第24話 決闘直前に無駄話をする場合




 スタートシップの船上から、巨大なボックスを見上げる。

 底面は上空十メートル、一辺二百メートルの立方体。GIPフィールドで空を切り取った薄白のリング。

 シップから見たのは久々だった。改めて眺めると大きく見えるが、フライトギアからすればその広さなどたかが知れている。特に、巡航速度を高速に保つハイフライヤータイプのプレイヤーからしてみれば。


「今日は、ボックスが狭く見えます」


 ファインが零す。白蒼の機体をまとって空を見上げるその姿は、小柄な体躯に似つかわしくないほど、自信に満ちていて。


「勝てるか?」


「それはやってみないとわかりません。でも」


 ファインは真っ直ぐにボックスを見つめたままに言う。


「負ける気で挑む勝負なんて、ありません」


「そうか。……それもそうだな」


 その姿には、普段の真っ直ぐなバカのそれとは大きく違う、競技者としての意思が垣間見えた。これが、フライトアーツプレイヤーの、サラ・ファインか。

 と、感慨深くファインを見ていると、携帯端末を介して通信が入った。相手は――――今回の対戦相手。


『お時間、よろしいでしょうか』


「おう笹川君。勝負前に余裕だな」


『事情はあらかた耳にしています。災難があったようで』


 笹川君の声色は、普段よりも少し低いものだった。

 その声音からは僅かに不機嫌さ、のようなものも感じられる。


「そうか。案外噂好きなんだな、君」


『それよりも』


 鋭い声で俺の言葉を遮って、笹川君は俺に問う。


『機体が破損した時点で、勝負を延期することも出来たはずでは?』


 ともすれば責めるような強い口調で、笹川君は続ける。


『貴方もファインさんも、事故に遭われて相応に心身に傷を負ったはず。ならば、すべての万全を図るために、勝負の延期を申し出るのが最善だったのではないですか』


 笹川君はどうやら、思ったよりも常識人だったらしい。

 彼は、明らかに俺を責めていた。貴方の立場なら年長者として安全面を鑑みた言動を取るべきだ、ということなのだろう。

 その言葉は全く以て正しい。正論過ぎて耳が痛いくらいだ。でも。


「確かに、そうできたならよかったんだけども」


 当然、最善の手段は分かっていた。けれども、だ。


「無理だったんだよ。俺もファインも、思ってたより意地っ張りでな。

 最善を取って意地を曲げるより、意地を通せる次善を取った。それだけだ」


『そう、ですか』


 納得したのかしていないのか、笹川君は低い声音で相づちを打って。


「わかったらそろそろ勝負に集中したらどう――――」


『もう一つだけ、いいでしょうか』


 再び俺の言葉を遮り、笹川君は俺に問う。


『今のファインさんの機体、蒼さんの専用機からパーツを転用しているのでは?』


「……おお、良く気付いたな」


 痛いところを突かれて、返事が遅れてしまった。

 この勝負で俺が掛けていたのは『笹川君に空木蒼の専用機を見せる権利』。

 ファインの機体修理に姉貴の機体のパーツを使った以上、『空木蒼の専用機』は今、完全な形では存在していない。その上。


『やはり。ならば、この勝負になんの意味があるというんですか? 既に蒼さんの機体はファインさんに譲られているというのに』


 つまりそういうことだ。この勝負、笹川君が勝ったときの利が既に無くなっている。笹川君側の動機が潰れてしまっているのだ。


「笹川君には悪いことをしたと思ってる」


『構いません。結局のところ、蒼さんの機体を誰に託すかは、空木先輩次第でしたから。それよりも』


 笹川君の詰問口調は変わらない。俺を責めている色もあり、純粋に俺たちの行動が理解できない、という口振りでもあり。


『結果論になりますが、この試合に明確な意味は無くなりました。

 それなのになぜ、貴方がたはそこまで勝負にこだわるんですか』


 改めて問われる。嘘や誤魔化しはできない。笹川君が納得できるかは分からないが、今は本心を言うほかに選択肢が無かった。


「正直なところ、俺はもう勝負にこだわっちゃいねえ。

 今はただ、ファインがどう飛ぶか。それが楽しみなだけだ。あと――――」


「失礼します」


 そう言って通信に割って入ってきたのは、今まで黙っていたファインだった。

 試合に集中しているからか、ファインの声音もいつもより幾分か低い。

 ともすれば冷たさすら感じる声で、ファインは言い切る。


「わたしは、勝負にこだわってます。――――これでも競技者プレイヤーですから」


『――――っ』


 笹川君が息を詰まらせる。ファインの言葉は、笹川君へのある種の糾弾にも思えた。

 そしてファインは「それより……」と言葉を溜めたかと思えば、次の瞬間。


「――――それより、です!」と突然に声を張り上げて。「さっきから聞いていれば女々しいことをぐだぐだぐだぐだと! 情けない、本当に情けない! それでもあなたは男ですか、笹川君!」


『なっ、なにを……?』


「意味が無いだのこだわるなだの、聞いていてむかむかします! わたしもあなたも、もう舞台に立っているんです! だったらやることはひとつしかない! 違いますか!?」


『そ、それは』


「それはもへったくれもありません! 戦うんですよ、わたしたちは! なにより笹川君、あなた――――」


 気圧されている笹川君のことなど構いもせず、ぐっと力を溜め込んで、ファインは思う限りの言葉を放つ。


「――――『戦って、勝って奪い取る』! それくらいのこと言えないんですか!」


 そして、しばし沈黙が流れる。

 ファインの言葉を飲み込むための時間なのか、笹川君はじっと黙り込んだ後。


『失礼。想定外のことが多すぎて、少々遠慮しすぎていたようです』


 先ほどまでよりも数段爽やかな声音で、笹川君は言う。

 ファインの言葉になにかを得たのか、笹川君の声には晴れやかさとやる気に満ちているように聞こえて。


『奪い取る奪い取らないは別にして。……全力で叩き潰します。覚悟してください』


「それはこちらの台詞です! 首を洗って待っててください!!!」


 ファインの挑発で通信が終わる。

 船首側に立っていたファインは、話し終わるなりこちらを向いてにっかりと笑った。


「……相手にやる気出させてどうすんだよ」


「へこたれている相手を倒しても、意味ありません!」


 底抜けに明るく言い切ったファインは、改めてボックスを見上げて。


「正々堂々、戦って勝つ! 自由なだけでは、アオイさんに追いつけません!

 わたしは、強くてなお自由なアオイさんに、憧れたんですから!」


 仰ぎ見る先はボックスの向こう側、もっと先にある青空だったらしい。

 ファインの背を見て、かつて姉貴の姿を思い出す。

 それはきっと、俺の決断が間違っていなかったことの証で。

 心臓の高鳴りを自覚する。感情の昂りを自覚する。

 今から始まるこの試合はきっと、俺にとってのターニングポイントだと確信して。


「準備は良いか」


「ええ、いつでも!」


 分かり切ったことを確かめて、心を落ち着かせたその時。

 実況の声が、スピーカーから青空へ響く。


『――――スタートまで、残り三十秒!』

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