閑話・隣に立つと決めた日2

 大人たちが1人ずつ頭をかがめたり横になったりしていく様を見て最初に見つけたやつはどうやって上まで行ったのか疑問に思う。


「――――!」


「これは……こっちだ!」


 大人たちが恐れていた事態。


 咆哮。


 洞窟全体が揺れる。魔力のこもった雄たけびに大人たちの顔つきが変わる。


 武器を抜いた大人を先頭に声の方に行くと開けた空間があり、そこに一頭のクマがいた。


 大人たちよりもはるかに大きく、強い魔力を感じる。

 ツキベアグリーというこの巨大な魔物は森の中層階の王である。


 リュードたちのいる村は森の浅いところ、下層と呼んでいるところにある。

 明確に区切られているわけではないけれど中心部に近いところほど魔物も強くなる。


 基本的に村の人は下層付近から出ることはない。

 魔人化して本気で戦えば中層階でも戦えないことはないけれど魔物を刺激して良いことなんてない。


 村の大人たちも基本は戦いを避ける相手。戦うにしてもしっかりと準備をして挑む相手になる。


 興奮したツキベアグリーは捜索隊を見つけるなり襲い掛かってきた。

 大人たちは素早く散開してツキベアグリーの突撃をかわす。


 リュードはヴェルデガーに抱えられれて反対側まで大きく回りこむ。


「ここでおとなしくしているんだ」


 ヴェルデガーはリュードを岩陰において戦いに加わる。

 ひどい興奮状態のツキベアグリーは視野が狭くなっているので下手に動かなければ見つかることはない。


 なぜまだ浅い層にツキベアグリーがいるのか、なぜツキベアグリーが興奮しているのか、なぜ大人たちがこの状況を恐れていたのか。

 いまがツキベアグリーの繁殖期であるからである。


 繁殖期になったツキベアグリーは繁殖のために薬草を求めて下層まで下りてくることもあるのであった。

 ディグラ草はそのよい例で強い滋養強壮効果と魔力回復効果を持つのでツキベアグリーも求めに来ることがある。


 ついでに薬草求めに来るのはオスもメスもどちらもいるので出会いの場にもなっている。


 他の魔物でもそうした習性を持つものもいるがその中でも最も強いのがツキベアグリーであるので大人たちはツキベアグリーがいることを警戒していた。

 実際いて、遭遇した以上は戦うしかない。

 相手も繁殖期で気が立っているので逃す気はなさそうだ。


 避けながらルフォンの捜索は無理があるし、もしルフォンがいた場合ツキベアグリーを放ってくとルフォンが危険にさらされる。


 無理はしない。連携を取り少しずつ傷をつけていく。

 ツキベアグリーは興奮していて痛みを感じていないので深追いして攻撃すると反撃をもらいかねない。


 浅い傷とはいっても蓄積していけばダメージもバカにはならない。


 ヴェルデガーも魔法で攻撃したり支援したりしながら安全に戦っていく。

 興奮状態で暴れ回るツキベアグリーはかなり体力も消耗したのか動きに精彩を欠いてきた。


 このまま戦っていけば勝てる。


 そう思った瞬間だった。


「な……まさか!」


 再びツキベアグリーの咆哮。しかし目の前のツキベアグリーのものではない。

 少し離れたところから聞こえてきた。


 最悪の事態。

 同じように薬草を求めに来た個体か、はたまたこのツキベアグリーのつがいか。

 どちらにしてももう1体ツキベアグリーがいる。


 別のツキベアグリーの咆哮を聞いてツキベアグリーが息を吹き返す。


「くそっ、つがいか」


 ツキベアグリーの様子を見て確信する。

 たまたま何の関係もない個体がこの場所に集まっていたわけではない。


 ツキベアグリーのつがいがどこかにいる。


 けれども声はしても見えるところにもう1体のツキベアグリーの姿は見えない。

 もう1体に警戒しつつも目の前のツキベアグリーに対処する大人たちは気づいていない。


 なぜ見えていないツキベアグリーが咆哮したのか。


 ツキベアグリーがいるということは他の魔物はいないと考えてもよい。

 となると何に咆哮したのか答えは1つ。


「ルフォン……!」


「リュード!」


 ルフォンがもう1体のツキベアグリーに見つかった。そう考えるのが自然である。


 時間がない。ツキベアグリーを倒しているのを待つ暇はない。

 子供のリュードは大人よりも簡単に洞窟を進んでいける。


 もうだいぶ上ってきたところにいたので山の上も近いはず。


「その子から離れろ!」


 光が見えてきて目的地に飛び出したリュードが見たのはツキベアグリーに壁際に追いつめられるルフォン。


 全身に魔力を送り、地面を蹴る。

 魔力に任せた無茶苦茶なやり方で体を強化して弾丸と化したリュードがツキベアグリーの脇腹に体当たりする。


 子供の体重でも魔力量があるリュードの無茶苦茶な強化をもってすればそれなりの威力がある。

 ツキベアグリーの体がリュードの体当たりで弾き飛ばされる。


「うっ……ルフォン、大丈夫か!」


「シュー……ナ、リュード君?」


 目をつぶって衝撃に備えていたルフォンが目を開けるとリュードの背中が見えた。

 リュードはルフォンを守るようにツキベアグリーとルフォンの間に立つ。


 突然のことに驚きはしてもダメージはさほどないのかツキベアグリーはすぐに立ち上がった。

 一方リュードは無事ですまなかった。


 左肩が上がらない、右腕が動かない。

 重たいツキベアグリーに全力でぶつかっていった代償にリュードは肩を脱臼してしまった。


 獣は聡い。怪我をしたことを悟られてはいけない。

 剣を抜き全身に魔力を充実させてツキベアグリーを睨みつける。


「ルフォン、聞こえるか」


「う、うん」


「ゆっくりと、少しずつ、洞窟の方に移動していくんだ」


 何を警戒しているのか知らないがツキベアグリーは立ち上がったまま動かずリュードをジッと見ている。


「俺が行けと言ったら……」


「ダメ……!」


「どうして!」


 何故か頑なに逃げることを拒否するルフォン。


「見て、まだつぼみのディグラ草」


 一面に広がるディグラ草の花畑。ツキベアグリーに気を取られていたけれど見てみるとまだ花は全体的に8分咲きでまだつぼみのものもちらほら見られた。


 運が悪いことにつぼみのディグラ草はツキベアグリーの足元に多くある。


 このままツキベアグリーに暴れられててしまえばディグラ草がダメになってしまう。

 だからといってツキベアグリーの下にあっては取りに行くこともできない。


「どっちにしろこのままじゃ取りに行けない。


 一回逃げて大人たちを呼びにいくんだ」


「でも……」


「いいから、ゆっくりと移動するんだ」


「分かった……」


 子供だけで何とかしようなんて無茶すぎる。


 上手く行けばこのまま中に入ってきてディグラ草が荒らされることもない。


「うっ、まずい!」


 断末魔の叫び。大人たちが戦っていたツキベアグリーを倒した。


 喜ばしいことなのだがタイミングが悪い。


 つがいのツキベアグリーはその叫びの意味を理解して、今すぐにでも駆け出そうとしたが目の前にものすごい魔力を持つ存在がいる。

 見た目ではなく魔力を感じ取ってリュードを強敵だと認識した。


 まずは目の前の相手を倒さなければいけない。ツキベアグリーはそう判断した。


「ルフォン、行け!」


 1歩前に出たツキベアグリーの雰囲気が変わった。悠長に移動している場合ではない。

 ルフォンが走り出すがツキベアグリーは狙いをリュードに定めたままである。


 ツキベアグリーがリュードに向かって突進する。


 ルフォンの方に行かなかったのは好都合。


 だが。


「どーするよこれ」


 ルフォンは逃がせたものの、ツキベアグリーに対して何か対策があるのではない。

 体が勝手に動いて今の状況がある。


 ツキベアグリーは完全にリュードをロックオンしていて逃げることも難しそうだ。

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