第17話 通知

3人で久々に鍋をした日以降、柚羽とは一言も言葉は交わしていなかった。


柚羽が軽率にこの前みたいに無理矢理何かをすることはないと信じているけど、無意識に柚羽を避けてしまう。


柚羽と行動が被らないように気を張って、家ではちっとも落ち着ける気がしなくなっていた。


そんな中、客先で定時退社日になっている日に葵さんから連絡が入って、帰りに2人で寄り道をする。


寄り道をすると言っても、職場近くの公園を一緒に歩くだけだった。遠回りにはなるけれど、駅までの道順の一つで、日中は親子連れが多いその場所は、日が暮れた時間は時折人が行き交う程度で外灯の明かりだけがある。


職場では葵さんは私に声を掛けることは基本ない。だからこそ用件は想像がついた。


「柚羽が落ち込んでいたよ」


「そうですか」


「その『そうですか』は、状況は把握しているけど、私は理解できませんの『そう』?」


「…………違わないのかもしれません」


「真依は被害者だよね?」


「……そうなるんでしょうか」


「今回の件は悪いのは柚羽だけど、一言だけ言わせて。真依は誰かを苦しいくらいに愛したことないよね? 恋をしたことはあるかもしれないけど、好きな相手に触れたくて仕方ないなんて思ったことないでしょう?」


「ないです。でも、柚羽は私をそんな風に見てないと思っています」


「どうだろうね。柚羽は近い内に引っ越しさせるから、真依は柚羽にもワタシにももう関わらない、でどうかな?」


「どうして……私は葵さんも柚羽も好きです」


「そういうのが一番相手を傷つけるって覚えておいて」


呆れとも取れる溜息と一緒に葵さんは否定の言葉を吐く。


「ワタシや柚羽の好きと、真依の好きは違うから共存なんてできないものなんだ」


葵さんの手が伸びてきて、私の頬に触れる。


まっすぐに私を見下ろす瞳に囚われて動けなくなる。


そんな私に一方的に触れるだけのキスが落ちて、すぐに離される。


「避けて良かったのに」


からかってみただけとでも言うかのような葵さんの言葉に目尻から涙が溢れる。


それは私にとってファーストキスだった。


咄嗟のことすぎて逃げられなかった。


嫌、柚羽と違って葵さんはそんなことはしないと私は思っていたのだ。


でも、それは因果応報というやつなのかもしれない。


そうなって、やっと私は柚羽も葵さんも本気で私を求めていたのだということに気づいた。


「真依、ごめんなさい」


謝る葵さんの手を振り払って、私はその場から逃げ出していた。


葵さんを責める資格は私にはなかった。


女性同士だから、葵さんと柚羽からの告白を私は、無意識の内に男性のそれとは別ものだと区別していた。


でも、相手を求めることに性別なんて関係ないのだ。


そんなことすら私は分かっていなかった。





葵さんの元から逃げ出した日以降、同じ作業場所にいても葵さんは一度も話しかけてきてくれることはなかった。


葵さんの席と私の席は少し離れているので、座った位置で葵さんの姿は見えない。それでもその姿を確認したくて、離席するタイミングで視線を向ける。


葵さんは大抵誰かと話をしていて、どうして私はあっちのチームじゃないんだろうか、と思ったりもした。


葵さんにキスをされて、私はずっとそのことを引きずっているのは事実だった。


一度話をしたいとは思うのに、どう話しかければいいのかも分からない。


関わらないで欲しいが葵さんの希望だけど、私にはまだ葵さんのキスの余韻が残っている。


唇に手を当てると、葵さんの唇が乗せられた時の温もりが蘇って来て、悩みが増した。


好意なのか、悪意なのか、それが知りたかった。


そんな中、柚羽から週末に出て行くと通知を受ける。テーブルに置かれたメモは、私と柚羽の今の距離を示していた。


引越当日、夜の間に玄関口に詰まれた段ボール箱は10箱にも満たなくて、手伝いを申し出たけれど、もうほとんど終わったから不要だと断られる。


「お世話になりました。だらだらと長居しちゃってごめんなさい」


引越のトラックを待つ間、久々に私は柚羽と会話をすることができた。それでも柚羽は視線を合わせてはくれない。


「仕事が遅くなっても、ちゃんとご飯食べてね」


「それ、子供を送り出す母親の台詞じゃない」


「だって、柚羽よく仕事で無理してるじゃない。今は常駐してるから会社でも会える機会少ないし、心配になるよ」


「わたしのことは心配しなくていいから」


「柚羽……」


「真依、ここであったことは、全部忘れよう」


柚羽はそういう整理の付け方をしたのだと、肯きを返すことしか私にはできなかった。柚羽と葵さんと3人で楽しく過ごしたことさえも柚羽には忘れたい過去になってしまったのだろう。


「分かった」


今、柚羽のために私ができることは、時間を置くことでしかないと肯きを返す。


「じゃあ、また会社で」


柚羽からこの家の鍵を受け取って、柚羽を送り出した。



私はどうすれば良かったんだろう。


柚羽も葵さんも好きなのに、どうして人を思う気持ちに違いができてしまうんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る