第43話 弁明

人目につき始めたこともあって、2人で手を繋いで家に帰った。


駅から葵さんと帰るのは何度目だろうか。


私はこの道を葵さんと一緒に手を繋いで歩くのが運命なのかもしれない。


朝夕は涼しくなり始めているのに、葵さんの手は温かくて、離してくれないから熱を持つばかりだった。


でも、もうこれで私は引き返せないない道を選択したことになる。


家に帰るまでの間に、母親にはひとまず急用で行けなくなったと断りを入れた。恋人がいることは、改めて話をするつもりだったけれど、今はそれよりも葵さんが優先だった。





「触れていい?」


家に着いて、葵さんが恐る恐る聞いてくる。


手は繋いでいたけれど、葵さんがまだ自信がないことはそれで分かった。


「全部話してからです」


「そうだね」


長くなるからとリビングにまずは移動して、手を伸ばせば届く距離に向かい合って座る。


「佳澄の話からでいい?」


「少しだけ柚羽にも聞きました。高校時代つき合っていた人なんですよね?」


「うん。佳澄は高校の時の同級生で、ワタシにとっては初めての恋人。でも、高校生の付き合いだからキスしかしてないよ」


「そんな葵さんがいるんですね」


「ワタシだって純粋だった頃はあるから。佳澄とは手を繋ぐのにも躊躇するような、そんな関係だった。でも、悪目立ちしちゃったのかな。あることないこと先生に吹き込む人がいてね。節度ある付き合いをしなさいって注意されたんだ。女性同士なんて今だけだみたいなことも言われたかな。佳澄は繊細だったから、それで萎縮しちゃって別れたいって言われたんだ。それから、卒業するまで佳澄には避けられ続けた」


葵さんの話は柚羽に聞いていた話と合致はする。


「葵さんはそれで諦められたんですか?」


「別れる理由が理由だったから納得できなかったけど、ワタシを見てくれない相手には何もできないよ。ワタシは同性であることより前に佳澄が好きになってた。だからそんなこと気にならなかったけど、佳澄はそこに引っかかっちゃったみたい。それを話し合えば良かったのにね」


「難しい問題ですから」


私と付き合い始めてからも葵さんは同性であることに不安を持っていた。それは、佳澄さんとの過去があったからな気がした。


「そうだね。ワタシは男性でも女性でも人は人だから、愛しちゃいけない人なんかいないって考え方だから、お気楽すぎたのかも」


「葵さんらしいです」


「こういう価値観って人によりけりだから難しいよね。真依が寝言を聞いたのって、もしかして旅行の時?」


「そうです」


「なら、いつか2人で旅行に行こうって佳澄と約束をしたのを、脳が覚えていたのかな。真依との旅行は、ワタシが佳澄と約束をした果たせなかった幸せな旅行そのものだったから」


「私には最悪な思い出でしかありませんよ。もう葵さんと旅行には行きません」


「新婚旅行には行こうよ」


ほんとにお気楽過ぎると、私は葵さんのほっぺたを抓る。


少し反省をしてもらわないと、過去の恋人の名前をまた出されたら、私はまた嫉妬する気がした。


「佳澄さんとは今は会ってないですか?」


葵さんからの言葉は無視して、佳澄さんの話に話題を戻す。


「高校を卒業してからは音信不通。今は過去の記憶の中にいる存在でしかないよ。真依から名前を聞いて、久々に思い出したくらい」


「じゃあ、一緒に暮らしていた人は誰なんですか? 葵さんは夏の終わりから家を出てるって柚羽が教えてくれました」


葵さんが一緒に暮らしているのは、佳澄さんじゃないかという仮説もあったけど、今の話を聞くとそうじゃないことになる。


「友達って言っても信じないよね?」


「信じられません」


何か事情があって一緒に住むになったのはいい。それを私に話してくれなかった理由が分からなかった。


「結婚していて子供もいる友人だから、何かが起こるわけないよ?」


「じゃあ、どうしてその人と一緒に住んでいたんですか?」


「…………家事を覚えようかなって、思ったの。たまたまダンナさんが転勤になって、子供と2人になるから完全に1オペになるって話を聞いて、手伝うから家事を教えて欲しいって一緒に暮らすようになったの」


「家事? どうして急に?」


葵さんは家事が苦手だと聞いていた。だからこそ家に泊まりに来た時も、精々皿洗いを手伝ってもらうくらいだった。


その葵さんが、家事を覚える為に友人の家に住む理由が分からない。実家で覚え難いのだとすれば、私の家で覚えればいいだけじゃないだろうか。


「もう今更なんだけど……来月の真依の誕生日にプロポーズしようと思ってました。一緒に暮らそうって。だから、それまでに少しでも覚えたかったの」


プロポーズ?


さっき駅で言われたようなやつのことだろうか。


あれは私を引き留める為に言い出したことじゃないということなんだろうか?


でも、


「そんなの一緒に暮らしてから考えるでよくないですか?」


「…………年上の見栄です。ごめんなさい」


葵さんは私の方を向いて、姿勢を正してから頭を深く下げる。


そんなこと見栄を張るところじゃないのに、何を気にしたのだろうと少し腹が立った。


「知りません」


「真依、怒らないで」


「葵さんが家事ができないことなんて知ってます。それを何でこそこそしようとするんですか」


「真依にだけ負担を掛けたくなくて……」


人差し指同士をくっつけては離すを繰り返す葵さんはちょっと可愛いけど、それで許せる話じゃなかった。


「そんなの2人で解決していくことじゃないですか?」


「でも……」


「でもじゃないです。そんなこと私が葵さんに教えます」


勘違いしたのは私だけど、葵さんも恋人に何も言わずに誰かと一緒に住むなんて酷い。


そんなことで不安になって、別れる決意までするになったことが腹立たしかった。


「私は何も自分でできなくて、迷ってばかりで、葵さんに何でも任せっきりにしちゃったから、葵さんに愛想を尽かされたんだって思っていました」


「そんなことあるわけないじゃない。真依は悩んで動けなくなっていただけでしょう? 真依が自分の中に呑み込んでしまう性格だって知ってる。そういう所も含めて真依なんだってワタシは思ってるよ」


「ずるすぎて嫌になりません?」


「むしろ、ワタシ的には可愛くて仕方ないんだけど、分かってくれないかな」


「分かりません」


葵さんが私の隣に移って、腰を引き寄せられる。


「これからはもやもやしたら隠しごとはしないにしよう? 真依が一人で考えると悪い方向にしか行かないって、ワタシもわかったから」


「……はい」


「じゃあ、触れていい?」


見下ろす葵さんは今にも触れんばかりの距離まで顔を近づけてくる。キスをする時の距離だ。


「念のために聞きますけど、一緒に住んでた人は本当にただの友達ですか?」


私を見下ろしていた葵さんの視線が逸れる。


「葵さん」


「……大学の頃に2週間だけつきあったことがあります。でも、なんか違うなってすぐに別れました」


平身低頭する葵さんに、私は雷を落とす。


「しばらくは触れ合うの禁止です。キスも駄目ですからね」


「真依、干涸らびるからそれ」


「葵さんはちょっとミイラになるくらいでいいんじゃないですか?」

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