第31話 電話

ホテルに備え付けの部屋着を着てバスルームを出ると、柚羽は起きていて、ベッドに腰を掛けていた。


「お風呂出たから入るならどうぞ」


「電話鳴ってた」


私とは視線を合わせないで柚羽は呟く。


「ごめん、それで起こしちゃった?」


機嫌が悪そうで、自分の方のベッドに腰を掛けてから、もう一度謝りを出す。


「コール音が長かったから真依に知らせた方がいいのかなって思って、スマホ取ったら相手見えちゃったんだ」


「えっ?」


「なんで、お姉ちゃんが真依に連絡してくるの?」


葵さんが電話してくるなんて珍しい。でも、ホテルに一人だと思ったから電話してきたのかもしれない。


「今、仕事で葵さんのプロジェクトの方にちょっとお世話になってるから、それでじゃないかな」


「仕事なら、こんな夜遅くに電話してこないよね?」


「…………」


どう言い逃れようと視線を泳がせていた私に、柚羽が立ち上がって近づいてくる。


「気になってたんだ。これをつけたのは誰?」


柚羽が首筋に手を伸ばしてきて、浴衣の襟の下に手を差し込んで来る。


首筋に触れられて、ようやく私は何のことかを悟る。


見えてないけど、分かる。


葵さんが残したキスマークがあるのだろう。


昨晩葵さんに熱心に首筋を攻められた。それ自体はよくあることだったけど、今朝は準備でばたばたして意識がそこまで回っていなかった。


微妙な位置だけど、今日の私は襟の開いたシャツを着ていたので見えてしまっていたのかもしれない。


「やっぱりそうなんだ。これ、お姉ちゃんがつけたんだよね?」


「柚羽、違う……」


話す? 誤魔化す? どちらを選ぶべきかに迷って言葉が続かない。


「違わないでしょ。2人でわたしが早く出て行けばいいって思っていたんでしょう?」


「それは違う」


柚羽は否定した私の言葉を完全に無視して、私を強引にベッドに押し倒す。


「ここで真依を襲ったら、お姉ちゃんどんな顔をするかな」


柚羽に見下ろされて、逃げられそうにないと思うと涙が溢れた。危機が迫っていても、それを招いたのは自分で、傷つけてしまった柚羽とどう対峙していいのか分からない。


「酷いことしてるのそっちのくせに泣くなんてずるい」


「ごめん、柚羽。でも、葵さんと付き合い始めたのは柚羽が出て行った後だから。柚羽にも葵さんに付き合えないって断った後で、やっぱり葵さんが好きなんだって気づいて、私が葵さんに付き合いたいって言ったの。自分勝手なのは私だって分かってる」


「何、それ。人として最低。どれだけ自分勝手なの」


「うん……」


「わたしが手を出す価値もないじゃん」


そう言って柚羽は離れると、バスルームに入って行った。





シャワー音がし始めてから、私は葵さんに電話を掛けた。


「真依、泣いてるの?」


1コールで葵さんは電話に出てくれて、一度引いたはずの涙が再び溢れる。


「葵さん、ごめん。柚羽にばれちゃった」


「そう。しょうがないね。いつかは言わないといけないんだし、真依は悪くないよ」


「でも……」


「ごめんね、一緒にいてあげられない時で。抱き締めてあげたいのに悔しいな」


葵さんの思いが伝わるように、唇を噛みしめる音が届く。


「葵さん、私たちはつき合わない方が良かったんじゃないでしょうか」


「バカなことを言わない。誰かを好きになるって心は、一番縛っちゃいけないものだよ。縛れない、かな。それでみんなを幸せにできるなら良かったんだけど、ワタシたちは違ったね」


「はい」


「だからって、そんな理由で別れられるくらいの生半可な気持ちでワタシはつき合ってないよ、真依」


「葵さん……」


「帰ってきてから一緒に悩もう?」


「ありがとうございます。でも、葵さん、今日は柚羽と同じ部屋なんです。空きがなかったからツインの部屋で、今柚羽はお風呂に入ってます」


「うーん。それはちょっとまずいね。別の部屋も無理なんだよね? ワタシが駆けつけても朝になっちゃうしね。困ったなぁ」


「出て行くべきですよね?」


「泊まる宛てもないでしょう? もう0時過ぎてるし、明日朝からお客さんのところに訪問なんだよね?」


「そうです」


「分かった。じゃあ真依、このまま通話のまま、スピーカーにして寝て。充電器を繋いでおけば切れないと思うから」


「朝までですか?」


「そう。真依は寝ていいから、何かあったら声を上げて」


「でも、それじゃあ葵さんが寝られないんじゃないですか?」


「一晩くらい徹夜するのは大丈夫。丁度やらないといけない仕事もあるから、真依の寝息を聞いてにやにやしておく」


「でも……」


「真依、ここは遠慮しなくていいところだからね。真依に何かあったら自分を許せないし、柚羽にも何をするかわからないって思ってる。だから、セーフティとして繋いでおきたいの」


「分かりました」


「じゃあ、真依は柚羽が戻ってくるまでに寝ておこう?」


「葵さん……」


「愛してる。ワタシがいるから安心して寝て」


その声に少しだけ落ち着いて、充電器をスマートフォンに繋いでから布団に潜った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る