閑話・隣に立つと決めた日3
「こうなったら!」
時間を稼ぐ。ツキベアグリーの叫びが聞こえてきたのでもうツキベアグリーを倒したか、少なくとも瀕死の状態であるだろう。
どうにかやり過ごして時間を稼ぎ大人たちが来るまで耐える。
リュードはツキベアグリーの突進をかわして走る。
ディグラ草畑の中でもよく日が当たっているところを探す。
日陰の涼しいところはつぼみのディグラ草があるので日があたって咲いてしまったディグラ草のところに移動する。
ツキベアグリーはリュードを追いかける。
つぼみは守れそうだけど己の身が守れそうにない。
振り下ろされた右前足をギリギリでかわす。
間近に風切り音が聞こえる。
勢いと殺気はすさまじいが先ほどのツキベアグリーと比べて動きが鈍く見える。
それでも素早いことには変わりないし一撃一撃はリュードにとって致命傷になりうる。
相手が巨体なことを活かしてツキベアグリーの周りをグルグル回るようにして攻撃をかわす。
上手く時間を稼げそうだと思ったがツキベアグリーもバカではない。
突如として立ち上がり二足歩行になる。
リュードが後ろに回り込んでみても振り向かない。
何かが来ると身構えた瞬間、ツキベアグリーが咆哮した。
強い魔力が込められた咆哮に体が勝手に委縮して動けなくなる。
やばいと思って体を動かそうとしてできたのは少しだけ体をひねることと剣を持ち上げることだけ。
どうせ使えないのならと左側を犠牲にし、剣を間に差し込んで少しでも防御する。
ツキベアグリーの腕の一振りでリュードが吹き飛ぶ。
ディグラ草をなぎ倒しながら地面を転がるリュード。
脱臼の痛みで分かりにくいけれど腕が折れている。
地面に叩きつけられるように転がったせいで全身が痛い。
「うっ……ぐっ」
早く立ち上がって逃げなければやられてしまう。
剣を杖のようにして立ち上がろうとしてると地面に影が落ちる。
ツキベアグリーがリュードの目の前に立っていた。
「なめるなよ……」
何もしないと死ぬ。ならささやかでも抵抗してみせる。
不穏な空気を感じたツキベアグリーが動き出そうとしたがもう遅かった。
「切り裂け、風よ!」
単純な魔法。
風呂を作るときに周りを削るときに使う弱い風の斬撃を出す魔法であった。
ツキベアグリーが相手なら皮膚も切り裂けない魔法のはずだった。
しかしリュードが放った魔法の威力は尋常なものでなかった。
持てるだけの魔力をすべて注ぎ込んだリュードの魔法は一瞬で遠くまで飛んで行った。
時間が空き、ツキベアグリーの上半身が少しずつずれていき、ベチャリと音を立てて地面に落ちた。
「リュード!」
ルフォンの知らせを受けたヴェルデガーが他の大人たちよりも一足先に洞窟を抜けてきた。
一体何があったのか、とても理解できなかった。
体が半分なくなったツキベアグリーの前で息子が倒れている。
駆け寄って確認すると息はあるものの体の左側がひどいことになっていて、相当危険な状態だった。
全力で回復魔法をかける。
周りの警戒もするが他にツキベアグリーの気配はない。脅威はないと言っていい。
ツキベアグリーの後ろの山の一部が崩れている。
何か非常に切れ味の良いもので切られたかのように崩れた切り口はなめらかであった。
考えられる原因はリュードなのだがどうやったのか皆目見当もつかない。
「こりゃあ……」
「ルフォンちゃん、見るんじゃない」
遅れて到着した大人たちですら状況を見て言葉を失った。
それなりに経験をしてきているはずなのに山の上の光景に何と言ったらいいのか分からなかった。
ツキベアグリーの状態に慌ててルフォンの視界を塞いだ大人もいたがルフォンはしっかりとグロテスクなツキベアグリーと倒れたリュードを見てしまった。
どのような経緯を辿ったのか、それはさておきルフォンとつぼみのディグラ草は見つかったのであった。
ーーーーー
ルフォンが戻り、村全体が安堵する裏でリュードは瀕死の重体に陥っていた。
ひどい怪我に膨大な量の魔力を使い果たして非常に危険な状態だった。
ヴェルデガーが回復魔法を使って処置をしたがそれでも足りず、リュードは村の医者のところまで運び込まれていた。
本当ならリュードの面倒は自分で見たいヴェルデガーだったが治療は他の者に託してルーミオラの治療薬作りに入った。
他に治療薬を作れる者はいないしディグラ草のつぼみの消費期限が短くすぐにでも治療薬を作り始めねばいけなかったのだ。
メーリエッヒはメーリエッヒであの子ならきっと大丈夫とヴェルデガーの心配を一蹴し、ルーミオラの看病を続けた。
なのでリュードには責任を感じて号泣するルフォンが付いていた。
魔力が多すぎるリュードは無くなった魔力が回復し始めて容態が安定するまでに3日かかった。
その後2日が経ちルーミオラの治療薬が完成した。
「まだ何回か薬を飲む必要があるとは思うけれどもう峠は越えた。大丈夫だろう」
ちゃんと薬の効果は現れた。
午前に薬を飲んだルーミオラは午後には起き上がれるようになっていた。
ルーミオラの手を取ってウォーケックは何度も感謝の言葉を繰り返していた。
「もう、恥ずかしいじゃない。
……それにあの子は?」
「ルフォンなら、俺たちの英雄のところさ」
英雄とは。訳の分からないといった顔をするルーミオラにウォーケックは何が起きていたのか説明した。
ツキベアグリーを倒して、ルフォンを救った当の本人はルーミオラの治療薬ができてからさらに2日後に目を覚ました。
頭の中がボーッとしているのに、まるで何かに叩かれているかのようにガンガンとして、気持ちが悪い。
1週間ぶりに開かれた目は霞んでいてよく見えなかった。
真っ白な天井を見ていると転生する前に戻ってきて事故のせいで病院に入院しているのだと、そんな風に思わせた。
何回も瞬きして視界がしっかりと見え始める。
同時に時間が経って頭も動き始めたのか思考がはっきりとしてきた。
頭を傾けてみるとベッド横に黒い何かがいた。
リュードが動いたことに気付いたのかベッドに突っ伏して寝ていたそれが頭を上げた。
「ああ! よかった、目を覚ました……」
それはルフォンだった。
よほど泣いたのか目が赤い。
リュードが目を覚ましたことで赤いルフォンの目に涙が溜まっていき、流れ出す。
「よかった……よかったよぅ……」
ルフォンが泣いているので何か声でもかけてあげたいのに口の中がパサパサに乾燥していて喋れない。
「私のせいで、こんな怪我して、ごめんね。
絶対怒って……るよね?」
不安げな表情でリュードを見つめるルフォン。
今は話せないので行動で示すしかない。
ずっと手を伸ばし、ルフォンの頬に触れるとビクッとルフォンが反応する。
何も叩くつもりはない。
親指でそっとルフォンの涙を拭うと首を横に振る。
出来るだけ柔らかい表情を作る。ルフォンに微笑みかけてやる。
ルフォンが何を思ってあんなことをしたのかリュードも理解している。
ツキベアグリーがいたのは運が悪かっただけでしょうがないことである。
怒ってないよ。
行動で十分それを伝えられたと思う。
リュードの優しい微笑みを見て、ルフォンの胸が高鳴った。
涙を拭われたところから熱が広がり顔が熱くなる。
何故なのか急にリュードの顔が見られなくてルフォンは顔をリュードから背けた。
「ルフォン」
「あ、う、うん、なーに?」
不自然に顔を背けたままになるけれど今のルフォンにこの状態に対処する術はない。
声を聞くだけでまた胸が大きく鼓動する。
「水を……くれないか?」
何とか絞り出した言葉。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます