第33話 出発の日

葵さんとは出張から帰ってきてから、一度も話ができなかった。


仕事がばたばたしていたことだけが原因かは分からないにしても、私に取れる手立てはなかった。


『明日行けますか?』


メッセージを打って、送信ができずにデリートする。


やっぱり止めようと言われるのが怖かった。


葵さんはきっと来てくれるはずだと信じたかった。


待ち合わせをすることもできないまま、予約した新幹線の時間に合わせて出発する。葵さんの家からだと新幹線の乗車駅に直接来るはずだと新幹線口で葵さんを待つ。


最近は全部ネットで予約が出来て、そのまま各自で発券なんてことも容易いから、チケットを渡すなんて必要もない。SEだから操作が分からないなんてことも口実にできなかった。


楽しみにしていた葵さんとの初めての旅行なのに、葵さんに1週間会えなかっただけで、心がぐちゃぐちゃになっている。


最後の葵さんとの会話が柚羽のことは任せて、だったことも起因はしている。


葵さんは私の恋人である以前に柚羽の姉で、柚羽の気持ちを優先させるかもしれない。


考え始めると悪い方向にばかり考えが行って、発券したばかりの切符を眺めながら払い戻しができるのだろうかなんて思ってしまう。


悪い考えを断ち切ろうと切符をポケットに仕舞って、しゃがみ込んだ。


両耳に手を当てて目を瞑って、溜息を吐く。


感覚を遮断しようと集中していたところに、目の前に人の気配を感じた。


「真依、どうしたの? 気分悪い?」


降って来た声と、私に掛かる人影に視線を上げる。


「葵さん……?」


「おはよう。大丈夫? どこかで休憩する?」


腰を屈めて覗き込んできた葵さんの首筋に私は抱きついた。


会いたくて、会いたくて仕方なかった人が笑顔を向けてくれている。それだけで、不安が吹き飛んでいた。


「真依??」


「来てくれなかったらどうしようかと思ったんです」


「ごめん、ちょっと寝坊して1本乗り過ごしちゃった。体調悪そうだけど、新幹線乗れそう?」


葵さんに腰を抱かれて引っ張り上げられて立ち上がると、そのまま胸に抱きつく。葵さんは抱き返してくれて、久々の葵さんの匂いに落ち着きを取り戻す。


「大丈夫です」


「ごめんね、今週ばたばたしてちゃんと会えなくて」


「淋しかったです」


葵さんが約束を破るはずなんてない。そんなことも私は信じられなくなっていたのだ。


「1週間会えなかったら真依って、こんなに甘えてくれるんだ。癖になりそう」


「次に1週間も放置したら泣きますよ」


「ごめん、ごめん。じゃあ、時間もあるし、行こう?」


手を繋いで新幹線に乗り込んで、座っても葵さんと繋いだ手は離せなかった。


夏休み中のせいか乗客はそれなりにいたけれど、2人掛けの席に座れたこともあって、葵さんと体の右半分を触れ合わせている。


先週柚羽と一緒に座った時は触れ合わないようにって、気を配っていたけれど、葵さんには素直に甘えられた。


「発車して早々だけど、ごめん、真依、後で1週間のこと話すから寝ていい?」


「今日も寝てないんですか?」


改めて葵さんの顔色を窺うと、疲れが残っていることを示すように表情が薄い。


「昨日終電で帰ってきて、旅の用意もしてなかったから、寝たの3時過ぎてだったんだ」


「じゃあ寝てください」


夜遅くに帰って来たということは、私に連絡をする暇もないくらい忙しかったことが知れて、葵さんに休むことを促す。


2泊3日の旅行なので、3日間は葵さんと一緒にいられる。触れられていれば、ほんの少しの間くらいは話ができなくてもいいだろう。


きっと無理をして葵さんは今日は来てくれたのだ。中止にしようと口にすれば休息が取れるのに、そう言わずに来てくれたことが嬉しい。


「着いたら起こして」


頷くと葵さんは目を閉じる。


葵さんの寝顔はベッドでは見慣れているけど、無防備に体を預けられるだけで嬉しさがあった。


この人が私との約束を破るはずなんかないのに、私は何を不安に思っていたのだろう。

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