第30話 出張

上司から指示のあった出張は翌週の木金で決まった。2日も私に会えないと干涸らびるという葵さんは、出張前夜に泊まりに来て夜中まで離して貰えなかった。


あまりにも普通に家には葵さんがいて、一緒にご飯を食べて時間を過ごしているので、それが最近当然になりつつある。


だって葵さんと会えると嬉しいし、葵さんも会いたいって言ってくれるからって幸せボケしてる?


「真依のスーツ姿って、新鮮~」


「就活していた頃のスーツなので、思いっきりリクルートスーツですよ」


「可愛い、可愛い。ワタシが面接官なら即採用するのに」


にこにこしながら葵さんは体のラインに沿って撫でてくる。


「エロ親父っぽいですよ、葵さん。これ以上のお触りは駄目です」


「いいじゃない」


「駄目です。スーツに皺がつくので」


「……はぁい。もっと真依のスーツ姿堪能したかったな」


「それだけで済まないですよね?」


流されるパターンだと葵さんに釘を刺す。流石に今の時間からだと、完全に遅刻になってしまう。


「だって、折角だし」


「仕事で着ただけです。葵さんのためにじゃないですからね」


「はい……そうだ、真依、今週は休出になりそうだから、来られて日曜かも」


「分かりました。でも、1日しか休みがないなら家でゆっくりするでもいいんじゃないですか?」


「真依がいないと心がリフレッシュできません」


「じゃあ、来るなら連絡をください」


玄関を出る前にキスをして、2人で家を出た。


私は久々に自社出社で、午前中に事前ミーティングをしてから午後は移動の予定だった。


お客さんとは明日の朝にアポが取れているらしく、朝から向かうには移動に時間がかかるので前泊になったらしい。


営業活動への同行は、元々私がちょっとだけ好きだった麻野さんに依頼があったらしい。でも麻野さんは奥さんが今2人目を妊娠中で泊まりの出張は無理だと、私に順番が回ってきたとのことだった。


事前ミーティングの場には、久々に見る柚羽の姿もあった。相変わらずのスーツ姿だけれど、前よりも髪が短くなっている。


何となく、それは恋愛することを拒絶しているようにも感じられた。


柚羽を見るとやっぱり心が沈んでしまう。


私は結果的に柚羽ではなく葵さんを選んだになって、そのことをまだ打ち明けられていない。


柚羽を傷つけたくないなんて、私の我が儘だろうか。


ミーティングの場で今回の出張に参加するのは、柚羽の上司の湯本さんと、柚羽と、私の上司である湊さんと私の4人で行くことを知る。


私はお客さんから質問があれば答えるくらいでいいと言われていて、事前に情報を整理しておくだけでよさそうだった。


そもそも営業活動的なものは、前回の提案くらいしか関わったことがなくて、何をすればいいのか全く推測ができていない。午後からは新幹線での移動だったけど、新幹線での出張自体始めてなくらいだった。


2席ずつの並びの指定席は、柚羽と私が隣り合わせの席を割り当てられる。でも、私はまだ一言も柚羽と言葉を交わせていなかった。横目で柚羽を見ると、柚羽は目を閉じている。


それで話しかけられたくないんだなと分かって、私も車窓に視線を移した。





新幹線を降りた後、更に在来線を乗り継いで目的地に着いたのは夕方だった。


先にホテルにチェックインしようになって、纏めて予約をした湊さんがチェックインをするのを待つ。


カードキーを手にした湊さんがカウンターから戻って来て、それぞれにカードキーが配られる。


私に配られたのは4始まりだから4階のようで、エレベータに乗って4階で降りたのは私と柚羽だけだった。


カードキーの番号と部屋の扉の数字を見比べながら、宿泊する部屋を探す。数字が一致する部屋の前で足を止めたところで、柚羽から声が掛かる。


「真依、部屋番号何番?」


「406だけど」


カードを柚羽に見せると、柚羽も同じ番号だった。


「えっ??」


こういう時ってシングルが普通なんじゃないだろうか。


柚羽も混乱してるようで、2人でまずは部屋を開ける。


部屋に入って、そこには2つベッドがあったことにほっとはしたものの、それでも納得は行かない。


「柚羽何か聞いてる?」


それに柚羽も首を振って、知らないと答えが返ってくる。


でも、番号を確かめて湊さんはカードを渡していたので間違えたではないだろう。


すぐに集合が掛かっているので、とりあえず降りようと荷物だけを置いて柚羽と1階に戻った。


「湊さん、須加さんと私がどうして一緒の部屋なんですか?」


「悪い。悪い。コンサートがあるとかで予約が一杯だったんだ。同期だし、同性だしお前たち仲いいからいいだろ」


流石にそれには承諾できなかった。


とはいえ予約が一杯ということは、今から振り替えてもらうことは難しいだろう。


葵さんに何て言おう。


4人で再集合した後は、近くの居酒屋に入って、私以外はみんなアルコールを注文する。少しであれば私も飲めるけど、飲む気分じゃなかった。


私は葵さんと付き合い初めてから、柚羽に会うことを避けるように、自社にも全く戻らなくなっていた。


葵さんも柚羽がまだ失恋を引きずっていそうだと言っていたから、今まで通りになんて声は掛けられない。


多分私は何を言っても柚羽を傷つけることしかできない。だとすれば、解散したら早く寝てしまうしかなさそうだった。


18時に始まった飲み会が終わったのが23時前で、店のラストオーダーが来てやっとみんなの重い腰が上がる。


お酒にはそれなりに強い柚羽も目が据わっていて、飲み過ぎなのは分かった。ホテルのエレベータで湊さん、湯本さんとは解散して、先に歩く柚羽を追う。


一緒に住んでいた頃も柚羽が飲んでくるのはよくあったけど、私がいたから更に飲み過ぎたんじゃないかと心配だった。


部屋に入ると柚羽はスーツも脱がずにベッドに俯せになって、あっという間に寝てしまう。


それは以前リビングで幾度となく見た光景で、その度に柚羽を飲み過ぎだと叱った。


それでも一緒に住むのは楽しかった。葵さんと時間を過ごすのも楽しいけど、柚羽との生活は家族よりは遠くて、友達としては近い関係で心地良かった。


でも、柚羽が同じ思いじゃなかったことも私はもう知っている。


「ごめんね、柚羽」


誰に告げるでもなく呟きだけを漏らしてから、私はバスルームに向かった。

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