醜い魂を売ったところで2

 刺さりそうなほど近くに槍を突きつけられてリュードとトーイは移動させられる。

 階段のある方とは逆側の道を歩かされていき、とても広いところに出た。


「うっ……」


 ひどい匂いにトーイが顔を歪めて鼻を押さえた。

 リュードも思い切り嫌な顔をする。


 澱んだような空気は血の臭いを孕んでいて気持ちが悪くなった。

 円柱状に切り取られた広い空間はコロシアムが丸ごと入ってしまいそうな広さがあった。


 これだけ天井が高かったら天井付近は地上が近いかもしれない。


 けれどそんな広さよりもまず目についたのはこの広い部屋のど真ん中にある醜悪な光景であった。

 部屋の真ん中は大きくすり鉢状に窪んでいて、そこにはなんと死体の山が積み重なっていた。


 多くが上半身裸の死体で、リュードはこの大会で死んだ奴隷の死体が積み重ねられているのだと気づいた。

 中には奴隷ではなさそうな死体もあって、どこからこんなに集めてきたのか想像もつかない。


 後ろから兵士にせっつかれて窪みの縁まで歩かされる。

 死体の山の下、窪みの中は死体から流れ出た血で池になっていた。


 断言できる。

 人生で1番最悪な光景だった。


「うっ……おえぇ!」


 たまらずトーイが吐き出してしまった。

 ここに来る前にしこたま飲み食いしたことが仇となってしまった。


 リュードも吐きたくなる気持ちは分かるがなんとか耐える。

 生贄というからリュードたちもあの時代の山の仲間入りをさせられるのかと思ったがリュードたちは死体の山に向かって跪かされた。


 多くいた兵士たちがどこかへいって数人がリュードたちに槍をつけて、ただ何も言われず、されずに待つ。

 しかしその間にもどこからか死体が運ばれてきて窪みに投げ入れられていた。


 この世の地獄。

 トーイは酷すぎる光景に顔を青くして震えている。


 少し前まではルフォンたちが助けに来てくれたらと思っていたけれどこんなヘドが出るような光景を見せるくらいなら来ない方がいい。


「りゅ……リュードさん」


「……どうした?」


「も、もしですよ。


 もし逃げられるなら私を置いて逃げてください……」


「トーイ……それは」


「ここまで来てしまっては私のことなんて気遣わないでください……」


 泣きそうな顔をして笑うトーイ。

 諦めてはいませんよと言おうとして言葉が出てこなくなる。


 代わりに涙が出てくる。

 泣くのを抑えようと、我慢しようとすればするほど嗚咽してしまう。


「リュードさん1人ならなんとかなるはずです……


 こんな……こんなヒドイことを誰も知らずに、誰も止めないのはいけないことです!」


 ここまでリュードの助けがなければ死んでいた。

 この死体の山の死体の一つになっていた。


 これ以上リュードの足かせになりたくはないという思いがあった。


 しかし今はそうではなく、この現場を見てトーイはひどく胸を痛めていた。

 人間の所業ではない。


 まさしく悪魔の所業。

 こんなものを放っておいていいのか、誰かが伝えねばならない、もしかしたらミュリウォにも悪魔の手が伸びてしまうかもしれない。


「こんなこと見過ごせません。


 誰かが生きて、伝えなきゃ!


 悪魔が本当に関わっているなら、早く止めなきゃ死体の数はこんなものじゃ済まなくなる!」


 ミュリウォの笑った顔が頭をチラついた。

 諦めたくはないが、リュードに見捨ててほしくはないが、止めなきゃ自分を支えてくれたミュリウォが傷ついてしまう。


「リュードさん……逃げてください。


 逃げて……うっ!」


「おい、黙れ!」


 トーイの声が大きくなりすぎてバレてしまった。

 槍の柄で殴られるトーイ。


「だから、だから私のことは構わないで。


 じゃないと……この悪意はみんなを、ミュリウォを飲み込んでしまう気がするんです」


 額から血を流しながらも話すのをやめないトーイ。


 戦いと無縁で、何もできなかったトーイがミュリウォのために男を見せた。

 あまりにも悲壮な決意。


 返す言葉が見つからなくてリュードはただ黙ってうなずき返した。


 だかしかし、それは逃げれたらの話である。

 そうしている間にまた別の奴隷が槍を突きつけられて窪みの縁に跪かされている。


 何人かの奴隷が同様に跪かされていて、リュードはその目的がわからない。

 殺すでもなくただ並べてどうしようというのか。


「ふふっ、もう少しかしら。


 私の、永遠の美しさがすぐそこまできているわ!」


 若作りな化粧と服装をやめて、簡素な白い装束に身を包んでいるガマガエル。


「うっ!」


 突然の耳鳴りとひどい頭痛。

 リュードは頭を抱えて、歯を食いしばってその痛みに耐える。


「リュードさん?」


「な、なんだ!」


 縁に跪かされた奴隷たちがざわつき始める。

 血の池が沸騰したように泡立ち始めた。


「はははっ!


 来たわ、来たのよ!」


 耳鳴りがひどくてリュードには何も聞こえていない。

 他にも頭を抱えている奴隷が何人かいるがリュードは中でも酷かった。


 とても気持ちが悪い魔力を感じる。

 魔力の感知能力にも優れたリュードは悪意を孕んだ巨大な魔力を感じ、頭が割れそうな痛みに襲われていた。


 血と死体が浮き上がって空中で一塊となる。

 池になるほどの量があった血と山になっていた死体が丸い球となって、不愉快な音を立てながらグンッと圧縮される。


 赤黒い死体と血の球は小さくなっていき、最後には人の頭ほどの大きさにまでなった。


「私の依代はどこだ?」


 声がした。

 どこから聞こえたか分からないが全員に聞こえていて、皆がキョロキョロと周りを見る。


「ああ!


 周りにいる者の中からお好きな体をお選びください!」


「粋な計らいだな」


 ようやく声の元がどこなのか分かった。

 あの赤黒い球からだ。


 目がない赤黒い球。

 なのになぜか上から下まで見られたような、不快な感覚があった。


 背中に冷たいものが走り、ゾクリとした。


「貴様だ、貴様がいい」


 赤黒い球が誰のことを指しているのか、誰にも分からなかった。


「リュードさん!


 ……ダメだ!」


 赤黒い球がリュードの方に動き出して、貴様がリュードのことを指していたのだとトーイは気づいた。


「ト、トーイ……?」


「き、貴様ぁー!


 なぜ、デルゼウズ様の邪魔をしたーーーー!」


 何かに強く押された。

 同時に頭痛と耳鳴りが治った。


 リュードが薄く目を開けた。


「ト、トーイ……トーイ!」


 ゆっくりとトーイの腹に赤黒い球が吸い込まれていっている。

 リュードは希望だ。


 トーイは刹那の判断でリュードを強く押した。

 リュードに向かっていた赤黒い球は突然リュードとトーイが入れ替わり、止まることもできずにトーイにぶつかった。


「おい、トーイ!


 大丈夫か!」


 明らかに尋常じゃない何か。

 大量の死体と血を押し固めた気持ちの悪いものがトーイの中に入ってしまった。


 トーイに駆け寄ったリュードが揺すってみてもトーイに反応はない。

 ガマガエルは地団駄を踏んで怒っているがトーイに赤黒い球が吸い込まれてしまったために下手に手を出せないでいる。


「触るな……」


「え……?」


「その汚い手で私に触るなと言っている!」


 完全に不意を突かれた。

 一瞬何が起きたのか理解できなかった。


 トーイの拳がリュードに当たって後ろに飛んでいく。

 地面に寝た状態であったはずなのにとんでもない威力でリュードの体が地面から浮き上がっていた。


 短い時間の上昇、そして落下。

 背中を激しく地面に打ち付けて、肺から空気が勝手に出ていく。


 痛みに悶えながらリュードは考えた。


 何があったのだ。


 体に触れただけで激怒する人ではなかった。

 それに怒ったところで寝転がったまま人を殴り飛ばせるほどの怪力などトーイにはなかった。


 おかしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る