第16話 休日に後輩を実家に連れていく場合





 休日土曜日、昼前。『オノゴロ』から内地へと続く連絡橋を直通バスで渡り、バスを降りてから徒歩十分ほど。

 実家が近い奴の特権、毎週恒例の帰宅なわけだが、今回はおまけが付いていた。


 実家、『ギアショップうづき』に着くと、紺の着流し姿のおっさんが、鼻歌を歌いながら店先を箒で掃いていた。


「こんにちは!」とそのおっさん――うちの親父に声を掛けたのは、格納状態のギアを担いで俺の隣を歩いていた、制服姿の白金髪少女。サラ・ファインだった。


「おや? 宙彦と、君はこの間の――」


「先日は、たいへんお世話になりました!

 こちら、心ばかりのお礼です! お受け取りください!」


 と、ファインが差し出したのは、豆入りおかきの詰め合わせだった。

 金曜に親父の好物を聞いてきたのはこういうことだったらしい。意外とマメな奴だ。


「これはこれは。ご丁寧にどうも。こんなおじさんに気を遣わなくても良いのに」


「いえ! ギアを点検していただいた恩を考えれば、安すぎるくらいです!

 それに、空木先輩にもいろいろと助けて頂いていますし!」


「ほう、そうなのかい宙彦?」


 親父から意味ありげな視線を送られ、なんとなくそっぽを向く。


「まあ、なりゆきで」


「それはそれは、良いことだ」


 含みのある顔で頷く親父。なにが良いことなのかわからないが、突っ込むと手痛い反撃を喰らいそうなのでとりあえず無視しておく。


「ときにサラちゃん」と親父。「ああ、サラちゃんとお呼びしても?」


「はい、お好きにお呼びください! で、なんでしょうか?」


「サラちゃんは、うちの蒼のファンらしいね」


「はい! それはもう!」


「だったら宙彦、『アレ』を見せてあげたら――――」


「ダメだ」


 親父が言い終える前に言葉を挟む。軽い調子でなにを言うかと思ったらコレだ。


「なにも言わないうちから否定しなくてもいいじゃないか」


「なにを言うか読めたからダメだって言ったんだよ」


 そう、言わなくても分かる。姉貴の専用機のことだ。

 一応アレは、店の倉庫に保管している。そして、実家に帰る度にアレの細かい整備や手入れをするのは、六年前からの俺の習慣だ。それくらいには、大事にしているものだから。


「アレは、任せられる奴にしか見せない。それは変わんねえよ」


 意地やわがままの類いだと分かっていても、今更曲げようとは思わない。

 そんな俺の様子に、呆れたように溜め息を吐いた親父は、ファインに苦笑いを向けて。


「済まないねサラちゃん、うちの宙彦が頑固で」


「い、いえ! その、先輩のこだわりはなんとなく知っているので。それに」


 言いかけたファインは、一旦言葉を切った。そして、なにかを飲み込むように一度だけ僅かに頷いて。 


「わたしは、アオイさんにはまだ、遠く及びませんから」


 その声はやけに明るく、だからこそ俺には少し、悔し気なように見えた。


「スタートはまだ三回に一回は失敗しますし。ウイングロッドの扱いも中途半端ですし。

 まだまだ、全然、アオイさんの背中すら見えてません」


 そうは言うが、この短期間でかなり成長はしてる。……と言いかけて、やめる。

 自分のことは自分が一番よく知ってる。特に未熟さなんてものは、嫌って程に。

 それは俺自身がよく理解していた。けれど。

 悔しげに見えたファインの表情は今、過去の俺とは全く似付かないほどに、真っ直ぐに輝いていて。


「でもいつかは、アオイさんみたいになりたい。

 アオイさんみたいに、自由に空を飛んでみたいんです」


「自由に? 強くなりたいのではなく?」


 親父の問いに、ファインは「ええ」と頷く。


「アオイさんはいつも、勝ち負けなんかどうでもいいみたいに、とっても楽しそうに空を飛んでました。わたしは、そんな自由なアオイさんにこそ憧れたんです」


 そうだ。姉貴はいつだって、誰より自由に空を楽しんでいた。

 風に乗って空を駆けることを、一番喜んでいたんだ。

 だからあの時、簡単に専用機を俺に渡した姉貴を、俺は――――


「あ、でも! 勝ち負けとかはわたしが見た限りの話です! ホントはどうだったかとかはわかりません! すみません、分かったようなことを……!」


 嫌な思考に陥りかけた俺を引き上げたのは、わたわたとしたファインの言葉。

 反応したのは親父だった。「いやいや、いいんだよ」と親父はにっこりとして。


「サラちゃんがそう見えたなら、それが君にとっての本当だろうからね」


 親父の言葉に、ファインは「……はい」と頷く。

 姉貴もそう思っていたんだ、と親父は言わなかった。こういうときに安易な言葉を使わないのは親父らしいな、なんて思っていると。


「あ! そ、そういえば……!」


 なにかを思い出したようにハッと肩を弾ませたファインは、俺の方に向き直り。


「すみません、空木先輩。さっき、聞き間違いでなければ『アレは任せられる奴にしか見せない』って仰ってました、か?」


「ん? ああ、仰ったな」


「あの、例の勝負ってわたしが負けたら笹川君に『アレ』とやらを見せるんです、よね?」


「そうだな」


「ちょ、あの! わたし、責任重大なのでは!?」


「そうかもしれないな」


「なっ!? なななななな……!」


 と、今になってファインは動揺しているが。

 実際のとこ、見せたところで受け取るかどうかを決めるのは笹川君だ。

 そして笹川君が人並みの判断力を持っていれば、あんな機体扱おうとは思わないだろう。


「ま、こっちのことは気にするな。ファインは勝負に集中してろ」


「できるわけないですよ!? あわわわ……重圧です……!」


 ファインはわななきながら頭を抱える。折角のプラチナブロンドがぐしゃぐしゃだ。

 後で機体の事情はこっそりと教えてやろう。でも今は面白いから放置だ。

 と、内心にやにやしていると、親父が意外そうな顔でこちらを向いて。


「宙彦、そんな約束をしたのかい?」


「まあ、なりゆきで」


「ほう。どんな心境の変化なのやら」


 言われて、言葉に詰まる。……自分でも、なんであんな提案をしたのか分からない。

 正直、姉貴の専用機を赤の他人に見せるのは、今でも嫌だ。

 自分が認めてない相手の、好奇の視線が向くかもしれないと思うと気が気でない。思い出に割り込まれそうな気がして、気分が苛立つ。


 でも、あの時はそう言うのが正解だとなぜか思ってしまった。実際、後悔もない。

 ただ、その理由を考えようとすると、どうも気分がモヤつくというか、なんでか分からないけど気恥ずかしい感じがして。


「……なりゆきだって言っただろ」


 なんとか返事をひねり出してみれば、親父はいつものようににこりと笑う。


「そういうことにしておこう。きっと、良いことだろうからね」




 ◇



 その後親父は、なにやら張り切ってうちの店を案内し。

 ついでだからとファインに昼飯――何の変哲もない焼きそばだが――を振る舞って。

 さらには機体についての相談という名の雑談に花を咲かせて、ようやく満足したのか。


『帰りはサラちゃんを送っていくんだよ』といつにも増してにこやかに俺たちを送り出した。

 というわけで、海岸線の帰り道。まだ日は高く、海風が心地良い。

 隣を歩くファインの髪は、きらきらと白くなびいている。黙っているファインは、どこか神秘的に見えた。


「ありがとうございます、送っていただきまして」と、ファインが口を開く。


「まあ、いろいろ付き合わせたからな。これくらいは」


「お昼ご飯も、ごちそうさまでした」


「それは親父に……いや、もう言わなくていいや。直であれだけ頭下げてたし十分だろ」


「いえ! 感謝の気持ちは伝えれば伝えるだけ幸せですので!」


「はあ、そうっすか」


 昼飯のとき、相変わらず勢いよく頭を下げまくっていたファインの様子を思い出す。

 いろいろとブレーキの利かない真っ直ぐな奴だな、と改めて思う。

 それはそれとして。どうしても、ファインの背中に視線が行ってしまう。


「あー、行きの時も言ったけどな」


「はい、なんでしょう?」


「ソレ、持つぞ?」


 ファインが背負っている、ゴルフバッグ大の荷物。

 格納状態のフライトギアを指して俺が言うと、ファインはぶんぶんと首を横に振って、行き道と同じようなことを言う。


「いえ、お気遣いなく! これくらいなんてことありませんので!」


「でもなぁ、いくら軽量化できるったって、それなりに重いだろうに」


 フライトギアは、格納状態でもGIPの軽量化を働かせられる。なので見た目よりは軽くて運びやすいのだが、それでも多少は重いし、なにより大きさは変わらない。

 それでも、ファインは明るい表情で俺の提案を断る。


「重いから、いいんです! 鍛錬になりますし、それに」


 ファインは、軽くギアを背負い直して。


「わたしのア、じゃなくて……ギアなんだなって、実感できますから」


「それはそれとして、持とうか?」


「話聞いてましたか!? わたしが持ちますって言いましたよねわたし!?」


「まあまあそう言わずに」


「大丈夫です、大丈夫ですから!」


 自分の事ながらうっとうしい絡み方でからかうと、ファインは逃げるように走り出す。

 背負ったギアを揺らしながら駆けていくファインは、こちらを見ながら元気に言う。


「ほら、この通り走れますし!」


 ――――その時、ファインの身体が交差点に差し掛かり。


「ファイン、前見ろ前!」


 鳴り響くクラクション。歩行者信号は赤。どの車もスピードを出しがちな海岸線道路。

 差し掛かるシルバーの乗用車。最悪の偶然が重なる。

 ファインが前に向き直ったときには、全てが遅く。


 いや。気付くのが早かった全てが、遅く。


「へ? あ――――――――」


 ファインの間抜けな声が響いたときには既に、俺の身体は全力で駆けていた。



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