第2話 女の子が土下座してきた場合
あの後。
砂浜に頭から埋もれていた女の子をなんとか引っ張り上げて、そこからがまあ大変だった。
フライトギアの安全装置は正常に働いていたから目立つ外傷はなかったものの、女の子はなんと気絶していて。
とりあえず学校やら病院やら必要だと思われる場所に連絡しまくって。
ギアを着せたまま病院に搬送されていく女の子の付き添いをして。
搬送先の病院にいた医者や学校の先生に事情を説明し。
アフターフォローとして「後日でいいが、出来れば早めにギアを持ってうちの店に来てほしい」旨を、店の住所と共に看護師さんに伝言してひと段落。
這う這うの体で家に帰りついたのは、日付を超える直前だった。
そして、その翌朝の食卓。
「なるほど。元気な娘さんだ」
一通り事情を話し終えた俺へ、親父は垂れ目気味なまなじりを緩めてそう言った。
日向に寝転ぶ猫を見るかのような表情に、思わず肩をかくっと落とす。
「元気の一言で片付くもんかよ……まあまあの大事だったんだぞ?」
「でも、誰も不幸になっていないだろう? なら、いい思い出になるんじゃないか」
ダイニングの椅子にゆったりもたれて、親父は二杯目のコーヒーを啜っている。
相変わらずマイペースな父親だ。まあ、本当の意味で大事になった時にはちゃんと動いてくれる人だけども。
今日も今日とて親父殿はゆるゆると、着流し姿に眼鏡を曇らせながらコーヒーを飲んでいる。
「宙彦も、もう一杯飲むかい?」
「いいよ。そろそろ時間だし、開店準備しねえと」
「え、そんなことは―――――ないことも、なかったね」
立ち上がった俺につられてようやく時計を見たのか、親父は苦笑いを浮かべる。
それでも焦る様子を見せないあたり、流石は親父。のらりくらりの昼行燈っぷりを見せてくれる。
親父のゆったり加減はいつものことだが、流石に今日あたりからはやる気を出してもらいたい。
「春休み、あと二日だぞ? 俺が手伝えるのも明後日までだからな」
「ほお、もうそんなに経っていたかな。それは寂しい限りだ」
「寂しい寂しくないじゃなくて、そろそろ休みモードから切り替えて貰いたいんだけど……」
普通、こういったセリフは親から子へ向けて言うもののはずなんだけど。
誤魔化すように笑って「いやあ、ははは」なんて頭を掻く親父にため息を吐く。
平時のこの人は本当に、どうしようもなくゆるゆるだ。
「そうだ、宙彦」
思い出したように親父は口を開いて、何を言い出すのかと思えば。
「昨夜の娘さんは、かわいい子だったかい?」
「……ギアのメットがフルフェイスだったから見てねえけど」
「そうか、それは残念――――でもないね。今度うちに来る時が楽しみだ」
「申し訳ねえけどマイペースも大概にしてくれませんかね……!?」
「おおっと、藪蛇藪蛇」
わざとらしく慌ててコーヒーを飲み干した親父は、そのままそそくさとダイニングを後にする。
「ったく」
と短く悪態を吐きながら、テーブルに残された二人分の食器を片付けにかかる。
毎回しれっと朝飯の片付けを押し付けてくるあたり、親父はサボりの天才かもしれない。
などと思いつつ、春休みの日課になっていた朝の皿洗いを開始する。
なんやかんや、昨夜とは打って変わっていつも通りの朝。
日常なんてそう簡単に変わるはずもない。
と、思っていたんだが。
「宙彦、宙彦」と、なにやらそわそわ、というよりうきうきとした様子でダイニングに顔だけ出してきた親父。
ちなみに現在午前八時半。開店まであと三十分だが、まだ焦るような時間じゃない。
親父のなにやら楽しげな様子を怪訝に思いながら「なに?」と返すと。
「プラチナブロンドの美少女が店の表でうろうろしているけど、知り合いかい?」
「は?」
◇
美少女云々はさておき。
恐らく昨日の子だろうとあたりを付け、やや不満げな親父に開店準備を任せつつ。
頭に残る眠気に誘われてあくびをしながら、店の前に出てみれば。
「昨日は! たいっへん、ご迷惑をおかけしましたぁっ!!!」
出会って一秒、即土下座。地面はもちろんアスファルト。
「ちょ、いや、待て待て待て待て」
こちらの出方を見る前に超速で平伏した女の子を見て、眠気なんぞは綺麗に吹き飛んだ。
朝っぱらから地面にデコ擦り付けてる少女の姿は流石に外聞としてアレなので、慌てて起こしにかかる。
「別に怒ってるとかじゃないから、土下座とかはしなくていいから!」
「はッ!? そうなんですか? 寛大です……!」
言いながら立ち上がった女の子は、確かに美少女と称して差し支えはなかった。
まず目に入るのは、さらりと流れる白金色のボブヘアと、澄んだ蒼い瞳。きれいな白い肌とシャープな顔付きも合わせて、欧米の血を思わせる。
見開かれた丸くて大きい目からは、純粋さが見て取れた。小柄な体格と、Tシャツにオーバーオールという服装もあって少し幼さが感じられる。
……と、見とれている場合でもない。
「えっと、昨日海岸で墜落した子……で、合ってるよな?」
「は、はい! その節はありがとうございました! それと、大変ご迷惑をおかけしまして―――――」
「ストップ。躊躇なく土下座しようとしない」
勢いよく座り込もうとした女の子の肩をそっと抑える。
いやもう、なんでこうも迅速に土下座しようとするのか。
「迷惑をかけた自覚があるのはいいことだ。けど、ちょっと勢いが良過ぎる」
「ほぁっ!? おほめにあずかり、恐縮です!」
「うん、褒めてはねえかな」
斜め上の回答に真顔で返せば、女の子は「そ、そうでしたか」と頬を染めてはにかんで。
と、こんなよくわからんやりとりをしている場合でもない。
「とりあえず、名前は?」
「はいっ、サラ・ファインと申します! 15歳です! 明日からフライトアーツスクールに通う新入生です!」
「オーケー、そこまで聞いてないけど手間は省けたから結果オーライってことにしとこう。
俺は
「はっ、先輩でしたか! こちらこそよろしくお願いします、先輩!」
「で、だ」
挨拶を終えたところで、俺はおおげさにひとつ咳払いをする。
本題の前に、一応言っておかなければいけないことがあった。
「な、なんでしょうか」と恐る恐る言うファインに対して。
「先輩として、忠告はしとかなきゃならんから言うけども。
ファイン、周りに人がいない夜間に慣れないことすんのはやめとけ。ドラ3の危険飛行だ」
「そっ、その節はたいへん申し訳――――」
「だから迷いなく土下座しようとするなと」
隙あらば地に膝を付こうとするな、この子。なんかもう、勢いだけで生きてないか? ちょっと心配になる。
「まあ、あれだ。入学前の行動としちゃあ問題だけど、個人的には自主練に根詰める奴の気持ちは分からんでもねえ」
「先輩……寛大です!」
「いや、つーかどうせ後で大人達にこってりお叱り受けるだろうし、これ以上はなんも言わねえよ。俺からはな」
「うっ!? ゆ、憂鬱です……。
し、しかし! わたしのしでかしたことなので、しっかり受け止めます!」
と、やたら決意のこもった蒼い目でこっちを見るファイン。海に向かっての垂直ダイブといい、根性は立派なようだ。
「まあ、ほどほど真面目に頭下げといたらいいんじゃねえの。
で、それはそれとして本題なんだけど」
と言うと、ファインは小首を傾げて。
「はい? お叱りが本題ではないのですか?」
「んなもんついでだよついで。それより、昨日のギア、ちゃんと持ってきてるみたいだな」
ファインの傍には、ドデカいゴルフバッグのようなものが置いてある。
確かめるまでも無く、フライトギアの一式だろう。
俺の問いに、ファインはこくりと頷いて。
「はい。看護師さんからそう伝え聞きましたので」
「よし。じゃあ早速で悪いけど――――」
俺は、きょとんとしているファインへ向かって右手を差し出して。
「それ、こっちに寄越せ」
「――――――はいぃ!?」
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