第19話 キスの記憶

「葵さん、この前の、実はファーストキスだったんです」


「それはごめんなさい。でも、同性なんだからノーカウントにすればいいんじゃない?」


「そんなのできません」


「まあ、そうか。取り消せるものじゃないね。ワタシにできることは報いを受けることだけかな。真依が気の済むように殴っても、叩いてもいいよ」


「目を閉じてください」


葵さんに指示をすると、瞼が落とされる。葵さんは瞼を閉じても美人だった。


胸に空気を送り込んで深呼吸をしてから、私は葵さんの顔に自分の顔を近づけて、そのまま唇を重ねた。



キスの仕方なんか知らない。

見よう見まねで葵さんの唇に触れる。

ファーストキスは衝撃が強かったけど、今は葵さんに触れられたことが嬉しい。



葵さんは唇に触れたのが唇だと認識したのだろう、すぐに顔を退いた。


「真依!?」


「仕返しです」


目を開いた葵さんは、予測できなかった私の行動に混乱している。


「ワタシはファーストキスじゃないよ」


「私からのファーストキスです」


「真依の仕返しがそれでいいならいいけど……」


「仕返しだけでこんなことしないですよ、葵さん」


「じゃあ、どういうつもり?」


こんなに困惑している葵さんは珍しい。私の行為で一喜一憂する姿が嬉しかった。


「葵さん。私はこの前キスされるまで、葵さんの気持ちも柚羽の気持ちもちゃんと理解できていませんでした。だから葵さんにも柚羽にも酷いことをしてしまったって思っています」


「それはもういいよ。同性からの告白なんてまともに受け止められなくて当然だから」


「でも、もう一つ気づいたことがあるんです。私は葵さんの傍にいて、葵さんに触れたいんだって」


「それって……」


「将来のことは今は何も考えられてません。そんなことよりも、自分の想いを今我慢するときっと後悔する気がしたんです」


「ワタシとつき合ってもいいってこと?」


「葵さんが、私といることを今も望んでくださるなら」


「勿論でしょ」


今度は葵さんが抱きついてきて離してもらえなかった。





2人だけの時間を過ごしてしまって、ようやく店の外に出ると、飲み会の参加者は当然ながら三々五々散った後だった。


帰っていいんじゃない? と意見が一致したので、葵さんと並んで駅に向かう。


「柚羽のことはどうする?」


「柚羽は今も嫌いじゃないです。でも、私と柚羽の好きは違うので、元に戻れないことは分かっています。少し離れて、会社で会えば近況を話すみたいな関係くらいには戻りたいです」


「そうなるには柚羽がもうちょっと整理できないと難しいね」


「そうですね」


「真依にとって柚羽とワタシは違う?」


「一緒でいいですか?」


それは駄目、と腕で肩を引き寄せられて、笑いを零す。


葵さんが私の恋人。


決めたのは私だけど、やっぱり照れはある。


「真依、可愛い」


「可愛げないですよ、私」


「その分かってなさが可愛いっていうのは分からないかなぁ」


「分かりません」


「そんなに目一杯言わなくてもいいのに」


「だって、葵さんがどうして私のことを好きって言ってくれるのかも不思議なくらいなんです」


「じゃあ、真依が今まで好きになった人は、どんな人? ちょっと格好良かったり、優しかったりしても、普通の人じゃない?」


「そうですね」


「人に惹かれるって、小さなきっかけだったり、何気ない行動が目に留まって、ってことがほとんどじゃないかな。恋愛で自分なんかって思ったら何も始まらないよ?」


「はい」


葵さんの言葉の一言、一言が嬉しい。私はこんなに葵さんを求めていたんだって実感が染み出してくる。


「真依はもうワタシの恋人だから、よそ見したら駄目だからね」


「葵さんでもそんなこと言うんですね」


「聖人君主じゃないよ、ワタシ。むしろ真依が好き過ぎてどろどろしてるくらい」


葵さんの本心が見えて、意外さはあったけど、私に執着してくれていることは嬉しかった。


2人で並んで歩いている内に、あっさりと駅に辿り着く。葵さんとは向きが違うので、ここで解散になる。


「このまま一緒にうちに帰りませんか?」


葵さんとまだ一緒にいたいと本心が告げていて、つい言葉にしてしまう。


「それは心惹かれるお誘いだけど、流石に遠慮しとく」


「そうですか……」


「柚羽が出て行って淋しい?」


「最後は上手く行ってなかったですけど、柚羽との生活全部をそれで否定はしたくないです」


「それはありがとう。でも、ちょっと妬いちゃうかな」


「どうしてですか?」


「真依はワタシの恋人だから、誰かと生活して楽しかったって言われるとなって」


「葵さん……」


言われ慣れていない言葉に照れはある。


名を呼ばれて葵さんを見上げると、顔が被さってくる。


柚羽には恐怖を感じたのに、葵さんは怖くない。むしろ期待があって目を閉じた。


柔らかな唇を感じて、すぐに離されてしまう。


でも、それだけで胸に嬉しさが充満する。


「どうしてキスしたんですか?」


「真依が可愛いかったから。本当はもっとしたいけど、止まらなくなりそうだからこれで我慢する」


葵さんでもそんなことがあるのか、とちょっと葵さんが可愛く見える。


冷静で完璧に見える葵さんにも、欲望を堪えきれないことがあると思うと、途端に身近に感じられる。


「真依はワタシのだから、誰にも渡さないって、叫びたいくらい」


「それは控えてください」


分かったと頷いたくせに、その先で額に軽くキスが落ちた。

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