nikki


四月某所


 生きていくことに難がある。

 どうしてこうも難しい世の中なのでしょう。

 お金が無ければ生きられないし、友人が居なければ寿命は眼に見えて縮まるし、愛が無ければ心を存続させることが出来ない。

 家族友人仕事すら放棄し、いったい私に何が残ったというのか。

 明らかなのは、エアコンの為に全財産を叩いてしまったので、目下仕事を探さないといけないが。しかし、会社なんぞで私がやっていける自信もなければ、そもそも入るぐらいならば実家の農業を継いだ方がマシだ。

 ということで、絵で生計を立てようと思う。

 昔から物語が描きたかったので、漫画を描こうと思う。

 ただ今からすぐに金になるかというと無理なので、とりあえずの資金源として成人向けを描こうと思う。

 問題は漫画を描いたことが無いくらい。

 やってみればどうということはない。


五月某所


 だめだ。

 絵はもちろんのこととしてなにも思いつかない。

 漫画って何を描けばいいんだ。

 導入ばかリ長くなってプレイシーンまでたどり着かない。

 ラフから清書できない。

 色もクソだ。

 キャラデザが安定しない。

 背景がクソほどかけない。

 ダメだ。

 おれはもう駄目だ。

 来月には家も追い出される。

 どうすれば。どうすれば金が出来る。


六月実家


 実家に帰ってきました。

 懐かしのゴミ屋敷。

 久しぶりに運動をした。

 どうにかこうにか部屋を一つ空けた後、またニート生活が再始動した。

 しかし絵が描けない。

 どうすれば書けるのか。

 上手くいかな過ぎて、机に向かうのすら億劫である。

 しかし時間は着々と過ぎていく。

 どうにもならない焦燥感だけが残って、金も名誉も遠くへと追いやり目の届くところにはどぶ川のような負債ばかりが流れていた。

 私の人生はいつからこのようなゴミダメに投げ捨てられているのだろうか。

 この家の性だろう。

 この家に住んでいれば、なおの事ゴミ山に身をうずめることになる。

 それは避けなくてはいけない。

 ゴミの山に埋もれて、這い上がれないところまで落ちてしまえば、私は地の底で生ごみの腐臭に耐えながら窒息するしかなくなってしまう。

 それはいやだ。

 どうにかして這い上がらなくてはならない。私の素質云々はもはや目を瞑ろう。この状況を忌避することで、どうにか嫌な事を耐えるためのエネルギーとしなくてはならない。

 そんなこんなを考えるのはいつもベッドの上である。

 どこにも行けない無力感と、バイク欲しいなという現実逃避と、落書きでもだれか買ってくれないかなという成長拒否。努力が面倒だからこんなところにいるのに、なぜ絵だからと頑張れる気がしていたのだろうか。

 何にも力を発揮できないからこその、現状であったはずだというのに。

 私にとって、出来ることと言えば愚痴を書き連ねて、努力しているようなポーズを取りつつ、ベッドの上で自慰行為に励みそのまま寝落ちする程度のことなのだ。


七月実家


 女が欲しい。

 彼女は心労に耐え切れないので、エロいカキタレがほしい。

 ラブホテルに行ってみたい。

 金も地位も友人も容姿も、何一つ持っていない現状ではありえないことだ。

 屑芸人が出会い系アプリで女を食ってると聞いて、自分もやってみようかと錯乱した時もあったがさすがに無職で出会い系に登録する気にはならなかった。試しに取ってみた自撮りで嫌気がさしたのだ。

 有名にさえなれば、ファンが喰える。

 某有名漫画家は食った後の悪評が怖くて行けないと言っていたが、私が有名漫画家になった暁には絶対行く。むしろ公言して、ファンを募る。成人向け漫画家のファンなど、おっさんしかいないことに目を瞑ろう。女もいないことはないと、思う。

 しかしこうなると絵を描く必要性が出てくるのだが、それでも一貫して問題はあるのだ。

 絵が描けない。

 どうしてかと言えば下手だからモチベーションが上がらないのだ。

 下手だからこそ上がる余地があるともいえるが、これだけ絵を描いていて上がらないとなると一向に明るい未来が見えてこない。

 どうしてもどうにもならない未来が見えてきては、どうしようもなく力が抜けていき、どうしようもなく喫煙が増える。ニートと喫煙によって弱り切った体力では絵なんて描きようがない。意外かもしれないが、存外絵は体力を使うのだ。そのために規則的な運動や禁煙でどうにか体力を回復する必要性があるというのに、私とくれば寝れるだけ寝ては煙草をあほほど吸い、肺を弱らせるばかり。どうしようもない。


 これは本当にどうしようもない案件なのだ。


 もはや死んで修正する以外の方法が私の中で見つからない。


 それでも実行しないのは偏に怖いからだ。

 私の中でその感情はいつも大きな割合を占めてきた。

 怖いから社会になじめず、怖いから逃げる癖がつき、怖いから考える力を失う。

 恐怖感情に助けられていないとは言わない。

 それ以外にも問題はあるのだ。

 しかしその感情さえなければ、せめて中学くらいは通っていたのではないか。

 嫌なことから逃げ、どうしようもならなくなればふさぎこみ、人の意見を聞かず、やるべきことを放棄して、人の眼からはたいそう好き勝手に生きてきたと思われるだろう。それでも、好き勝手にやっていたとしても、決してこんな人生を望んでいたわけではない。責任を転嫁しているにすぎないにしても、私は私が恨めしい。


八月二日実家


 お迎えが来たようです。

 それでは皆さん。お元気で。


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