第19話 仕切り直しが上手くいかない場合



 スタート練習の平均クロックタイム、20・67秒。

 ターゲット訓練の平均命中率、62パーセント。

 その他、マニューバ訓練や特定距離の飛行タイム測定も行ったが、結果は。


「……かんばしくねえな」


 そう言わざるを得なかった。隣で見ていた安曇野の表情も優れない。

 単純に、全てのスコアが落ちている。普通に出来ていたことができなくなっている。

 傍目に見て明らかに、ファインの調子は落ちていた。


『すみません……で、ですが! 大丈夫です!

 たぶん、まだ機体に慣れてないだけですので!』


 通信を介して気丈に言うファインだが、その声には張りが無い。この結果に自分自身でも堪えているのだろう。

 さて、どうしたものか。ファインの調子は確かに悪い。ここ数日の特訓の成果がゼロになったかのようだ。ただ、それが何に起因するものなのかがハッキリしない。


「調整が足りねえのか……? ファイン、ギアになにか違和感は?」


『ありません! 流石は空木先輩――――』


「一応訊くが、強がりとかじゃねえよな」


『は、はい! もちろんです!』


 元気な返事は返ってきたものの、俺からすれば空元気にしか感じなかった。

 一旦通信を切り、隣を見る。安曇野は心配そうな様子で、飛んでいるファインを見つめていて。


「安曇野から見てどう思う」


「うーん……不安定、かな」


 目を伏せ、黒と緑の混ざった後れ毛を弄りながら、安曇野は一つ一つゆっくりと、自分の考えを口にしていく。


「なにがどう悪いってのはハッキリわかんない。けど、さっきできてたことが次の瞬間できてない、みたいなミスは多かった気がする。こういう場合って、大抵さ、その……」


「メンタルの問題か」


「たぶん、ね」


 おおむね俺の想像と同じ答えだった。

 おそらくは土曜日の事故をひとつのきっかけに、ファインの心の中で何かが変わってしまった。そのせいで本来の実力を発揮できていないのだろう。

 メンタル方面の異常はやっかいだ。おそらくファインは今冷静な思考を保てていない。ということは、本当に機体の調整に問題が無いのか、あいつは正しく判断できていない。


 フライトギアの調整というのは、装着者の感覚から得る情報頼みな部分が多々ある。

 今の状態では、訓練はおろか機体の調整すらままならないだろう。


「今日は一旦上がっておくか?」端末から通信を繋いでファインへ言葉をかける。


「調子の上がらない状態で練習してもしんどいだけだぞ」


『いえ、大丈夫です! それより早く機体に身体を慣らしておかないと……!』


「でもな、ファイン――――」


『やらせてください!』


 その声はどこまでも真っ直ぐだった。ただ、いつもの真っ直ぐさとは毛色が違う。

 前しか見えていないのではなく、必死に前だけを見ようとしているような。


『……お願いします。やらせてください』


 悲痛にすら聞こえるファインの懇願に俺は、数瞬悩む。

 無理に続けさせても意味は無い。けど、今は誰にも意味のある答えが出せない。

 ……歯がゆさに奥歯を噛み締めた後、自分の無力さに呆れて、溜め息を一つ。


「あと少しだけな」


 そう言う以外に、なにもできなかった。




 ◇




 訓練が終わり、ファインは急いで女子寮へと帰っていった。

 夕日に照らされるその後ろ姿は、あるいは逃げているようにも見えて。


「サラりん、焦ってるんだと思う」


 ファインを見送った後、安曇野が零す。


「なんでそう思う」


「そう聞かれるとわかんないんだけど……なんつーか、去年のあたしっぽいな、って思ったから」


 去年の安曇野は、一言で言うと荒れていた。

 それは、プレッシャーだったり周囲の視線だったり、いろいろな理由が重なっての焦燥が原因だった。本人の頑張りで結果的には今のような陽気な感じに落ち着いたが、あの時の安曇野は正直、見ていられなかった。


「なにかに追われてる感覚があるとさ、平常心と焦る気持ちとがずっと競り合ってる感じがすんだよね。で、平常心が競り負ける瞬間っていうのが必ず来て、その時はやることなすこと全部グダグダになる。

 今のサラりんの不安定さは、なんかそんな感じに近いのかなって」


「焦り、か……」


 土曜日より以前のファインからは、そんなものは感じなかった。

 だったら、きっかけは土曜日だ。思い浮かぶのは、事故のこと。姉貴のこと。専用機のこと。笹川君との勝負のこと。……思わず、失笑が漏れた。自分の馬鹿さ加減に。


「どう考えても、俺のせいだな」


「そんなこと――――」


「ある。俺が考え無しにあいつにいろいろ話しすぎた」


 真っ直ぐな奴だから。信頼の置ける奴だから。

 そんな理由で喋りすぎたんだ。それがファインの重石になるなんて欠片も考えずに。


「憧れの選手の機体の末路が自分に掛かってるって思って、プレッシャーにならん奴なんていねえわな、そりゃ。なんつーアホさ加減か、俺は」


「ピコちゃん」


「はぁ……最悪。クソッタレだわ。デリカシーなさ過ぎて吐きそう」


「ピコちゃん」


「明日からなに話せばいいんだろうな、あいつから元気を奪った本人が――――」


「――――――ピコちゃん!」


 突然肩を掴まれて、強引に振り向かされた。

 目の前には、真剣な表情でこちらを見つめる、安曇野の顔があって。

 茜色に照らされる黒と緑の髪は、人工と自然のマーブルみたく不思議な色合いだった。

 安曇野の表情も、怒りと悲しさと悔しさとが、マーブルを描いているようでで。


「今は凹んでてもいいよ。ちょっとウザいけど聞いといてあげるし。でもね」


 絞り出すように、あるいは突き刺すように。

 安曇野は俺の目をじっと見て、どこまでも鋭く言葉を放つ。


「――――その顔、絶対にサラりんの前ですんな」


 言い終えて安曇野は、俺の肩から手を離した。

 そこまでしてもらって俺はようやく、自分の情けなさを自覚する。


 今俺は、他ならない俺だけは、弱音を吐いちゃダメなんだ。

 不調の原因が俺だとしても、ファインはそれを決して認めない。

 それどころか、そんな情けない俺を見てファインは、さらに気を病むだろう。『わたしのせいで先輩が気落ちしている』と。

 

 だから俺は今、凹んじゃいけない。踏ん張らないとダメだ。

 少なくともあいつの前では俺は、「頼れる空木先輩」でなくちゃならない。

 飛びたい奴を、飛びたいように、飛ばせるために。


 安曇野が俺の肩を叩く。その表情は、いつもみたく陽気な顔で。


「帰ろーぜ、ピコちゃん」


「…………おう」


 なんとか返事をする。ありがとうは、まだ言わないでおこう。




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