第20話 仕切り直しを仕切り直す場合



 今日の練習でも相変わらず、ファインの調子は上がらない。

 昨日の今日では流石になにも変わらない。それはわかっているのだが。


「歯がゆいもんだな、どうも」


 飛びづらそうな軌道を描きながら、ファインがドローンの的に攻撃を仕掛ける。

 しかし、外れ。姿勢を崩しつつ、ファインは次の的へと進路を変える。

 明らかに不調のまま。それでもファインは、諦めずに飛び続けている。

 悔しげでも、空回っていても、碧い瞳の真っ直ぐな意思は消えていない。


 ――――俺にできることは、なんだ。


 自問する。俺は技術屋であって、競技者じゃなければカウンセラーでもない。

 手元にあるのは、姉貴受け売りの知識とメカ弄りの技術だけ。今のあいつに寄り添うことも、気持ちを理解することも、道を示すことも出来ない。


「サラりん! 姿勢制御雑だよ!」


『は、はい、すみません!』


 安曇野あずみのの檄が飛ぶ。本当の意味で教導ができるのはこいつしかいない。

 結局、今の俺は無力だ。行動も言葉もなにひとつ、ファインに与えることが出来ない。


 ――――違う。


 いい加減認めなければならない。腹をくくらないといけない。

 無力なんてただの言い訳だ。俺は、悩んでいる俺自身を見ようとしていない。


 夜空から落ちるあいつを見たとき、俺はどう思った。

 競技会でゼロダイブに挑戦するあいつを見て。笹川君に啖呵を切るあいつを見て。安曇野の教えに喰らいついていくあいつを見て。自由に飛びたいと言い切った、あいつを見て。


 、と思ったんじゃないのか。


 だから手を貸したんじゃないのか。笹川君との試合を後押ししたんじゃないのか。

 なのになぜ、俺の喉は動かない。俺の手は動かない。俺の足は動かない。

 この期に及んで、迷っている。二の足を踏んでいる。


 入学から一年間の努力が、俺の中にためらいを生んでいた。

 本当に良いのかと、ここで決めてしまって良いのかと、後悔はないのかと。

 理性からの自問が、最後の一歩を迷わせる。踏み出す勇気に、歯止めを掛けている。


 今もファインは、苦しみながら飛んでいるのに。

 自由からかけ離れたしがらみの中で、もがいているのに。

 下らない懊悩から、どうしても一歩、抜け出せない。――――そんなときだった。


「サラりん、どしたの……!?」


 安曇野の慌てた声にふと我に返る。

 空を見ればファインがひとり、飛ぶことを止め、ぽつりと浮かんで、自分の顔を覆っていて。


『ごめ、ごめん、なさい……』


 通信から聞こえてきたのは、すすり泣く声。弱々しい謝罪の言葉。

 とてもあの、いつも元気だったあいつとは思えないほどの、か細い泣き声で。


『わたし、うまく、とべなくて』


 自分への落胆か、失望への不安なのか。理由は分からないが、ファインは泣いていた。

 慌てた様子で安曇野が「サラりん、大丈夫、大丈夫だから」と声を掛ける。

 しかしファインは、そんな声など聞こえないのか、泣きながら謝り続けるばかりで。


『とびたいのに、とべなくて、できなくて……ごめん、なさい』


「謝んなくて良いって! サラりん、今はたまたま調子悪いだけで……!」


『ごめんなさい、ごめんなさい……』


 通信から聞こえる声はどこまでも悲痛だった。ファインの心も限界だったのだろう。

 なにか、声を掛けなければ。そんな思いから口を開こうとして。

 ふと、思いとどまる。そして一瞬、考える。

 ファインのすすり泣きの中に、なにかを見つけた気がして。


「ファイン」


 改めて、口を開く。ファインが鼻声で『はい』と返事をする。

 その声色は確かに悲しげに聞こえる。ただ、一方でこうも思う。

 ――――俺はなにか、ファインの感情を見落としているんじゃないか、と。

 それを確かめるため、俺はファインに問う。


「お前はいま、自由に飛べないから泣いてるのか。

 それとも、このままだと勝負に負けそうだから泣いてるのか」


「ピコちゃん! なんで今そんなこと――――」


「悪い、重要なことなんだ。頼むファイン、答えてくれ」


 苛立つ安曇野を抑え、ファインに重ねて問う。

 すると、しばしの沈黙の後、か細い声が通信から聞こえてきた。


『しょうぶのこととか、アオイさんのギアのこととか、しんぱい、です。……でも』


 言葉を切り、言い淀むファイン。そこにファイン自身の迷いを感じ、俺は確信する。

 プレッシャーそれ自体が、ファインの乱調の原因ではなくて。


『いままで、こんなにとべなくなったこと、なくて』


 そうだ。――――こいつは、


『とびたいっておもってるのに、とべないことなんて、なくて』


 思ったように飛べないからと。

 飛びたいように飛べないからと。

 自由に飛ぶことが出来ないからと、子供のように泣いているんだ。


『そっちのほうが、つらくて……ごめんなさい、ごめん、なさい』


 それ以上の言葉を続けられず、泣き出してしまうファイン。

 言い難い内心を絞り出させてしまった後悔はある。

 だけど、そのおかげでようやく。ようやく、一筋の道が見えてきた。


「そうか」とだけ返して。己の思いを反芻する。


 俺になにができるのか。そして、俺はなにがしたいのか。

 全ては既に定まっている。だが、あと一つ。あと一つだけ、確かめないといけない。

 最後の一言を得るために俺は、苦痛を与えてしまうことを承知で、問わないといけない。


「ファイン」


『なん、でしょうか』


「――――前みたく、自由に飛びたいか?」


 ファインの喉が鳴る。それは、激しい感情の前兆で。


『……そんなの』


 震える声――けれどさっきまでとは毛色が別の声――でそう零したあと、ファインは大きく息を吸い込んで。




『そんなの、飛びたいに決まってるじゃないですか!!!』




 かちり、と。

 ファインが叫んだその一瞬で、俺の中のなにかが切り替わった。


 渦巻いていた懊悩が一瞬で晴れ渡る。信じられない、嘘みたいなクリアな思考。

 ファインのギアの状態が想起される。損傷修復の可不可が頭の中で整理されていく。数秒と経たずに道筋が見える。……何のことはない、俺は元からこのことをずっと、頭の片隅で考えていたのだから。

 今日は火曜日。試合は土曜日。期限から工程を逆算する。許されている時間。詰めるべき作業。こだわるべきポイント。可能な限り最大限の成果を上げるために必要なのは。


「――――三日だ。三日くれ。金曜の昼には戻ってくる」


 訓練場を後にしようとして、安曇野に肩を掴まれる。


「ちょ、ピコちゃん!? どこいくの!?」


 安曇野の顔には戸惑いが浮かんでいる。その問いは確かにごもっともだが、今はお前に構っている暇がないんだ。肩を掴んでいる手を振り解こうとした時、安曇野が再び叫ぶ。


「今のサラりんを放っておくっての!?」


「――――んなわけねえだろ馬鹿野郎!!!!!」


 反射的に、大きな声が出た。あまりにも不本意な問いだったから。

 驚きに目を丸くする安曇野。通信からもファインが息を呑む声が聞こえて。

 驚かせて悪かった。大声を出すつもりじゃなかった。……なんて、そんな上っ面の謝罪なんか出てこない。やさしさで取り繕う余裕なんて、今の俺には無い。

 だから俺は、最低限の言葉で二人に答えることしかできなかった。




「待ってろ。俺は、俺の仕事をしてくる」



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