第6話 告白

今年のバレンタインの日は残念ながら日曜日で、金曜日の定時後に私は麻野さんに相談があるので少し時間を貰えないかと声を掛けていた。


客先だから外で話をしたいと、近くの古びた喫茶店に誘って2人で向かった。


ここまでは計画通り。


所々に経年を感じさせるテーブルを挟んで向かい合って座って、注文を済ませる。


その後は2人の空間になって、一言めの言葉を私は探しながら視線を泳がす。


練習した言葉を口にしようとして、口に息を込めたところで、私の視界に、麻野さんの左手の薬指が入る。


「……麻野さん、結婚されたんですか?」


左手を見てのことだと麻野さんもすぐに分かったようで、ああと照れを見せる。


そんな時だけ子供っぽい笑顔になる。


「つきあっていた恋人に子供ができて、ばたばたと籍を入れた、なんだ。まだ、会社にも報告できていないくらいなのに、流石に女性は気づくのが早いな」


脳裏を横切っていく言葉は上滑りしていて、やろうとしていたことが全て無意味になったことを知る。


「おめでとうございます。でき婚って麻野さんらしいですね」


「結婚はするつもりだったんだ。ちょっと前後が逆になっただけだ」


目の前の人はもう既に他の人をパートナーに選んだ人なのだ。告白なんてもうできない。


何を話すべきかと迷って、私は思ってもいない話を麻野さんに切り出した。


SEとしてのキャリアに迷っている、と。


麻野さんは真剣に話を聞いてくれて、曖昧な返事しか返さない私に、一々気を遣ってくれた。


「一瀬?」


「すみません、はい。大丈夫です」


「なら良かった。俺はよく女心が分からないって怒られるくらいなんだ。だから、一瀬が悩んでいることを理解できたかどうかは自信がない。それでも何かあったら今日みたいに声を掛けてくれたらいいぞ」


礼を言って、少し一人で整理してみると麻野さんとその日は別れた。





何もできないまま私の恋は終焉を迎えた。


一緒に仕事を始めて、恋心を抱いてすぐに告白できていれば何か違ったのだろうか。


そんなことをぐるぐる考えながら帰路に着いて、最寄り駅で降りる。


今日は早く帰って、自分の部屋に籠もりたい。


「真依ちゃん」


不意に名を呼ばれて視線を泳がせると、葵さんが近づいてくるのが目に入った。


今日は来るとは聞いていなかったので、何かあったのだろうか。


「葵さん、どうしたんですか?」


私の家の最寄り駅は、仕事があって降りたとは考えにくい住宅街の中にある。


「ちょっとだけ寄ろうかなって思って」


片手を握られ、帰ろうと手を引かれるままに家に向かう。


今日告白する予定だとは葵さんも柚羽も知っている。3人で決めたのだから当然だ。


きっと私は酷い顔をしているだろう。それで、葵さんは私の告白が失敗したことに気づいた気がしていた。


言葉がないまま、家までの道を並んで歩いた。


まるで葵さんが家に連れて帰ってあげると言ってくれているようで、私はそれに縋った。


家の玄関まで辿り着いた所で、葵さんが私を抱き締めてくれる。


葵さんは背が高いので、私は葵さんの体の中にすっぽり収まってしまう。


「頑張ったね」


「……駄目でした」


「今回は縁がなかっただけだよ。真依ちゃんは努力家だし、真依ちゃんの良さをわかってくれる人がいるからね」


葵さんの私を慰める言葉に、涙腺が弛むのを感じた。


葵さんの胸で泣いて、背を撫でてくれる温もりに甘える。


「すみません」


「今日は気を遣わなくていいから、遠慮なく甘えていいよ」


一人になりたかったはずなのに、葵さんの胸の中は落ち着けた。まだ帰らない方がいいという葵さんに甘えて、今日は傍にいて欲しいと強請った。


一人でいれば際限なく泣いてしまう。泣かないために、葵さんに傍にいて欲しかった。


「傍にいてください」


「わかった。真依ちゃんが望むだけ傍にいるから安心して」

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