第39話 ランク一位に、大敗を喫する場合
大方の予想に反し、先んじて悠々とボックスインした夕花。
想定外の事態に、無線越しにファインの声に明らかな焦りが表れる。
『スライド!? 先輩、どうすれば!?』
「気にするな! お前は自分のベストスタートを狙えば良い!」
『りょ、了解です!』
平静になることをファインに促しながらも、俺ですら夕花の行動に戸惑っていた。
セオリーを捨ててのスライドイン。選択としては明らかな誤りに見える、が。
こと雨車夕花に限り、戦術のチョイスミスなんてあり得ない。それは俺が一番よく知っていることで。
「何を狙ってんだ、夕花……」
先に戦場へと入り、ゆらゆらと余裕を見せて漂う暗紫の機影を、じっと見つめる。
だが、いくら睨んだところでその意図が透けて見えることなど無く。
やがて、ボックス上空へと飛び抜けたファインが、スタートの姿勢に入る。
『ファイン選手、反転! ダイブスタートの体勢! 一方の雨車選手はボックス中央で悠然と待ち構える!』
ファインの急降下。重力と斥力場による加速で、一気にボックスへと迫る。
タイミングは問題ない。恐らくゼロダイブは成功する。
だが、薄気味が悪い。今のところは全て順調なはずなのに、不安が拭えない。
夕花の行動の意図はなんなのか。それを考える間など、今この瞬間には与えられず。
『ファイン選手、今ボックスイン――――と同時にクロックレッド! ゼロダイブ成功!』
ボックス上面のGIPフィールドに機体脚部のGIPフィールドが干渉、ファインが追加速。白蒼の機影は流星のように、コントレイルを曳いて戦場へと進入する。
それと同時にオープンチャネルから響いたのは、か細くも鋭利な夕花の声だった。
『先制は、貴女に譲ってあげる』
この瞬間、俺は全てを理解して、己の顔から血の気が引く音を聞いた。
同時に、カッと頭に血が上ったようなファインの声が聞こえて。
『ッ――――仕掛けます!』
「馬鹿、よせ!」
遅い、今更止めてももう遅い。そう分かっていても叫ばざるを得ない。
自分自身の甘さとミスを自覚しながら、俺はせめてファインが思いとどまるようにと声を掛ける。が、しかし。
『ファイン選手、全速力で突撃!』
一直線に突っ込んでいく白の鎧。迎え撃つ暗紫の機影は、挑発するかのごとく上下左右にゆらゆらと漂っており。
そして、ファインとアルタイルの突撃が夕花のインガルスを捉えようとした、その時。
『貴女の機動は、読みやすい』
静から動。イチゼロの機動。暗紫が跳ねる。
急激にスラスターを起動させ、夕花はファインの鼻先を飛び越える様に身体を反らし。
直後、翻ったインガルスの両手のロッドから白光が放たれる。
『雨車選手、紙一重で回避――――と同時に射撃ぃ!』
「――――くぅっ!?」
ファインの身体が、その衝撃に大きく揺れる。
夕花は、瞬時の回避と同時に両手のショットスプレーを同時に撃ち、その両弾を正確にファインへとヒットさせたのだ。
跳ねるような回避からの同時射撃。正確な姿勢コントロールと射撃技能が要求される高等テクニック――――
『フリップアンドショット! 雨車選手、ランク一位の実力を見せつけていく!』
「急げファイン! ポジション取られるぞ!」
蘇ったのは先日の笹川君との一戦の記憶。攻撃を読まれ、回避された直後に上空を取られて不利を負ったあの瞬間。
しかも、状況はあの時よりもなお不利だ。ファインも焦るような口調で『りょ、了解で――』と言おうとして。
『――――え?』
ファインが声を上げたのと同時に、俺も同時にその事実に気付く。
――――夕花は、暗紫のインガルスは、ゆらゆらと静かに漂っている。ただの一メートルも、その位置を変えずに。
「あいつ、動かねえつもりか」
『うん。その必要がない』
夕花にそう返され――――今度こそ俺は、自分の敗北を悟った。
『ッ――――もう一度上昇して攻撃しますっ!』
「待てファイン! 一旦落ち着け! 乗せられてる!」
憤りながら高度を上げていくファインをなだめすかそうとするも、効果は無い。
分かっている。分かっていた。ファインの性格は重々承知だ。
こだわりが強くて頑固。一度決めたことは頑として曲げない。
そして、そんな一面を知り得るのが俺だけではないということも、分かっていたのに。
『ファイン選手、二度目の攻勢! 直上からの急速降下! しかし――――』
『つ、あぁっ!?』
『雨車選手、再びフリップアンドショット! 回避と攻撃を同時に決めていく!』
一度目の攻防の焼き増し。ほとんど同じ展開でファインが再び被弾する。
「完全に攻撃読まれてるぞ! 一回高空で落ち着いて立ち回れ!」
『で、でも先輩! この状況ではもう――――』
『そう。貴女はもう攻めるしかない』
通信に割り込む夕花の声は、どこまでも冷静で鋭く。
『四発の直撃で趨勢は私に傾いた。燃費の優位は最早意味をなさない。
そして私は貴女を追わない。放っておいても勝てるから』
見下すでもなく鼻にも掛けず、事実だけを淡々と告げる。
それで十分と言わんばかりに、雨車夕花は冷淡に言葉を並べるのみ。
真実、たったそれだけで、今のサラ・ファインは揺らぎうる――――
『貴女が私に勝つためには、攻めるしかない』
『言われ、なくても――――!』
「バカ、やめろ! 挑発されてんのがわかんねえのか!?」
『そう、これは挑発。でも、事実』
ただただ言葉を並べるのみ。それだけで、雨車夕花は勝負を支配した。
より正確に言えば。俺の想定、ファインの性格、そこから選びうる戦術……その全てを読み切った上で、夕花は戦術を組み立てたのだろう。
この試合、最初から全ては夕花の掌の上にあった。
夕花を甘く見ていたわけじゃない。侮っていたわけじゃない。
ただあいつは、俺の想像以上に、徹底して勝利を見据えていた。
『状況は絶望的。貴女はここを超えられる?』
その問いは最早、勝利の宣言に等しかった。そして――――
◇
圧倒的。ただただ圧倒的だった。
薄白いボックスの中央に佇むのは、暗色の機影。
深紫のインガルスをまとうあいつ――――
否、正確には――――ゆっくりと静かに墜ちていく、白蒼の機影を。
バッテリー残量の危険域到達。それに伴う強制ソフトランディング。
それはつまり、明確な敗北を意味していて。
『……そん、な』
ファインから漏れるのは呆然とした声。
携帯端末からバッテリー残量を確認すれば、改めてその事実を理解させられる。
夕花の残バッテリーは約七割。自身の飛行によってしかメインバッテリーを消費していない。――――言い換えれば、被弾ゼロ。ノーダメージ。
『思った通り。それ以上も以下も無い』
疲れた様子など一切見せず、世間話のような口振りであいつは言う。
これ以上無い、強者の余裕だった。ファインはなにも言葉を返せない。
悔しげに黙り込むファインの様子に夕花は、短い溜め息を吐いて。
見下すでもなく、侮蔑するでもなく。
あくまで当然の事実を告げるように。
FASの頂点――――ランク一位、雨車夕花はその言葉を口にする。
『やっぱり、蒼姉さんには程遠い』
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