02話.[過ごせばいいよ]
「帰らずにいてくれてありがとうございます」
「うん」
場所は放課後の教室、彼女の友達がいる~なんてことにもならずに私と彼女だけしかここにはいなかった。
まあ実はすぐには帰ってくれず、教室で一時間ぐらい時間をつぶすことになったんだけどそれは気にしないでおこう。
「それでどうしたの? あのハンカチなら本当にあの子が渡してくれたんだけど」
残ってもらうのであれば城崎さんに頼むところだ、それだというのに私に彼女は頼んできたことになる。
「あ、周りが勝手に近づいてくるから自分から近づくのは怖くてできないんでしょ」
「違います、城崎さんには本当に感謝していますけどね」
「じゃあなんで?」
にっこりと笑ったり黙ったりと忙しい子だった。
ひとりで急ぐ必要もないから天井でも見て過ごしていると「避けられたからです」と答えてくれた。
「あの場所を教えてくれたのはもう行くつもりがなかったからなんですか?」
「違うよ、私があの場所しか知らなかっただけ」
知らないで終わらせられる感じがしなかった、彼女は頑固そうだったからああする必要があった。
それで多分成功していた、だからあのハンカチの件で近づくことになるまではあっちも話しかけてこなかったのだと思う。
「今日、会えると思って外に行きました」
「会えたじゃん」
「……そういう屁理屈も嫌いです」
いや事実会えたじゃん、なんなら話もしたよ。
意外と細かいことを気にする子だ、彼女が本当の自分というやつを表に出したら関わる子は大変かもしれなかった。
だけどそれはつまり信用してくれているというわけだし? 甘えてくれていると見ることもできるから喜ぶ子もいそうかなと。
「帰りながら話そうか」
「嫌です、だってすぐにどこかに行ってしまいますよね?」
「分かった分かった、だからその顔はやめてよ」
静かな教室でもこの子がいるとなったらいい場所とはならない。
屁理屈が嫌いなのは分かった、でも、たったそれだけでしかない、喋ってくれないとこちらとしてはどうしようもないわけなんですよ。
「今日のお昼休み、どこで過ごしていたんですか?」
「新しい場所を見つけて過ごそうとしたら城崎さんが来てね、お気に入りスポットみたいだったから諦めて教室に戻ったんだ」
「どうしてこのタイミングで新しい場所を探すんですかね」
面倒くさいな、どうしてそんなことを気にするんだ。
気分転換に場所を変えてみる、休み方を変えてみるなんて人間なら誰だってするというのに。
「はあ~、じゃあ言っておくと内田さんに知られてしまったからだよ、まあ相手が誰であろうとそうしているからその点で不安にならなくていいよ」
自然とそうなっているとか考えた私だけど、ひとりでいられる時間の方が好きだから傷ついていたりはしていなかった。
これからどうなるのかは分からないものの、少なくともなにかがなければこのままが続くと思う。
「やっぱり……」
「でも、あそこは本当にいい場所だからゆっくり自由に過ごせばいいよ、ひとりになりたいみたいなんだからね」
人それぞれ違うからきっと参考にはならない、私には私の、彼女には彼女に合った過ごし方というのがあるんだ。
だから私が言えるのはこれだけだ、もう二年生になってしまったとはいっても春だからなんとかなる。
卒業までに見つけられればいいだろう、残念ながらそれまでに他者から見つかる可能性の方が高いけど。
「が、蒲生」
「もう十七半だよ? 学校が苦手なら早く帰りなよ」
「は、話しかけたかったんだけど教室に入りづらくて……」
「それはごめん、私も廊下にいてあげたらよかったね」
学校内にいれば文句も言われなかったというのに私も変なことをした、ただすぐに逃げるとか思われていたわけだから正解だったんだけども。
「えっと……」
城崎さんが彼女に確認をする、彼女は目を閉じてひとつ息を吐いてから「もう大丈夫ですよ」と言って立ち上がった。
本人がこう言っていることだから余計なことは言わなくていいだろう、用があればまたこうして話しかけてくるはずだ。
「じゃあ気をつけて」
「はい、失礼します」
敬語、別に友達の前でだけというわけではないんだな。
信用できた相手にだけタメ口というわけでもないだろうし、もうあれが自然になってしまっていると考えた方がいいか――と終わらせようとしたんだけど何故か気になってしまうという……。
なにができるというわけではないのに、しかもあれだけ一緒にいて信用できていないのだとしたらあの笑顔が途端に怖く見えてきてしまうぞ。
「そんな感じなのによく内田さんのハンカチを持っていられたね」
「だってあのままだと困りそうだったから……」
「いや、責めているわけじゃないからね」
このままだと違和感がすごいから外に出ようか。
はあ、やっぱり外は暖かくて落ち着く、夏になっても寒くはないから構わない、あとひとりでいる人間のくせに運動とかで汗をかくことが好きなんだ。
「いつからあそこで過ごしているの?」
「去年の夏頃からかな」
「あ、じゃあ結構長くいるんだね。いいな~、私なんて取られちゃったからな~」
と言うよりも自分を守るために捨てたと言う方が正しいか。
学校敷地内であれば休み時間にどこで過ごそうがその人間の自由だから文句を言うべきではない、と分かっているんだけどさあ……。
「蒲生は内田さんと普通に話せているでしょ? 一緒に過ごせば……」
「いやほら、ひとりになるために出ているわけだからさ~」
「その割には……誰かといるけど」
というかお嬢さんよ、どうして私だけは名字呼び捨てなんだいと言いたくなる。
いや別にどう呼んでくれてもいいけどさ、なんかその差に引っかかる。
それと外なら戻ってくれると思ったのにそのままだ、学校でのあれが素ということなのだろうか。
無理をしていないのであればそれでいい、内田さんにも彼女にも自身に合った接し方ができているのならね。
「あ、そうだ、今日はありがとう、やっと返せてほっとしてる」
「そっか、じゃあ役に立ててよかったよ」
あの程度のことでお礼を言われてもあんまり嬉しくない。
あんなの誰でもできる、たまたま私だったというだけなんだ。
「あ、こっちだから」
「じゃあ気をつけて」
別に微妙な気分になったからというわけではないけど寄り道をしていくことに。
「これだよこれ」
自動販売機で買ったジュースを飲みながら適当に時間をつぶしていく。
急激な変化は求めていない、このジュースみたいにいつも同じ感じでいい。
でも、なんか自分の理想通りにはならない気がして缶を揺らした。
努力をしてこなかったからいつだってそうだ、だからそのことで悲しくなったり、ずるいとか言ったりすることはしない。
あ、この前のはノーカウントということにしてほしい、ちょっと羨ましくなってしまっただけ……って、同じか。
「あれ」
中身はなくなってしまったからしっかりゴミ箱に捨ててから近づく。
「にゃ~……」
「下りられなくなったの? 猫なのに鈍くさいねえ」
実は木登りは得意だからささっと登って猫を地上まで運んだ。
意外にもすぐに離れたりせずに足に体を擦りつけてきている猫さん。
「ちょちょ、毛がつくでしょ」
「にゃ~」
「おいおい、進んでやるなんて君はSだな」
くそー、ここにも私より可愛い存在がいやがるぜ。
撫でても逃げるどころかもっとぶつかってくるぐらいだった。
「なにをしているんですか?」
「おわ、あ、行っちゃった……」
こうして離れられるとそれはそれで寂しいというやつだ。
だけど離れられてから気づいたらところでもう遅い、触れることができる距離にもうあのもふもふくんはいないのだから。
「突然、木に登り始めたから驚きました」
「木登り好きなんだ、ちょっと高いから誰にも見られることなく休めるし」
「冗談ですよね? ここの木でそんなことをしたらじろじろ見られますよ」
「こことは言っていないでしょ」
ここでも「そうですか」で終わらせられないと、彼女はもっと冗談を流せる能力を身に着けた方がいい。
ここからもそのままだと疲れる、そういうところも……なんとかしてやりたい。
「それよりひとりが好きなら家にいればいいのに」
「あ、専業主婦の母がいるので」
「ほーん、じゃあ家来る?」
「え、いいです」
「あ、そう」
いまのは試したようなものだ、簡単に受け入れて家に来るようだったら離れていたというのは冗談で、地味に傷ついた。
相性というのが悪いんだと思う、それかなんとかしてやりたいとか偉そうに考えていることがばれてしまっているのかもしれない。
「じゃあね」
猫も助けられたから無駄な時間ということにはならなかった。
ご飯を作って食べて、お風呂に入って寝ることにしよう。
意外と課題というやつを出してこないから全部自由時間だ、姉も母も父もいないとなればそんなものだ。
「お、帰ってきたな」
「あれ、お父さん?」
「開けてくれ」
「う、うん」
なんかやけに大きな袋を持った父がいたけど仲が悪いわけではないから気になりはしない。
「よいしょっと、ふぅ、母さんが何回も千文が元気なのかどうか気にしていたぞ」
「元気だよ」
ちなみにこの家は姉が契約してくれた家だった。
なんか嫌みたいで「千文は別のところで住んだ方がいい」とか言ってきてね。
私が高校生になるまではちゃんとここにいてくれたんだ、だからまあ一応こっちのことを考えてくれたことになる……のかなと。
「それならいい、あ、鍋の具材を買ってきたんだ」
「それなら呼んでくれればいいのに、私の方から行ったよ?」
「まあまあ、たまにはふたりきりというのも悪くないからさ」
父は昔から寂しがり屋だった、多分だけど私や姉よりもそうだ。
別に嫌ではないから相手をさせてもらうけど、母がいても私達のところに来るからなんとなく怖いのかななんて考えたりもする。
ちょっと小言が多い人だから分からなくもないけどね……。
「学校はどうだ?」
「普通かな、つまらなくはないよ」
自分の目で見ることはできないから聞いて安心したいというところだろうか、すぐに学校でのことを聞くところが親らしい。
友達がいないことはいちいち言わなくてもいいだろう、敢えて不安な状態にさせるような悪い人間ではないから。
それに私はひとりなりに上手くやれているというのもあった。
「千文は昔から休んだりしたことないもんな」
「うん、だって休む意味ないから」
「偉いな、よしよし」
おお、姉もよくしてくれるけどやっぱり頭を撫でてもらえるのは好きだ、これからも休まないだけでしてもらえる可能性が上がるということなら頑張ろうと決めた。
「で、なんだかんだ外に出てきているというね」
やっぱり外の方が好きだ、その方が暖かさをダイレクトに感じられるから。
多少の面倒臭さがあってもやっぱり行くだけの価値があるんだ。
「「あ」」
……知っている顔を見ることにならなければもっといいんだけど。
これはもうわざとしているようにしか見えない、城崎さんと出会ってからこういうことは増えた。
移動してもひとりになれないということならこれ以上抵抗しても意味がない、とりあえずお弁当を食べることにしよう。
「が、蒲生」
「城崎さんも食べようよ」
「わ、分かった」
お弁当箱を広げて食べ始める、自作でも食べることは好きだからこれもいい時間だと言える。
正直、内田さんの相手をするよりも城崎さんの相手をしているときの方が気楽だと言えた、何故なら断ってこないからだ。
笑顔だったのは最初だけで私といるときは無表情というのも影響している。
「やっぱり出てきちゃうよね、校舎内でって考えていたんだけどさ」
「うん、外は落ち着くから」
「そう、それなんだよ」
社会人になったらできなくなるから学生時代のいま敢えて非効率的なことをしておくのも悪くはないかとすぐに開き直った。
自分に甘いから仕方がない、だけどそうなるのも当然だろう。
厳しくしたところで疲れてしまうだけだし、多分いい結果は出ない。
それなら死ぬまで付き合わなければならないのだから緩いぐらいが合っている。
別に誰かの人生に迷惑をかけるというわけではない、損することがあっても自分だけだから気にならない――ということにしていた。
「城崎さんは木登り得意?」
「全然駄目だよ、運動全般が、うん……」
「そうなんだ」
私だって何回も落ちたり怪我をしたりしたうえでのことだからひょいひょいされても困るけど――って、それなら努力をしているということではないか。
誰かに自慢できるようなことでも、羨ましがられるようなことでもないけど、ただ学費を払ってもらっているということで学校に通っているだけの人間よりはいい気がした。
「だからこの前はびっくりした、蒲生がひょいひょいと登っていったから」
「あれま、城崎さんにも見られていたんだ」
「犬の散歩をしていたら、うん」
ということは犬派か、彼女があのときに来ていたとしてもあの猫は逃げていたな。
ああ、考えたらまた触りたくなってきてしまった。
「こんにちは、楽しそうですね」
「よしよし」
「……なんで私は頭を撫でられているんですかね」
「うーん、あの子よりも内田さんの髪の方がさらさらしているな~」
いかな猫の舌といっても意識して奇麗にしている人間の髪には敵わないか。
あれ、ちゃんと意識を向けてみたら警戒している猫みたいな子がいた、手を伸ばそうものならぱちんと叩かれてしまうような感じすらする。
こういうときは近づかずに離れた方がいいに決まっている、いや、煽りたいわけではないからそうするのだ。
「こ、こんにちは」
「はい」
「でも、なんか意外、内田さんはみんなに囲まれているから」
「意外、ですか」
私のときと違って困ったような笑みを浮かべただけだった。
彼女への対応はそれがいい、いつもの怖い顔になったら多分泣いてしまう。
あとはもうちょっとぐらいこっちにも柔らかい感じを出してくれたら、いや、それだと休めたことにはならないか。
なんのために出てきているのかということを思い出した方がいい。
「あ、蒲生……さんに用があったんだよね」
「いえ、別にそんなことはないです」
「えっと、じゃあ……座ったらどうかな」
「そうですね」
その割には私に残るように言ったりこうして付き合ったりよく分からない子だ。
よく分からないから誰かがこの子の相手をしてくれるのはありがたい、自分とこの子だけだと黙って見ているということができないからだ。
「城崎さんは蒲生さんと仲がいいんですね」
「蒲生さんは優しくしてくれるから」
「いいですね、だけどその優しい人が何故か積極的に廊下や外で過ごしていることになるんですけど」
「疲れちゃうからじゃないかな」
「なるほど」
おいおいおい、ちゃんと外にいる理由を吐いているのになんでそうなるのか。
優しくなんかないよ、自分のために行動しているだけだ――というのは違うか、動物には優しい人間だった。
「ごちそうさまでした、っと」
片付けて適当に足を伸ばす、いや、それだけではなく上半身を倒して空を見ることが好きだった。
今日は青空だけではなくこちらを見ている内田さんも見えるけど関係ない。
「汚れてしまいますよ」
「大丈夫」
コンクリートの上だからそう汚れはしない、また、汚れていても彼女みたいに意識を集めたりしないから問題ない。
真似をしろとは言えないから気にしないで楽しんでと言っておいた、やっぱり私が相手の場合は「いえ」とすぐに断ってくるんだけど。
「蒲生……はひとりなのにどうして内田さんと仲いいの?」
「どっちとも話し始めたばかりだよ、まだ仲良くなれていないよ」
「そうかな」
「それより城崎さんもしてみなよ、気持ちいいよ? あ、汚れならちゃんと払ってあげるからさ」
「あ、じゃ、じゃあ……」
こうしてゆっくり仲間を増やしていく。
私の目標は三人だ、四人とか五人とかそんなたくさんの仲間はいらない。
だからつまり、こっちを冷たい顔で見てきている彼女が最後ということになる。
「はぁ、蒲生さんは悪い人でもありますね」
一年ぐらいは時間がかかりそうだった。
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