第26話 将来
「葵さん」
玄関を入ったところで私は葵さんに抱きつく。
「真依? どうしたの?」
「何考えてるんですか?」
親子連れを見た後の葵さんの様子がおかしいことくらいは、鈍い私でも分かった。
「ごめん、真依」
ぎゅっと葵さんも私を抱き返してくれる。
「理由、教えてください」
「親子連れの母親が真依に見えたんだ」
母親? 私に似ていたっけ? と思うけれど、記憶にも残っていない。
「私に似てました?」
「似てない。ただ、真依は母親になりたいって言ってたでしょう?」
葵さんを振った時に、確かに私は結婚して子供を産みたいと言った。葵さんとつき合うことを選択した時点で、私は考えることをいったん放棄したけれど、葵さんは気にしていたのだ。
「はい。覚えていてくれたんですね」
「ごめん……」
口元を覆った葵さんが泣いていることに気づく。
「葵さん、泣かないで下さい」
掌で葵さんの涙を拭うけれど、また新たな雫が生まれる。
「今はそのことは棚上げしてます。葵さんと一緒にいる方が大事ですから」
「いつかは棚から下ろすってことでしょう?」
そんなつもりはなかった、ただ上げたものをどうしようか眺めていただけで、時間切れを待つんだろうなと予感はあった。
「葵さん。私は葵さんと付き合い始めて後悔したことはないです。葵さんがもっともっと好きになって、傍にいるだけで嬉しいです」
「うん」
「final answerかって言われると、まだそこまで決め切れてないですけど、以前断った時の言葉は、人を愛することがどういうものか知らなかったから言えたことなんです。好きになったことはありましたけど、つき合うことがどういうことかもよく分かっていませんでした。今は葵さんの存在が大きくて、どうでもよくなっている感はあります。将来のことも整理していかないといけないですね」
「ワタシはどうしたらいい?」
葵さんが不安になっていることは知れた。何でもない日常の些細な光景で葵さんがこんなに弱気になっていること自体が少し驚きだった。
でも、それは私と居続けることを望んでいてくれるからこその不安で、愛しさが増した。
「私を離さないでいてくれますか?」
「できるわけないじゃない」
即答が嬉しくて、葵さんを再び抱き締める。
「葵さん。私が何よりも葵さんといることを選択できるくらい、葵さんのことを好きにならせてください。離れられないって思うくらい、葵さんを掛け替えのないものにさせてください」
上から目線過ぎるだろうかと心配になったけれど、葵さんも私を抱き締め返してくれる。
「わかった。そうする」
頷いた葵さんからのキスは情熱的で、愛し合おうとベッドに誘われた。
汗をかいたからシャワーを浴びたいと言っても葵さんは聞く耳は持ってくれなかった。
限界まで求め合って、そのまま2人で軽い眠りに落ちた。私の腕に巻き付いて寝ている人は、ちょっと可愛い。
情熱的で、優しくて、私を引っ張って行ってくれるけど、私の気持ちも優先させてくれる人。
まだ付き合い始めて2ヶ月だったけれど、こんな人にもう二度と会える気がしなくて、心の奥ではもう答えは見えている。でも、それを表に出す勇気がまだないだけだった。
「真依?」
「ごめんなさい。起こしました? 寝てていいですよ」
「お腹空いた気がするけど、このまま寝れなくもない気がする」
夕方から食事を取るのも忘れて没頭していたのは事実だった。
「軽めに何か食べますか?」
「真依が起きるなら起きる」
「じゃあ、起きましょうか」
私が夜食の準備をしている間に葵さんに先にシャワーを浴びることを勧める。
ちょうど出来上がったころに葵さんが出てきて、2人で向かい合って夜食にする。
冷凍のうどんを茹でただけだったけれど、葵さんは私の料理は何でも美味しいと言って食べてくれる。料理ができなくても、そう言って貰えるだけで嬉しくて、私が料理担当なのは苦にならなかった。
夜食の後は、今度が私がシャワーを浴びに行って、戻ってくると葵さんはリビングでノートパソコンを開いていた。仕事をしているんだろうかと覗き込む。
私の姿を目にするなり、おいでと手招きされて隣に座る。
葵さんは眼鏡をしていて、以前からデスクワークの時は眼鏡を掛けていることは知っていたけど、こんなに近い場所で見るのは始めてだった。
セルの淡めの茶色のフレームは、美人な葵さんを3倍くらい優しく見せて、胸が高鳴る。
「どうしたの?」
「仕事ですか?」
違う、と葵さんはパソコンを私に向けてくれる。
「夏休みに旅行行かない?」
葵さんが開いていたウェブサイトは旅行会社のもので、既に幾つか候補が上がっている。
「日帰りで出かけることはあっても、今まで泊まりがけってなかったでしょう?」
「泊まっても大丈夫なんですか?」
「それ、どういう意味で言ってる?」
「その……女性同士だし、嫌がられないかなって」
「じゃあ新婚旅行ですって、予約の時に書いておこうか?」
「葵さんっっ!」
「冗談だから。別にどういう関係かなんか書く必要ないからいいんじゃない? 友人、姉妹、親子、女性同士でも色んな関係があるよ」
「そうですね」
ちょっと前のめりになりすぎていたかなと、頬を染める。
「真依が一々可愛すぎて困るんだけど」
葵さんは私を膝の上に招いて、それに大人しく従う。
レンズ越しの葵さんの瞳に魅入られて、もう一回しようかという誘いを私は断れなかった。
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