本気を、わたしたちが見誤ってただけです」


 その声はどこまでも真っ直ぐで、お為ごかしや同情の類いはひとつも感じられなかった。


「先輩もわたしも、ランク一位の胸を借りるつもりで挑んでました。でもそれじゃあダメだった。あの人は、本気でわたしを潰しに来てました」


 そうだ。俺が一番見誤っていたのはその部分だった。

 夕花はファインの技術上の弱みはおろか、性格の粗まで計算した上で戦略を組み、徹底してその脆い部分を責め立てていた。

 新人だろうと下級生だろうと関係ない。雨車夕花は常に全身全霊で、敵対するプレイヤーを叩き潰す。


「だったら今度は本気でやればいいだけです。良い勝負なんて甘いことは考えずに、本気の全力で、ランク一位を倒しに行くんです」


「……無理だ。敵わねえよ、俺たちじゃあ」


 今日まざまざと見せつけられたはずだ。付け焼き刃ではどうにもならない実力差を。

 それでもファインは、真っ直ぐな目線のまま、わずかに首を横に振って。


「できるできないは関係ありません。わたしたちは、ただ一直線に勝ちを狙う。それでやっと、あの人と本当に『勝負』が出来るんだと思います。それに、それに――――」


 言葉を切ったファインは、すっと目を伏せる。

 よく見れば、その両の拳は震えるほどにぎゅっと握られていて。

 落ち込んでいるのだと思っていた。消沈しているのだと思っていた。

 まざまざと実力差を見せられて、打ちのめされていたのだと思っていた。

 でも違う。こいつが、ファインが黙り込んでいたのは――――




「わたし、悔しいです! すごく悔しいんです! あんな負け方で終わるなんて、わたし絶対にイヤです!」




 悔しい。ただ悔しい。その感情を爆発させないように、我慢していただけだった。

 堪えきれずにはち切れた感情に、ファインの瞳が潤みを帯びる。涙を流さなかったのは、こいつなりの意地だったのかもしれない。


「……だからって」


「なら先輩、ハッキリ教えてください! もう一度雨車先輩と戦っても、わたしは同じように負けますか!?」


 真っ直ぐに問われて、息を呑む。そして同時に、気がついた。


「なにもできずに翻弄されて、ただ煽られるだけ煽られて――――あんな情けない負け方、わたしはもう一度味わわなきゃいけないんですか!?」


「そんな、こと」


 全く同じ結末を迎える? 同じように全てを読み切られて敗北する?

 二度やっても三度やっても、夕花に全てを上回られる?

 そんなこと、そんなこと――――


「そんなこと、あるわけねえだろ」


 そうだ、同じ負けなんて絶対にあり得ない。

 俺は学んだ。ファインも学んだ。俺たちのなにが弱いのか、夕花のなにが強いのか。

 後悔を後ろに置いておけば、俺たちの得るものは確かにあって、しかも大きかった。

 ならば。だから。


「同じ結果になんてなるわけねえ、させるわけがねえ」


 二度目の勝負。早すぎるリベンジだが、確かに挑む意味はある。

 俺たちと甘さと後悔を、成長に繋げるという意味が。

 頭の中で考えが回り出す。つけ込まれたファインの弱み、それでも残るファインの強み、夕花が張った対策、それを差し置いて有り余る夕花の技量。全ての要素を絞り出し、俺たちの勝ち筋を探り当てる。

 恐らく作業は困難を極める。けど――――答えの出ない問題じゃない。


「一晩くれ。考えをまとめる」


「先輩――――!」


 弾かれたように顔を上げ、涙目で笑顔を浮かべるファインを、俺は真っ直ぐ見つめて言う。



「雨車夕花を、潰しに行くぞ」



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